神も勇者に問いたい
帝国の旗が泥の上に落ちていた。
踏み越えた兵の靴が金糸で縫われた紋章を隠す。
その向こうで、誰かが勇者の名を呼んでいた。
声は一つではなかった。
折れた槍を掲げる者も、隣の兵を抱いて泣く者もいた。
セレスティアは剣を下げた。
指が柄に貼りついていた。自分の血なのか、ほかの誰かのものなのか、分からない。
勝った。
これで、王国へ向かう軍は止まる。
そう思ったところまでは覚えている。
風が変わった。
旗が逆向きにはためき、足元の灰が浮いた。
歓声の中から、一人の声だけが高くなる。
セレスティアは空を見た。
黒銀の翼が、煙を押し分けていた。
「下がって!」
誰へ叫んだのか。
近くにいた兵か、後ろの誰かか。
夢の中では、顔が見えなかった。
金の目だけがはっきりと見えた。
竜の喉に光が灯る。
セレスティアは剣を突き出し、その前へ幾重にも障壁を重ねた。
炎が来た。
足が地面へ沈む。
剣を握る右手から感覚が消えた。支えに添えた左手も。
障壁の向こうで鎧の留め金が弾ける。
押し返さなければ。
後ろに、まだ人がいる。
腕が上がらなかった。
炎が途切れた時、竜の身体はもう横を向いていた。
巨大な尾が、地を払ってくる。
低い、と判断した。
跳ぼうとした。
尾の先が、持ち上がった。
首を飛ばされ、視界が横へ回った。
剣を握ったまま立つ自分の身体が、遠ざかる。
*
車輪が石を踏んだ。
セレスティアは息を吸い、背を起こしかけた。
両腕に痛みが走る。
「セラ」
肩へ手が触れた。
彼女は反射的に身を引き、馬車の壁へ背をぶつけた。
レオンが、手を止めていた。
「……ごめん」
「いや。腕、ぶつけた?」
首を振る。
窓の外に、畑が見えた。
空は青かった。兵も、竜もいない。
レオンは膝からずれたクッションを持ち上げた。
「戻すぞ」
頷くと、包帯に触れないよう、腕の下へ差し入れてくれた。
痛みが少し引いた。
セレスティアは喉を動かした。唾を飲み込めた。
「夢?」
「うん」
「前の?」
「……竜王に、殺された時の」
レオンの目が腕へ落ちた。
「そこも?」
「焼かれた」
彼は何か言いかけ、窓へ顔を向けた。
「ケネスさん。次、止まれるところで休めますか」
前から返事があった。
セレスティアは彼の袖を見た。掴もうとして、指を動かすのをやめた。
「もう、大丈夫」
「俺も降りたい。ずっと座ってると尻が痛い」
レオンは座り直した。
しばらくして、馬車が速度を落とす。
窓の向こうを、レイモンの馬が通った。
彼は二人を確かめ、先の木陰を指さした。
セレスティアは目を閉じなかった。
止まるまで、窓の縁を見ていた。
*
聖都アステリアへ着いたのは、それから数日後の朝だった。
門を抜けた馬車が、坂の途中で止まる。
鐘が鳴っていた。
荷車を押す男が足を止め、露店の女が釣り銭を握ったまま胸へ手を当てる。客も急かさなかった。
丘の上に七つの神殿が並んでいる。
白い壁の下を、巡礼者の列がゆっくりと登っていた。
「ここからは歩くか」
ケネスが扉を開けた。
レオンが先に降り、セレスティアへ手を貸す。
彼女は肘を支えられながら、段へ足を置いた。
「セレスティア殿」
坂の上から、白い外套の男が下りてきた。
エルド・ヴァイス。その後ろにはリディア・セルトがいた。
セレスティアが足を止める。
エルドも数歩手前で止まった。
騎士の列はなかった。巡礼者が追い越すたび、リディアは坂の端へ身を寄せた。
「帝国から連絡を受けました。施療院へご案内します」
ケネスが紹介状を渡した。
リディアは封を確かめ、包帯の巻かれた両腕へ目を向けた。
「道中、傷が開いたことは」
「少し。昨日は大丈夫」
レオンが薬の包みを出す。
使った量を尋ねられ、セレスティアより先に答えた。
「ミレアにも会いたい」
セレスティアが言った。
エルドは紹介状から顔を上げた。
「神殿長へお伝えします」
「叙任は受けない」
「まずは、傷の手当てを」
レイモンが馬の手綱を引き寄せた。
一行が坂を上り始めると、遅れていた巡礼者たちも歩き出した。
鐘の音は、まだ続いていた。
*
施療院の一室には、湯と清潔な布が用意されていた。
高位神官が包帯をほどく間、レオンは薬師へ帝都でもらった薬を渡した。
「指を動かせますか」
セレスティアは人差し指を曲げた。
途中で止まる。
神官は手首から肘へ、触れるか触れないかの距離で指を滑らせた。
「ご自身でも修復を?」
「少しずつ」
「今日は、私に任せてください」
レオンが椅子を寄せた。
神官は両手を傷の上へかざした。
低い祈りとともに、白い光が包帯の跡を照らす。
セレスティアの肩が強張った。
レオンは何かを聞こうとして、神官の額に汗が浮いているのを見た。
光は、すぐには消えなかった。
