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差し出される人





「え、なにこれ。香音(かのん)ー? これ、どういう意味?」


 会議室の前方で、大きな声が飛んだ。


 資料整理を手伝っていた陽菜(ひな)も、思わず顔を上げる。


 公式インスタの投稿を映したプロジェクターの前で、学生が数人、スマホを片手に香音を呼び寄せていた。


 ノートパソコンの前に座っていた香音が、椅子を引いて身を乗り出す。差し出されたスマホ画面を覗き込んだ途端、その目が丸くなった。


「え!? つけてない、つけてない。私、こんなの知らないよ!」


 さっきまで軽く弾んでいた空気が、そこで少しだけざわついた。何事かと学生たちが手を止め、ぞろぞろと前へ寄っていく。


 それぞれが自分のスマホを取り出す。画面が窓から差す夕方の光にちらちらと反射していた。


「なに?」

「ほら、これ」

「あ、ほんとだ」


 遅れて、陽菜もスマホを取り出す。


 プロジェクターに映し出されたのと同じ、華やかなインスタの投稿だった。見たところ、なにも変ではない。陽菜は指先でゆっくりスクロールする。投稿文もいつも通りで、その先に並ぶハッシュタグも変わらない──はずだった。


 #名残切り

 #志島(しじま)

 #志島大オープンキャンパス


 その次で、指が止まった。


 #言えないまま


 ──これ。


 背筋が、ぞくりと粟立つ。


 ──これ、知ってる。


 あのプロフィール欄に、たった一行だけ置かれていたものと同じだ。


「香音、これなんのタグ?」

「どういう意味?」


 周りが口々に言うなか、香音は勢いよく首を振った。


「知らない、つけた覚えないし。さっきノートパソコンから見たときは無かったよ」


「香音の投稿だろ、これ。誤入力?」


「でも投稿前に確認したし! 私、ほんとにこんなのつけてない」


「でも、今ついてるじゃん」


 別の学生が半ば面白がるように言うと、香音は少し苛立ったようにノートパソコンを操作し、プロジェクターを指さした。


「ほら! こっちからだとついてないじゃん!」


 言われて皆の視線がそちらへ集まる。


 公式インスタのログイン画面を映したプロジェクターには、確かにそのハッシュタグは表示されていなかった。投稿文の末尾は、#名残切り と #志島大、#志島大オープンキャンパスで終わっている。


 陽菜は、手元とプロジェクターの投影を見比べた。スマホの画面では、#言えないまま が確かに表示されている。


 ──どういうこと?


 騒ぎに気づいた西村(にしむら)が、学生のスマホ画面を覗き込みながら「ああ」と声を漏らした。


「これ、前にバズったときのやつじゃないか」


 会議室のざわめきが、一瞬だけ止まる。


「前にって、なんですか?」


 香音が振り返る。西村は顎に手を当て、記憶を辿るみたいに言った。


「名残切りってそのまま書くより、もうちょっと洒落た感じがいいって、その頃のSNS担当の子が考えたんだよ。たしか三つ、セットで使ってたな」


「三つ?」


 陽菜は思わず口を挟んでいた。


 西村はゆっくり、思い出すような間を空けて指を折る。


「『#別れの言葉は』……だったかな。『#言えないまま』『#名残を切る』、そんな感じだったと思う」


 #言えないまま。


 あのアカウントのプロフィールを見て、初めて知ったタグだ。少なくとも、自分はその語句を呟いた覚えがない。


 ──あのアカウントは、この祭りの言葉を知っている?


「当時はテキスト系のSNSでいろいろやっててね。特に盛り上がったのが、『ハッシュタグで繋がろう』ってやつだったんだ。この三つのタグをつけて、名残惜しいけど、縁を切りたいものを呟こう、ってね」


 誰かが「ふぅん」と返事をする。西村もつられるように頷いた。


「いろんな人の体験談とか、未練がましいものとかね。そういうのがけっこう受けて、祭りにも人が来た感じだったな。担当の子が、SNSの活用が得意でね」


「その担当者の人って……今は?」


 尋ねながら、自分でも少し声が硬いとわかった。

 西村が「うーん」と軽く唸る。


「もう何年も前のことだしなあ。それに彼、SNSのトラブルだかで気を病んで退学したらしくてね。ちょうど祭りの日だったかな、アカウントを乗っ取られたって騒いでたのは、私も見たよ」


