皇帝は勇者を嫌っている 前編
帝国への入国は、思っていたより普通だった。
「名前」
「セレスティア・ルーン」
「職業」
「勇者」
帝国の役人の筆が止まった。
「それは職業ですか」
「世界を救う人」
「職業を聞いています」
セレスティアがレオンを見る。
「勇者って職業じゃないの?」
「俺に聞くなよ」
役人が深く息を吐いた。
「いずれかの国家からの任命状は」
「ない」
「神殿の勇者認定証」
「ない」
「聖剣」
「もらってない」
「現在所属する組織は」
「ない」
役人は書類を見下ろした。
「では、無職として処理します」
「嫌」
「セラ」
「勇者」
「書類上は無職らしいぞ」
セレスティアは不満そうに黙る。
隣でレオンも書類を受け取った。
「俺も無職になってる」
「一緒にしないで」
「書類上は一緒だ」
帝国兵は笑わなかった。
帝国内での滞在は、帝都到着まで有効。
到着後は外務府へ届け出て改めて許可を受ける。
指定街道を外れないこと。
宿泊する町ごとに駐在所へ申告すること。
そして、武器の封印を勝手に解かないこと。
皇帝への面会については。
「通常の申請になります」
「どれくらい?」
「早くて三か月です」
「遅い」
「皇帝陛下は暇ではありません」
「世界が滅びる」
役人は顔色一つ変えなかった。
「皆様、似たようなことをおっしゃいます」
「帝国って面倒」
外へ出てからセレスティアが言う。
「王国も似たようなもんだと思うけどな」
「帝国の方が面倒」
「百二回分の偏見入ってない?」
セレスティアは少し考えた。
「入ってるかも」
レオンが振り返った。
以前なら考えもしなかった。
国境を越えて二日目。
アルカ村を出てからは、もう一年近く経っていた。
街道は広かった。
王国よりも石畳が整い、一定の間隔で軍用の里程標が立っている。
丘の上には監視塔。
帝国は軍隊が動くことを前提に作られた国だった。
けれど、その道を使っているのは兵士だけではない。
麦を積んだ荷車を引く農家の一家。
巡礼者。
行商人。
大きな角のある魔族の薬売り。
国境を一本越えたところで、人の暮らしは大して変わらなかった。
「昔は」
セレスティアが言った。
「帝国に入ると全部敵に見えた」
「全部?」
「うん」
道端で転んだ子供の籠から、赤い果実が転がった。
セレスティアが拾う。
子供へ渡す。
「ありがと、お姉ちゃん」
「うん」
子供が母親のもとへ走っていく。
レオンが見ていた。
「何」
「いや」
「何」
「敵じゃなかったな」
セレスティアは子供の背中を見た。
「うん」
そうこうしていると長閑さを壊すように馬蹄の音が聞こえ始めた。
レオンが振り返る。
街道の向こうに、土煙が上がっていた。
十。二十。まだ増える。
「……多くない?」
「五十二」
「もう数えたの?」
「うん」
大半は濃紺の外套を着た帝国の騎兵だった。
先頭の二人だけが、白い外套を羽織っている。
胸には神殿騎士の徽章。
セレスティアの足が止まった。
白い外套の男が馬から下りた。
日に焼けた顔。短く切った髪。
肩の革帯には、何度も縫い直した跡がある。
隣で下馬した女は二人の顔を確かめてから腰の剣へ目を落とした。
「セレスティア・ルーン殿。アルカ村で神託を受けた方でお間違えありませんか」
男が言った。
「私、教会より勇者捜索の任を受けました騎士エルド・ヴァイスです。こちらは副官の騎士リディア・セルト」
「……神殿騎士」
「あなたを捜していました」
セレスティアは、男の向こうを見た。
帝国騎兵が荷車を街道の端へ誘導している。
濃紺の外套を着た帝国騎士が馬を寄せた。
額から後ろへ伸びる二本の黒い角。
赤褐色の肌に片目の下を横切る古い傷がある。