終わった時、セレスティアは長く息を吐いた。
膝へ置いた手の指が、ゆっくりと曲がる。
「動く」
「握り込まないで。その先は、明日です」
神官は薬師から布を受け取った。
「深く傷んだ魔力の通り道を整えています。表面が塞がっても、強い術を使えばまた傷みます。数日は通っていただきます」
「治る?」
「今の経過なら。ただし、途中で無茶をしなければ」
レオンがセレスティアを見た。
彼女は神官を見たまま頷いた。
レオンの手も診てもらった。
擦り傷はほとんど塞がっていたが、薬師は一本ずつ指を動かさせた。
その間、ケネスとレイモンは廊下で待っていた。
治療が終わると、二人は帝都へ戻ると告げた。
「もう帰るんですか」
「引き継ぎは済んだからな」
ケネスが答える。
レイモンは宿の場所を書いた紙を渡した。施療院へ歩いて通えるよう、近くを押さえてくれていた。
「ここなら、朝市も近い」
「まだ言います?」
「朝飯なら、今度は自分で行けるぞ」
レオンは紙を受け取り、頭を下げた。
「ありがとうございました」
セレスティアも二人を見た。
「主任たちに、治療が始まったって伝えて」
「承知した。陛下にも」
「うん。ありがとう」
ケネスは一度頷いた。
レイモンが手を上げる。
二人の背中が回廊の角を曲がるまで、レオンは見送っていた。
*
神殿長との面会は、食事と休息を挟んだ午後になった。
白髪を短く切った、小柄な老人だった。
皇帝の身元証明と治療の紹介状を読み、帝都の負傷者たちの様子を尋ねた。
セレスティアが答える間、書記が筆を動かしていた。
炉を止めた者の名ではなく、今も治療が続いていることや、水路の設備が動いていないことを書き留めている。
「ミレアに会いたい」
話が一区切りつくと、セレスティアは言った。
神殿長は書記へ紙を返した。
「願いは承った。だが、私が会わせると約束できる方ではない」
「呼びかけて」
「礼拝のたびに、我々は祈りを捧げている」
「その祈りじゃなくて。私が話したがっていると、伝えてほしい」
扉の脇にいたエルドが口を開いた。
「セレスティア殿。神殿長は――」
「よい」
老人が止めた。
セレスティアの顔を、改めて確かめる。
「御姿を拝したことがあるのか」
「ある」
「夢や、神託の中で?」
「直接」
老人は問いを重ねなかった。
「お伝えはしよう。お応えになるかは、御心による」
「それでいい」
「叙任についても、話をせねばならぬ」
「受けない」
「まだ、何も説明しておらぬが」
「前に聞いた」
レオンは隣で息を吐いた。
神殿長は、両腕の包帯を見てから書類を閉じた。
「では、今日は治療を優先しよう。明日の施療も、遅れずに受けるように」
そこには礼を言い、二人は客間を出た。
*
翌朝、レオンは宿の階段でセレスティアを待った。
片手には薬袋、もう片方には、昨夜書き始めた紙を持っていた。
「何それ」
「聞くこと。忘れそうだから」
セレスティアが覗き込む。
最初の行には、大きく《天命》と書いてあった。
「俺の、何も出なかっただろ」
「うん」
「珍しいのか、何か困るのか。神様なら分かるかなって」
その下に、《前にはいなかった》とある。
セレスティアは紙から目を離した。
「気になる?」
「なるだろ。俺は、ずっとあの村で暮らしてたんだから」
レオンは紙を畳んだ。
怒っている声ではなかった。
「父さんも母さんもいる。近所の人も俺を知ってる。でも、お前は知らなかった」
「今回は、知ってる」
「そうだけどさ」
セレスティアは階段を一段下りた。
「ミレアにも、分からないかもしれない」
「うん。まず聞く」
二人は施療院へ向かった。
前日はレオンが開けた扉を、その朝はセレスティアが押した。
治療は数日続いた。
神官は傷へ光を当てるたび、本人にも指を動かさせた。前より曲がるようになっても、握り込むことは許されなかった。
レオンは薬の名と使い方を覚え、セレスティアは、いつになったら剣を持てるかを毎日聞いた。
三日目、リディアが治療室へ迎えに来た。
「ミレア様から、お言葉がありました」
神官が手を止める。
彼女は続ける前に、呼吸を整えた。
「あなたの経験を聞く、と」
セレスティアは顔を上げた。
「私の?」
「はい。同行する者も、と仰せです」
レオンは自分を指した。
リディアが頷く。
「顕現の儀を執り行います。明後日の朝、お二人で大聖堂へ」
神官が椅子から立ち上がった。
胸へ手を置き、深く頭を垂れる。
レオンはリディアを見た。
「そんなに、珍しいことなんですか」
彼女は、すぐには返事をしなかった。
「私は初めてです。御姿を拝するのは」
「神殿長も?」
「私からは申し上げられません。ただ、ほとんどの者は、生涯一度も」
治療室の外で足音が止まっていた。
開いた扉の向こうにいた薬師が、声を掛けずに下がっていく。
