一人で作業できることと、一人で運用できることは違う
ここで、もう一度、最初の問いに戻ってみる。
夜勤は一人でできるのか。
この問いには、二つの意味がある。
一つは、目の前の荷物を一人で処理できるかどうか。
もう一つは、その人が休む日も、体調を崩した日も、荷物が集中する日も含めて、一人配置で運用を続けられるかどうか。
この二つは、似ているようで違う。
荷物が少ない日なら、一人で処理できるかもしれない。作業が順調に進み、運行者の戻り時間にも余裕があれば、問題なく終わる日もあるだろう。
だが、それは一人配置が安定して成立することの証明にはならない。
仕事は、都合のいい条件の日だけ選んで発生するわけではないからだ。
夜勤には、夜勤の仕事がある。
荷物が到着すれば、仕分けなければならない。構内作業もある。点呼もある。付随業務が発生すれば、仕分けに使える人員はさらに減る。
IT点呼や自動点呼を導入すれば、点呼の方法を効率化できる可能性はある。
しかし、点呼の方法が変わったからといって、荷物の仕分けや構内作業までなくなるわけではない。
一つの業務を効率化できることと、勤務帯全体を一人で運用できることは、分けて考える必要がある。
一人配置を前提にした場合、その一人が休む日はどうするのか。
代わりに入る人間が必要になるのか。それとも、ほかの勤務帯から人員を回すのか。
仮に別の勤務帯から人員を回すのであれば、今度はそちらの業務に影響が出ないかを確認しなければならない。
夜勤だけを切り離して考えても、答えは出ない。
勤務帯ごとの仕事は、時間の流れの中でつながっているからだ。
夜勤の人員を減らせば、その時間帯の仕事がなくなるわけではない。処理できなかった荷物は残る。朝まで持ち越せば、日勤側がその荷物を引き受けることになる。
夜勤を閉じるという選択肢を検討するにしても、必要なのは、夜勤をなくした場合に全体の仕事がどう変わるのかという検証だった。
夜勤の負担が減るのか。
日勤の負担が増えるのか。
荷物の処理が遅れないか。
必要な人員は、全体としてどう変わるのか。
そこまで確認して初めて、運用を変更する判断ができる。
俺が問題にしていたのは、夜勤の人数を増やすこと自体ではなかった。
夜勤だけを見て、少ない人数で済むと判断することでもなかった。
日勤と夜勤の双方について、実際の仕事量と人員配置を比較し、どこにどれだけの負担があるのかを確かめることだった。
数字を集めたのは、そのためだ。
経験や印象だけで「一人でできる」と判断するのではなく、実績を確認する。
平均的な処理量だけでなく、荷物が集中する時間帯も見る。
仕分け作業に従事できない時間も考慮する。
そして、一日だけではなく、継続して運用できる体制なのかを検討する。
それが、俺の考えていた人員配置の判断だった。
もちろん、数字を出せば、必ず正解が一つに決まるわけではない。
費用もあれば、採用の難しさもある。現場の事情もある。数字だけでは判断できない要素も存在する。
だからこそ、判断する側には、何を優先し、どの条件を前提に決めたのかを明らかにすることが求められる。
必要な人員を配置できないのであれば、その理由を検討する。
配置を減らすのであれば、減らした後の業務がどうなるのかを確かめる。
その結果、別の勤務帯に負担が移るのであれば、その影響も含めて判断する。
そうすれば、少なくとも「一人でできるだろう」という一言だけで、議論を終わらせずに済む。
「一人で作業できるか」ではなく、「一人配置で運用を継続できるか」。
俺が確認したかったのは、その違いだった。
そして、この問いは、夜勤だけの問題ではなかった。
日勤にも、早朝帯にも、それぞれの業務がある。
どの勤務帯であっても、実際の仕事量と配置人数を照らし合わせ、業務が継続できる条件を考える必要がある。
人員配置の公平性とは、単純に全員を同じ人数にすることではない。
仕事の量も、時間帯も、付随業務も異なる以上、人数だけをそろえても公平になるとは限らない。
見るべきなのは、誰が何人いるかだけではない。
その人数で、どれだけの仕事を担っているのか。
そして、その体制が無理なく続けられるものなのか。
そこまで見なければ、数字を集めた意味がなくなってしまう。
俺は、夜勤の仕事を数字にするところから始めた。
その数字を使って、人員配置を考えた。
だが、本当に必要だったのは、数字を出すことだけではなかった。
数字を、判断の基準として使い続けることだった。