「帝国第四騎士団、ロ=マジク隊のロ=マジクだ。皇帝陛下の命により教会の捜索に協力している」
魔族だった。
近くの人間の兵が隊長へ通行人の数を報告する。
ロ=マジクは頷き、馬から下りた。
「入国の記録を追って来た。旅券を見せてもらいたい」
「こ、これです。帝都まで許可をもらってます」
レオンが差し出す。
「ふむ…入国の手続きに問題はない」
「じゃあ、行っていい?」
セレスティアが聞く。
答えたのは、エルドだった。
「私たちと聖都の神殿へ向かっていただきます」
「行かない」
返事が早すぎて、エルドは一度口を閉じた。
リディアが前へ出る。
「勇者様。騎士リディアです。ご存知ないかもしれませんが神託を受けた勇者には神殿で使命の説明を受けていただくことになっています。旅の支援も用意されています」
「知ってる」
「でしたら」
「今回は、皇帝に会う」
リディアは、セレスティアの顔を見た。
「えっと、神殿に来ていただいたその後では、いけませんか」
「先に皇帝」
「神殿へはいつ頃…」
「行くかどうかもまだ決めてない」
エルドが手袋の指を握り直した。
「我々があなたを捜して、一年近くになります」
レオンは男の外套を見た。
裾には、乾いた泥が何層にも重なっている。
「アルカ村を出たと聞いて北へ向かいました。着いた時には、もういない。次の町でも、次の礼拝所でも同じでした」
「私たちは探して欲しいなんて言ってない」
「神託を受けた方を、所在も分からないままにしておけません」
「心配しなくても大丈夫だよ。それにそれは教会の都合」
「…お連れは負傷しているようですが。騎士リディア。」
「いずれにしろここでまた見送るわけにはいかないのです」
エルドの目くばせを受けたリディアはレオンに駆け寄り、その手の包帯を外した。
「いや、これは負傷ってほどでもないんだけど」
リディアはレオンの言葉を遮るように詠唱し、綱を引いた際に擦り切れた手のひらを治療してみせた。
「すご。あ、ありがとうございます」
「いえ。命令ですのでお気になさらず。痛みはありませんか?」
セレスティアは後方の様子をわずかに視界の端に捉え、息を吐いた。
「神殿には何度も行った」
「神殿からそのような報告は届いていません」
「今回は行ってない。前の世界で。百二回、やり直してる」
リディアがエルドを見た。
エルドはセレスティアから目を離さなかった。
「そのお話も、神官に聞いていただきましょう」
「聞いてもらったこともある」
「少なくとも、私たちは一度もあなたを神殿へお連れできていません」
セレスティアは黙った。
ゼインの村で過ごした半年。
砦へ向かう道とそこで待った日々。
その間も、目の前の二人は自分を捜していた。
エルドが目を閉じた。
開いた時には、声が低くなっていた。
「勇者殿。こうしているまさにこの間にも、世界のどこかで人が死んでいる」
「知ってる」
「ならば、なぜ」
「知ってるから、皇帝に会う」
セレスティアにとって過去の行動原理は死者数の減少だった。しかし、つい最近世界を救うことと死者数の減少は必ずしも一致しないことをレオンとぶつけあったばかりでもあった。
セレスティアは歩き出した。
エルドの脇を通ろうとする。
エルドはセレスティアの行く手へ腕を出した。
「お待ちください」
「どいて。行こうレオン」
ロ=マジクが一歩近づいた。
「エルド殿。強制して聖都へ運ぶ許可は出ていない」
「承知しています。ですが、このまま去らせることもできません」
エルドはセレスティアを見る。
「最寄りの教会で、今夜だけでも話をしていただきたい」
「嫌」
「…なぜ…なぜそう頑ななのですか」
「あなたに言う必要はない」