セレスティアは、腕を診ていた神官へ向き直った。
「それまでに、治る?」
「……経過は順調です」
「じゃあ、続きお願い」
神官は椅子へ座り直した。
両手をかざす前に、もう一度だけ、リディアへ顔を向けた。
*
前日の夕方、最後の包帯が外れた。
指を開く。
握る。
手首を返しても、もう深い痛みはなかった。
肌に残った赤い跡へ、神官が薄く薬を塗った。
「旅には戻れます。ただし、大きな術はまだ控えてください。痛みが戻れば、その日は休むこと」
「剣は?」
「抜いて確かめる必要はありません」
「まだ何もしてない」
「今、そちらをご覧になりました」
レオンが笑った。
セレスティアは腰から手を離した。
礼を言って廊下へ出ると、隣の部屋から声が聞こえた。
「リュカ・ベルノー。また傷を閉じられなかったのか」
「すみません。先生を呼んできます」
「私はここだ。まず、替えの布を持ってきなさい」
若い神官が出てきた。
棚から布を取ろうとして一枚落とし、慌てて拾う。
セレスティアに気づくと、道を塞いだと思ったのか頭を下げた。
彼女は脇へ寄り、彼が戻るのを見送った。
「知り合い?」
「向こうは知らない」
口元が少し緩んでいた。
レオンはそれ以上聞かなかった。
宿へ戻る途中、防寒用の外套と、道中の食料を買った。
治療が済んだら旅へ戻るつもりだった。まだ行き先は決めていなかったが、季節が進んだことは朝の寒さで分かった。
その夜、荷物をまとめたレオンが尋ねた。
「神様に会う時って、何を着るんだ?」
「服」
「それは着るよ」
「今のでいい」
「失礼じゃない?」
「洗ってあるでしょ」
レオンは袖を確かめた。
炉の救護でついた染みは、薄く残っていた。
セレスティアはその手元を見てから、自分の剣を寝台の横へ立て掛けた。
*
大聖堂の正面扉は、まだ閉まっていた。
リディアの案内で脇の入口を通る。
普段なら掃除をする者や礼拝を待つ者がいる広間に、その朝は誰もいなかった。
磨かれた床を、二人の靴音が横切った。
奥の扉で、エルドが待っていた。
「剣を。お預かりします」
セレスティアは、男の差し出した両手を見た。
少しして、剣帯を外す。
レオンも続いた。
手渡した後で、腰が妙に軽くなった。
聖域は、円形の広間だった。
中央には低い石壇があり、その上に銀の天秤が置かれている。
皿には何ものっていない。
壁際を囲む燭台の火が、水を張った浅い溝へ映っていた。
神殿長は石壇の前に立っていた。
白い祭服の裾を整え、二人の立つ場所を示す。
リディアとエルドが、少し後ろへ控えた。
祈りが始まった。
レオンには意味の分からない言葉が続く。
神殿長の声は低かったが、最後の席まで届くように通った。
セレスティアは祭壇を見ていた。
眠そうでも、不機嫌でもない。
その横顔を見て、レオンも前へ向き直った。
銀の皿が、一度だけ触れ合った。
風はなかった。
燭台の炎が、すべて同じ高さになった。
レオンは息を吸おうとした。
吸える。
足も動くはずだった。
それでも、次の動作を自分で始めることが、ひどく難しかった。
祭壇の奥に、何かがいる。
何もなかった場所を、誰かの領域として感じた。
見上げてはいけない気がした。
同時に、目を逸らすこともできなかった。
神殿長の祈りが止まる。
エルドの膝が床についた。
鎧の音が一つ響き、リディアも頭を垂れた。
金の髪が見えた。
白い衣。その襞には、燭台の火が影を作っていない。
額にある第三の目が開いた時、銀の天秤が静まった。
天秤神ミレア。
神殿長が跪いた。
声を発しようとして、深く息を整える。
その前に、セレスティアが言った。
「会えたね」
レオンは彼女を見た。
彼女も手を握っていた。治ったばかりの指を、ゆっくりと開く。
『セレスティア・ルーン』
名前が響いた。
耳で聞いたのに、どこから聞こえたのか分からない。
『そちらの者と、ここへ』
セレスティアが進む。
レオンもついていこうとして、一歩目で足がもつれた。
彼女は振り返らず、歩調だけを緩めた。
ミレアは神殿長へ目を向けた。
『しばらく、二人と話します。外で待ちなさい』
老人は顔を上げなかった。
「承りました」
エルドとリディアが立つ。
神殿長は祭壇へ礼をした後、二人に支えられることなく扉へ向かった。
扉が閉じた。
銀の天秤を挟み、三人だけが残った。
*
「私を覚えてる?」
セレスティアが尋ねた。
『この世界で、あなたとこうして話すのは初めてです』
「前の世界は」
『覚えていません』
「百二回、戻ってることは?」
『知っています』
「覚えてないのに?」
ミレアはセレスティアの胸元へ視線を向けた。
『あなたには、この一度の生だけでは説明できないものが積み重なっています。記憶、力。そして、世界核との深い結びつき』
「世界核」
レオンが繰り返した。
ミレアの目が彼へ移る。
『この世界の根幹にあるものです』
「セラは、そこにつながってるんですか」
『ええ。それは捉えられます。ですが、なぜその結びつきが生じたのか、なぜあなたが繰り返すのかは、まだ分かりません』
レオンはセレスティアを見た。
彼女はミレアを見つめていた。
「分からないのに、私に世界を救えって頼んだの?」
ミレアの目が細くなった。
怒りではなかった。
セレスティアの言葉を、聞き直すような間だった。
『終焉に備えよ、と告げました。世界を救えとは、言っていません』
レオンは、村の神殿を思い出した。
鑑定を受けた日。
セレスティアに向けられた声と、その後の騒ぎ。
「……神官たちは、そう言ってた」
セレスティアが言った。
「王都へ行って、剣を受け取って。人を救って、魔王を倒して。世界を救うんだって」
『それが、私の言葉として伝えられたのですか』
「あなたたちの神託だからって」
『そのように伝えていることは、知りませんでした』
返事は明瞭だった。
セレスティアは唇を結び、やがて尋ねた。
「じゃあ、何に備えればよかったの」
『それを確かめるため、あなたの経験を聞こうとしています』
「答えを知って、言ったわけじゃない?」
『あなたが百二回の試行を経て、なおここにいる。それを捉えた上で告げた言葉です。あなたの経験した終わりを、私自身が覚えているわけではありません』
レオンは紙を出しかけて、やめた。
セレスティアの横顔を見た。
「人を救っても、世界は終わった」
彼女は言った。
「戦争を止めても。止められなくて、勝った時も。私が何か間違えたからだと思った。まだ、やることがあるからだって」
『人を救ったことと、終焉を防ぐこと。その二つが同じ結果へ至るとは、私は示していません』
「……ずいぶん、違う話になってるね」
ミレアは否定しなかった。
『私が告げたことと、あなたが求められたことには隔たりがあります。その点は、確かめねばなりません』
セレスティアは床へ目を落とした。
腕を組みかけ、まだ赤い傷を見てやめる。
レオンが口を開いた。
「セラがやってきたことのうち、何が終わりに関係してたのか。それも、まだ分からないんですか」
『ええ』
「だったら、聞いてください。セラが話してる途中で、俺にも分からないことがあったら聞きます」
ミレアが彼を見る。
レオンは背筋を伸ばした。
『そのために、二人をここへ招きました』
セレスティアが隣を見た。
レオンが頷くと、彼女は祭壇へ向き直った。
「どこから聞きたい?」
『世界が終わる時、何が起きるのか。あなたが見た順に話してください』
*
「白くなる」
セレスティアは言った。
「燃えるんじゃない。暗くなるんでもない。遠くが消えて、近くも消えて。最後は、何も見えなくなる」
ミレアは、途中で口を挟まなかった。
セレスティアは自分の覚えている終わりを、いくつか選んで話した。
立っていた場所。
その時、そばにいた者。
逃げようとしたこと。
何かにしがみついても、次には同じ春へ戻っていたこと。
語るうちに順番が曖昧になる箇所もあった。
ミレアは周回の番号を無理に求めず、見たことと後から考えたことを分けて尋ねた。
「最後に、いつも同じ女が現れる」
セレスティアが言うと、ミレアの第三の目が彼女へ向いた。
「黒い髪で、白い目。白くなる前には、そこにいる」
『その者は、何をしていましたか』
「立ってる」
『あなたへ、何かを告げましたか』
「何も」
「セラからは?」
レオンが尋ねた。
「聞いたよ。誰なのか、何をしてるのか。止めてとも言った」
「返事は」
「なかった」
彼女は腰へ手をやった。
剣は預けていた。
指を離し、そのまま続ける。
「斬ったこともある。魔法も使った。届かなかったわけじゃない。手応えもあった」
『傷を負いましたか』
「斬った、その時は。でも、次に見たら元のまま立ってた」
「治した?」
「分からない。治してるところは見えなかった」
ミレアが尋ねた。
『相手は、あなたへ何をしましたか』
「何も」
『攻撃も?』
「一度も。避けもしない。私が何をやっても、そこにいる」
レオンは、祭壇の石へ置いた自分の指を見た。
握りしめているのに気づいて、開いた。
「それで、白くなる?」
「うん」
『その者が、世界を白く消すところを見たのですか』
セレスティアはミレアを見た。
「手を上げたり、術を使ったりってこと?」
『それに限りません。あなたが、その者の行為として確かめたことを聞いています』
「……それは、見てない。でも、最後にはいる。何度も」
『ならば、終焉と強い関係があると考えるのは妥当です』
ミレアの返事に、セレスティアの肩からわずかに力が抜けた。