言ったところでエルドは行動を変えられない。
ロ=マジクの顎が動いた。
魔族の隊長は、セレスティアへ向き直った。
「セレスティア・ルーン、レオン・アーヴェル。入国の手続きに問題はない。皇帝陛下の命は捜索への協力。すでに発見し接触したことで我ら帝国騎士の勇者捜索への協力は終わった」
「なら」「だが、こうも無碍にされては教会側も引くに引けないのではないか?教会に赴き、再度帝都を訪れれば謁見の頃合いにもなろう」
「私たちが悪いことした?」
「していない」
「帝国は許可をなかったことにするの?」
「そうではない」
「そうでしょ。どいて」
「まだどけぬ。歩み寄ってはどうかと言っている!謁見まで相当の猶予があるのだ。何か事情があるならエルド殿が納得できないまでも示すのが対話というものではないか」
ロ=マジクは騎士エルドの脇に立ち、道を遮る格好となった。
「セラ。俺は事情があるなら話してもいいと思うけど。ってか俺も知りたいんだけど!」
レオンがセレスティアに走り寄り、セレスティアだけに聞こえるよう小声で言った。
セレスティアは振り返らなかった。
「事情なんて何もない。ただ教会は私に首輪をつけたいだけ。それに」
「それに?」
「百二回も失敗すれば教会と動くことが世界を救うことに繋がらないのはさすがに分かる」
「そうか…」
レオンはふいに振り返ってリディアへ目を向けた。
リディアはこちらを見据え、胸の徽章へ二本の指を当てていた。
足元の石畳に細い光が走る。
「おわっ!…セラ!」
レオンはその場を咄嗟に飛び退いた。
光はセレスティアの足首を囲んでいた。
「痛みはありません。抵抗せず、こちらへ」
「術を解いて」
「お話が終われば、解きます」
セレスティアが一歩進もうとする。
輪が締まり足が止まった。
「……」
セレスティアは一瞬何かを考えるように目を閉じた。
その刹那、封印布が裂け、セレスティアは剣を抜いた。
刃が地面へ落ちる寸前で止まる。
足元の光だけが切れた。
リディアはすぐに術式を組み直した。
輪の外へもう一つ、別の輪。
踏み出す足ではなく、剣を持つ腕へ光が伸びる。
セレスティアは柄を持ち替えた。
次の線が届く前に、剣先を横へ流す。
二つの術式が、一緒に消えた。
リディアの指が止まった。
エルドは、その時には動いていた。
腰の剣を抜き、セレスティアの刃を横から押さえる。
空いた手が、彼女の手首を捉えた。
剣を奪うための動きだった。
迷いがない。
レオンにはエルドがいつ間合いを詰めたのか も分からなかった。
セレスティアは握られた手を引かなかった。
男の力へ半歩だけ体を寄せる。
ただそれだけの動きで剣の角度が変わった。
エルドの刃が折れた。
その胸甲へ、柄が当たる。
男が膝をついた。
「隊長!」
「総員戦闘態勢。全員取り押さえろ!周囲に被害は出すな!」
ロ=マジクの命令で帝国騎士が散会。周囲を守る者、ロ=マジクとともに戦闘に参加する者に別れた。
リディアの光が、今度は彼の前へ広がった。
セレスティアは、追わなかった。
帝国兵の槍先が、彼女へ向く。
「武器を下ろせ!」
ロ=マジクの声。
セレスティアが彼を見る。
「道を空けて」
「剣を収めろ。そうすれば――」
セレスティアは、槍の間へ踏み込んだ。
二本が折れ、一本が兵の手から飛ぶ。
その先へ、ロ=マジクが入った。
大きな盾が、セレスティアの剣を受けた。
地面に落とした踵の下で、石が砕ける。
二度目の剣が盾の縁へ触れた。
留め金が切れる。
握りを残して、盾が傾いた。
ロ=マジクの喉元に、刃があった。
後ろの兵が動く。
ロ=マジクは片手を上げた。
「止まれ!」