『ただし、その者が終焉を起こしているのか、別の役割を負ってそこにいるのか。今の話だけで、私は決められません』
「終焉を司る神って、いるの?」
ミレアは、セレスティアを見た。
『私の知る神々に、その役割を持つ者はいません』
「じゃあ、あの女は神じゃない?」
『私は、その者を見ていません。あなたの話だけで、何者なのかまでは判断できません』
セレスティアは少し考えた。
「あなたたちの誰かなら、何か分かるかと思った」
『今聞いた特徴に、思い当たる者はいません』
ミレアは、彼女へ問いを返した。
『あなたは、ほかに何を試しましたか。終わりを変えるために』
*
セレスティアはいくつかの周回について話した。
魔族との戦い。王国と帝国。人を集めたこと。別々に動いたこと。
同じ場所で同じ者を救っても、その先が違った。
前には助かった者が死ぬこともあった。
レオンが知っている名も出たが、今ここにいる者たちの話と、同じようには聞けなかった。
「あなたを斬ったこともある」
セレスティアが言った。
レオンは顔を上げた。
ミレアは姿勢を変えなかった。
『どこで』
「あなたたちがいる場所。こっちへ来てもらった時じゃない」
『そこへ、どうやって至りましたか』
「ガルヴァルドと一緒に」
『竜王と』
初めて、ミレアが名ではなく相手の地位を確かめた。
「九十六回目くらい。あの時は、仲間だった」
「竜王って、馬車で話してた……」
「私を殺した相手。別の周回では」
レオンは口を閉じた。
セレスティアは、驚いた彼を少し待った。
「何をしても駄目だったから。あなたたちがいなくなれば、変わるかもしれないと思った」
『私たちの作用を、世界から取り除こうとしたのですね』
「そう。ガルヴァルドも賛成した」
話す声は平らだった。
「あなたの前に、二人いた。一人は灰色がかった、茶色の肌の女。腕が六本あって、指は三本ずつ」
セレスティアは自分の背の向こうを指した。
「背中に、大きな蛇が輪になって浮いてた。自分の尾を噛んでるの。輪は動かないのに、鱗だけがゆっくり巡ってた」
『デメテルです。大地を司る神』
「もう一人は、水みたいな身体だった。中に白い顔があって、位置が変わる。どこが頭なのかも分からなかった」
レオンは祭壇を囲む水へ目を落とした。
「それが、動くのか」
「うん。ずっと流れてるのに、水の音はしなかった」
『アナヒタ。水を司る神でしょう』
セレスティアは頷いた。
「その二人と戦った。私と、ガルヴァルドで。斬ったら、どちらも姿が消えた」
「それから?」
「あなたが来た」
ミレアを見て言う。
「ガルヴァルドを殺した。前の戦いが終わった、すぐ後。私が気づいた時には間に合わなかった」
「セラ」
レオンが呼ぶ。
彼女は手を小さく上げた。
「その後で、あなたと戦った。斬ったら、あなたも姿を失った」
ミレアは最後まで聞いた。
『その後の世界を、確かめましたか』
「戻る前に終わった」
『では、斬ったことで何が起きたかは、見ていない』
「うん」
銀の天秤の皿へ、ミレアが目を向けた。
『姿を失ったのであれば、おそらく役割が分かれたのでしょう』
「分かれた?」
『一柱が担っていたものが、より小さな領域へ分かれる。それぞれを担う神が生じることがあります』
「神様が増えるんですか」
レオンの声に、ミレアは頷いた。
『同じ姿を保つことだけが、私たちの存続ではありません。私を斬ったことと、私の担う作用をなくしたことは、同じではない』
「だから、意味がなかったって?」
『あなたが望んだ変化には、その手段では至りません』
セレスティアは、しばらく天秤を見ていた。
「そういうことにしておく」
それだけ言った。
謝らなかった。
ミレアも、謝罪を求めなかった。
レオンは二人を交互に見た。
何もなかったように次の話へ進める気にはなれなかったが、今ここで、見てもいない戦いについて何を言えるのかも分からなかった。
セレスティアが彼を見た。
「聞きたいこと、あったでしょ」
レオンは懐へ手を入れた。
紙の折り目を開く。
何度も書き直した最初の言葉が、そこにあった。
*
「俺の天命について、聞きたいです」
ミレアの目が、正面から彼を捉えた。
セレスティアを見ていた時とは違い、三つの目すべてに自分が映っている気がした。
「村で鑑定を受けた時、何も書かれていませんでした。どういうことなんですか」
『鑑定の誤りではありません』
「本当に、ない?」
『私たちには、あなたの天命を読み取れない。そこまでは言えます』
「ないのと、違うんですか」
『見えないものを、存在しないと断じることはできません』
レオンは紙を見た。
書き足そうとして、筆を持ってきていないことに気づいた。
「ほかにも、そういう人はいるんですか」
『少なくとも、今の私があなたと同じものとして説明できる例はありません』