兵たちは止まった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!いきなりおっぱじめるなって!一回落ち着いて話そう!な!?」
一人だけことの展開についていけていなかったレオンが慌てて場を取り繕おうとした。
セレスティアは刃を引いた。
腰を落としていた兵が息を吐く。
折れた武器は、十にも満たない。
それでも、先へ出る者はいなかった。
レオンがセレスティアに近づく。
「おいぃ!」
「殺してない」
「それはまぁ、見た感じそうっぽいけどさ」
セレスティアはレオンの手を見た。
「女騎士は…お相子かな」
セレスティアの剣が、少し下がった。
「……まだ、やる?」
エルドは、リディアの手を借りて立ち上がった。
折れた剣を見てから、セレスティアを見る。
「その力を、なぜ神殿へ持って来てくださらない」
「持って行った」
彼女は短く答えた。
男の顔が、また硬くなる。
百二回という言葉を、もう一度言う気にはなれなかった。
ロ=マジクが、兵へ負傷者の確認を命じた。
それから、セレスティアへ向き直る。
「言い訳と捉えるだろうが、我が隊に貴殿らを害する意図はなかった。が、武器の封印を破ったため制圧にかかった。このざまだがな」
「そう。女騎士が余計なことをしなければ封印布が破れることもなかったけど」
「好機を得たと言わんばかりに立ちまわっておいて何を」
セレスティアは草地へ落ちた封印布を拾った。
「報告は正確に」
「当然だ。ここは帝国領だ。エルド殿らもよろしいな。こうなってしまった以上、もはやどうしようもなかろう」
「…好きにしてくれ」
ロ=マジクは、壊れた盾を兵へ渡した。
セレスティアは剣を鞘へ戻した。
神殿騎士と帝国騎士が王国の勇者に壊滅させられた。
帝都へ向かう途中には、そういう話になっていた。
「壊滅させてない」
セレスティアが言う。
宿場の酒場で、隣席の商人たちが噂していた。
五十騎が皆殺しになった。
いや、百人いた。
神殿の上級騎士が三人とも斬られた。
「増えてるな」
レオンがパンをちぎる。
「人数も、神殿騎士も」
「五十二。神殿騎士は二人」
「そこは譲らないんだな」
事件の直後、二人はロ=マジクと共に、最寄りの駐在所へ出頭した。
教会の二人も、別の部屋で事情を聞かれた。
エルドは勇者のなおも引き渡しを求めた。
駐在所の責任者は、それを決める権限がないと答えた。
セレスティアが帝都へ向かう許可も、勝手には取り消せないという。
その夜は、全員が宿場に留まった。
翌日の昼になって、帝都から返事が届いた。
二人は帝都に到着次第、外務府へ出頭。改めて事情を説明すること。
帝国兵二名が同行すること。
教会への身柄の引き渡しは、認められない。
「護衛です」
同行する兵が言った。
レオンが聞く。
「監視も?」
「はい」
「正直ですね」
ロ=マジクと、教会の二人は宿場に残った。
まだ聞き取りが続くという。
出発する時、エルドが道へ出てきた。
「神殿へ来てください。お待ちしています」
セレスティアは、すぐには答えなかった。
「今は、皇帝に会うのが先」
エルドは、道を塞がなかった。
帝都ヴァレリアまで十二日。国境近くでの戦闘の話は、本人たちより早く帝都へ着いた。
「皇帝、怒ってるかな」
レオンが聞いた。
「知らない」
「昔なら?」
「怒ってた」
「何回くらい?」
「たくさん」
「雑になってきたな」
皆様ここまで読んでいただきありがとうございます。
拙い文章ではありますがお楽しみいただけたでしょうか?
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、評価、いいねをよろしくお願いします。
作者のやる気が漲ります!