レオンの指が紙の端を押さえた。
その動きを、セレスティアが見ていた。
「あと、セラが言うには、前の世界に俺はいなかったそうです」
ミレアはセレスティアへ問いかけた。
『会わなかった、ということですか』
「同じ村の、同い年だよ。子供の顔なんて、みんな知ってる」
『今は、どのような関係にありますか』
「小さい頃から、一緒に育ったことになってる」
レオンが彼女を見る。
セレスティアは言い直した。
「過去の周回の私は知らない。だけど今の私は一緒に育ったことを覚えている。レオンや村の人たちも」
「俺にも、ちゃんとあります。セラと遊んだことも、喧嘩したことも」
ミレアは、どちらの言葉も遮らなかった。
『以前の村にはいなかった者が、今回はその村で育っている。そして、その者の天命を私たちは読めない』
二つの事実を、確かめるように述べる。
『無関係と決めるより、共通する原因を疑います』
「どういう原因ですか」
『セレスティアの周回に関わるものが、あなたの出現にも関わっている可能性があります』
「世界核?」
レオンが尋ねると、ミレアは頷いた。
『ただし、なぜ今回なのか、なぜあなたなのか。それを説明するものは、まだありません』
セレスティアは、ミレアの言葉を聞いていた。
レオンが紙を畳むと、そちらを見る。
「大丈夫?」
「……うん。分かったことと、分からないことは、分かった」
うまく言えなかった。
セレスティアは笑わなかった。
レオンはもう一度、ミレアへ顔を向けた。
「その世界核って、どこにあるんですか」
*
ミレアは、すぐには場所を答えなかった。
『かつては、私たちもその所在を知っていました』
「今は?」
『古く、竜によって封じられました。そこへ至る道も、所在を捉える術も。今の私たちには、あなたへ場所を示せません』
セレスティアが顔を上げた。
「竜が?」
『ええ』
「ガルヴァルドがやったの?」
『今の竜王が生まれるより、はるかに前のことです』
黒銀の鱗。
神界で、セレスティアの前へ出た大きな背。
馬車の夢で最後に見た尾とは、別の記憶だった。
「今の竜族は、その封印を知ってる?」
『何を継いでいるか、私は保証できません』
「神々でも解けないの」
『長い間、私たちは世界核へ近づけずにいます』
セレスティアは、それ以上問い詰めなかった。
レオンは彼女の顔を覚えておこうと思った。
竜の名が出てから、考えることが一つ増えた顔だった。
「神様も、世界核がないと困るんですか」
ミレアがレオンを見る。
「俺、神様が世界を作って、全部知ってるんだと思ってました。何もかもできるとは、思ってなかったけど」
村の神官に聞いた話を思い返す。
自分が勝手にそう受け取った部分も、あるかもしれなかった。
「神様って、何なんですか」
ミレアは天秤へ手をかざした。
皿は動かなかった。
『それぞれに司る事象を持ち、世界へ作用する存在です。私は契約と裁定に関わる。生きる者が何を重んじ、何を正しいと感じるか。その奥深くへ働きかけることもあります』
「人に、こうしろって思わせる?」
『あなたの一つ一つの選択を、私が決めているわけではありません。影響することと、すべてを意のままにすることは違います』
レオンは神殿長の祈る姿を思い出した。
同じ神に仕えていても、エルドとリディアの言うことはいつも同じではなかった。
『世界核は、世界のあり方を私たちへ示していました。変わり続ける世界に、どのような状態が望まれるのか。私たちは、それぞれの役割を通じて働いた』
「それが、聞けなくなった」
『ええ』
「今は、どうしてるんですか」
『自ら判断しています』
ミレアの声は変わらなかった。
誇るようでも、困っているようでもない。
『命は、同じ過ちを繰り返すことがあります。自ら争いを起こし、失わずに済んだものまで失う。それでも、私たちが整えようとした道から外れた先で、思いもよらぬ生を営むこともある』
彼女の視線が、二人の間を通った。
『長い間、それを見てきました』
「昔の指針が戻ったら、戻したいですか」
レオンが尋ねた。
ミレアは、今度は間を置いた。
『その答えは、まだ出していません』
レオンは頷いた。
自分の村よりも、王国よりも、ずっと長い時間をかけて考えている相手が、目の前にいる。
答えがないという言葉だけで、同じようには扱えなかった。
*
「ほかの神様にも、聞けますか」
レオンの問いに、セレスティアが顔を向けた。
『取り次ぐことはできます。ただ、あなた方の言葉で意思を通わせられるかは、分かりません』
「ミレア様が話してくださるみたいには、いかない?」
『神々は、もともと人と問答を交わすための存在ではありません』
セレスティアが口を挟んだ。
「試したことはあるよ」
「そうなのか」
「返事なのかも分からなかった。何か起きても、私に向けたものなのか、それも」
「話せたのは?」
「ミレアだけ」
レオンはミレアへ向き直った。
「神様同士なら、分かるんですか」
『大まかな意思は伝わります。ですが、今あなたがした問いを、そのまま別の神へ渡し、同じ形の答えを持ち帰れるとは限りません』
レオンは、他の神に聞く、という紙の余白を指でなぞった。
そこに答えが並んでいくように考えていた。
そういう相手ではないらしかった。
『今回、私にもあなた方へ聞くことがありました』
「セラの、終わりの話」
『ええ。私にはない経験です』
ミレアがセレスティアを見る。
『封印以来、世界核の気配をこれほど深く捉えたことは、長くありませんでした。あなたの結びつきは、私たちにとっても確かめるべきものです』
「私を調べたい?」
『今、聞いたことから、頼みたいことがあります』
セレスティアは返事をせず、続きを待った。
『世界核に、接続してほしい』
レオンは彼女を見た。
セレスティアは天秤を挟んで立ったまま、ミレアへ尋ねる。
「どこにあるかも分からないのに?」
『至る方法を、今ここで与えることはできません。あなたに既にある結びつきが、その手掛かりとなる可能性はあります』
「つながって、何をするの」
『今の私たちのあり方を、是とするか、否とするか。それを問うてほしい』
セレスティアは眉を寄せた。
「あなたたちのこと?」
『そうです』
「世界を戻してほしいとかじゃなくて」
『私は、私たちが長く自ら判断してきたことを、どう捉えるか聞きたい』
レオンが尋ねた。
「駄目だって言われたら、やめるんですか」
『何を否とするのか。その答えを聞いてから、私が判断します』
セレスティアが少し顎を上げた。
「従うために聞くんじゃないんだ」
『聞いたことを、どう受け取るかまで預けるつもりはありません』
ミレアは、二人を見ていた。
『あなた方は、自分たちについて問いたいのでしょう』
「うん」
『その機会が得られたなら、私の問いも携えてほしい』
セレスティアはしばらく考えた。
レオンへ目を向ける。
彼も、まだ何も言えなかった。
「保留」
『理由を聞いても?』
「どこにあるか分からない。つながるって、何をするのかも分からない。行った先で何が起きるかも」
彼女は、治った腕を持ち上げた。
「会えたら、その時に考える。今は約束しない」
ミレアの第三の目が、静かに閉じた。
『承知しました』
命令に言い直すことはなかった。
セレスティアも、それ以上の返事はしなかった。
*
扉の外で、衣擦れの音がした。
レオンは振り向いた。
どれほど時間が過ぎたのか、分からなかった。
ミレアが尋ねる。
『ほかに、今聞いておきたいことはありますか』
レオンは紙を開いた。
天命。
前にはいなかった。
最初に書いてきた二つを、指で押さえる。
答えが出たわけではなかった。
それでも、何を尋ねたいのかは、来る前よりはっきりしていた。
セレスティアが言った。
「ある」
『何でしょう』
「神殿長たちに、説明して」
『何をですか』
「世界を救えとは言ってないって話。終焉に備えろって言っただけで、やり方まで教えたわけじゃないって」
ミレアはセレスティアを見た。
彼女も見返した。
「私が言ったら、また長くなる。神託をどう受け取るかとか、勇者の務めとか」
『あなたが伝えても――』
「あなたの言葉でしょ。あなたから言って」
レオンは紙を畳んだ。
今、手伝えることがあるなら、笑わないことだった。
ミレアの視線が扉へ向く。
『確かめるべきことだとは、申し上げました』
「じゃあ、お願い」
声が明るくなった。
レオンは横を見た。
セレスティアは、もう半分扉へ向いていた。
『二人は、ここでの話をどう扱うつもりですか』
彼女は足を止めた。
「全部話して回るつもりはないよ。私たちのこともあるし」
「皇帝には、治療が済んだことと、会えたことは知らせます」
レオンが付け加えた。
ミレアは頷いた。
『では、外の者たちを呼んでください』
セレスティアは一礼した。
レオンも慌てて頭を下げる。
「ありがとうございました」
「またね」
同じ相手への挨拶とは思えなかった。
扉へ向かいながら、レオンは最後に振り返った。
銀の天秤は、初めから終わりまで釣り合っていた。
その奥に立つ神は、まだこちらを見ていた。
*
扉を開けると、神殿長が振り向いた。
老人の背後には、エルドとリディアがいた。
朝と同じ姿勢で待っていたのか、エルドは一度だけ肩を動かした。
「何をお話しになった」
神殿長が尋ねた。
セレスティアは身を引き、扉の内側を示した。
「ミレアが呼んでる。神託のことで、話があるって」
神殿長の目が、彼女から祭壇へ移る。
返事をする前に、祭服の襟元を整えた。
「お二人は、こちらでお待ちください」
エルドが言った。
セレスティアは頷かず、彼の脇に置かれた二本の剣を指した。
「先に、返して」
「……承知しました」
剣を受け取る間に、神殿長が聖域へ入った。
リディアが続く。
エルドも扉へ向かいかけたところで、セレスティアが小声で尋ねた。
「出口、こっちだよね」
「正面の広間へ出られますが、まだ――」
「ありがとう」
彼女が歩き出す。
レオンも剣帯を締めながら追った。
背後で、神殿長の声がした。
「御前にて、お言葉を賜ります」
セレスティアの歩調が速くなった。
レオンは何も聞かず、それに合わせた。
*
大聖堂の脇の扉を出ると、朝より高くなった日が顔へ当たった。
広場には巡礼者が集まっていたが、二人を呼び止める者はいない。
坂を一つ下ったところで、レオンが声を掛けた。
「セラ。竜族に、話を聞きに行けないかな」
セレスティアが振り返る。
「世界核を封じたのが竜なら、神様たちとは違うことを知ってるかもしれない」
「今の竜たちが知ってるとは限らないよ」
「うん。でも、ほかに聞ける相手も、まだ思いつかない」
レオンは懐の紙へ触れた。
何も出なかった天命も、彼女の知る村に自分がいなかったことも、答えは出ていない。
「俺のことも、お前が戻ってることも。世界核に関係があるなら、もう少し知りたい」
セレスティアはしばらく彼を見ていた。
「竜の谷なら、行ける。道は知ってる」
「そこにガルヴァルドがいる?」
「うん」
「会ってくれるかな」
「それは、向こうに聞かないと」
返事は淡々としていた。
共に神へ挑んだ相手の名を出しても、表情は変わらなかった。
「今回は、私のことを知らないから」
「……そうだったな」
レオンは頷いた。
「どうやって行くんだ?」
「山裾までは街道。その先は歩く。谷へ続く道がある」
「俺でも通れる?」
「険しいけど、登れない道じゃない。外へ出る竜たちも使ってる」
「竜が、歩いて?」
「人の姿でね」
レオンは彼女の顔を見直した。
「人になれるのか」
「それだけの力があれば。谷にいる成竜は、みんなその姿で暮らしてる」
「……それは、先に聞けてよかった」
翼と鱗に囲まれるつもりでいた。
人の姿だと聞いても、安心してよいのかは分からなかった。
「近づいたら、教えてくれ。知らずに失礼なことをしたくない」
「分かった」
セレスティアが坂の下へ向き直った。
宿の看板が見えていた。
「ミレアの頼みは、まだ保留だからね」
「分かってる。まず、俺たちが聞きたいことを聞こう」
「じゃあ、今から」
「今から?」
セレスティアが大聖堂を指した。
レオンも振り返る。
「説明が終わったら、いろいろ聞かれる」
「……荷物は、まとめてあるな」
二人は坂を下りた。
*
宿の主人は、二人が戻ってきた時刻に少し驚いた。
レオンが部屋代の残りを払い、預けていた荷袋を受け取る。
セレスティアは旅装へ着替え、すぐ階段を下りてきた。
赤い傷跡は袖の下へ隠れていた。
薬袋があるか確かめようとすると、彼女が自分から持ち上げて見せる。
「入れた」
「無理しない」
「分かってる」
「それは神様への返事より早いな」
「治してもらったから」
宿を出て、商会へ寄った。
皇帝への短い手紙には、治療が済んだこと、ミレアと対話できたこと、次は竜族へ話を聞きに行くことを記した。
詳しい話は、改めて伝える。
最後の一行までセレスティアが自分で書いた。
レオンが乾くのを待って封をする間、彼女は入口から通りを見ていた。
「追われてないぞ」
「まだね」
「逃げ出すわけじゃないんだろ」
「ちゃんと治療も終わった」
「そこじゃなくて」
商会の者へ手紙を預けると、レオンも立ち上がった。
北へ出る門では、荷車が一台、検めを受けていた。
二人はその後ろに並び、通行証を出した。
セレスティアが後ろを気にするので、レオンまで何度か振り返った。
やがて、門衛が書類を返す。
「気をつけて」
門の影を抜けたところで、レオンは息を吐いた。
新しい外套が風を受ける。
袖は折っても少し長かった。
「結局、神様にも分からないこと、結構あったな」
「うん」
「俺たちに聞きたいことも」
「うん」
セレスティアは前を見ていた。
今朝よりも歩幅が広い。
「でも、どこへ行って何を聞くかは決まった」
レオンが言うと、彼女は頷いた。
背後で、聖都の鐘が鳴り始めた。
セレスティアが肩越しに見る。
「急ごう」
「これ、いつもの鐘だろ」
「分からないでしょ」
「鐘で呼び戻すか?」
彼女は答えず、先へ進んだ。
レオンは笑いながら追いついた。
二人は竜の谷へ向け、聖都を離れた。
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作者のやる気が漲ります!