「乗っ取り?」


「そうそう。なんか変な投稿が出るとかなんとかで。……サッカーやってる、まじめないい子だったんだけどねぇ」


「え、なにそれ。怖」

「娘の呪いとかだったりして」

「祟りとか?」


 場の緊張を紛らわせるためか、皆が口々に冗談めかして言った。


 陽菜は反射的に手を握りこんだ。

 あの、静かで穏やかな場所と、悼むために植えられた一本桜が頭に浮かぶ。そこで、トウヤと一緒に手を合わせたことも。


 呪いなんて。


 実際に亡くなった人がいて、悼む人がいるのに。

 名前すら残っていない娘について、なぜそこまで軽く想像ができるのか。


 けれど、この場の誰もそこに重さを置いていない。


 学生たちの行き場のないざわめきが、会議室を満たしていた。プロジェクターの前では、香音がまだ「私ほんとに知らない」と訴えている。西村が「まあまあ」と宥めるように手を振るが、誰も彼もが落ち着かないまま口を開き続けた。


「おーい、ちょっと待った! 一旦、落ち着こう」


 その空気を断ったのは、大輝(たいき)だった。

 よく通る声に、自然と皆が注目する。


「呪いなんてあるわけないだろ。俺は去年もSNS担当だったけど、変な投稿も乗っ取りも無かったし」


 さっぱりとした言い方だった。大輝はそこで、ほんの一瞬だけ陽菜のほうを見た。

 それからすぐ、画面へ向き直って続ける。


「はじめて見るタグだけど、なんか不具合とかじゃない? ログイン画面からは見れないってのもおかしいし。投稿し直してみたら?」


「ですよね……」と頷いた香音が、マウスを手に取る。

 #言えないまま がついていた投稿は、ほどなく削除された。


 それでも小声のまま、学生らのざわめきは止まない。


「昔のタグがなんで今さら出てきたんだろ」


「そもそもテキスト系で使ってたタグだろ? インスタは今年から立ち上げたんだし、やっぱりおかしくね」


「呪い」「祟り」という言葉が、また小さく、さざなみみたいに広がるのが耳に届いた。


 陽菜はその輪には入らず、黙ったままスマホの画面を見つめていた。


 #言えないまま。

 昔の担当者。

 乗っ取り。

 名残切り。


 断片が、どこかで繋がりそうで繋がらない。考えようとすると、足元が少し揺らぐような気がした。


 ◇


 会議室を出ても、耳の奥に学生たちの小声が残っている気がした。


 エレベーターに乗ると、自然と指先が二階のボタンへ伸びる。

 扉が開き、一歩、廊下へ出たところで「あ!」と声が響いた。


 廊下の向こう側からだった。


 陽菜は反射的に足を止める。スマホを片手にした男子学生が、「すみませーん!」と言いながらこちらへ歩み寄ってきていた。


 見覚えのない顔だった。

 同じ授業を取っていた記憶もない。


 ──え。誰?


 思うより先に、身が固くなる。

 男子学生の視線が、陽菜の足元へ滑った。


 胸が早鐘を打つ。


 今日もスニーカーは履いていない。それなのに、あの話題のせいで自分が声をかけられたのだと瞬時に思ってしまった。


「ちょっといい?」


 陽菜は答えられないまま、相手を見た。


「ベージュのスニーカーの──」


 怖い。

 喉がきゅっと縮む。


 けれど次に続いたのは、予想していたものとは違う言葉だった。


「前にここで一緒にいた男の人のこと、聞きたいんだけど」


「……え?」


「前、一緒にいたよね。そこの自販機のところで」


 男子学生。

 前に一緒にいた。

 自販機のところ。


 トウヤの姿が、頭の中にすっと立ち上がる。


「あの人、何年生なの? 何学部?」


 言われた意味を、すぐには飲み込めなかった。


「SNSで探されてるの、あの人じゃないかなって思って。なんか特徴、けっこう当てはまるし」


 頭の中が、すうっと冷えていく。


「ほら、いつも帽子かぶってて、図書館にいる……」


 陽菜はうまく返事ができなかった。

 心臓の音だけが大きい。


 彼が捜索投稿に重ねているのは、自分ではない。


 トウヤだ。


 そう理解した瞬間、声をかけられた怖さとは別の恐怖がせり上がった。


 すぐ後ろで、電子音が鳴る。

 エレベーターの扉が開いた気配がした。


 陽菜が振り向くより先に、男子学生が「あ」と小さく声を漏らした。


 中から出てきたのは大輝だった。

 彼は面食らった顔のまま一歩踏み出す。大輝の目が、陽菜と男子学生のあいだを静かに往復した。


「なにしてんの?」


 軽い調子に聞こえる声だった。


 男子学生は曖昧に笑う。


「いや、ちょっと聞きたいことあって」


「この子に?」


 大輝の目には、どこか険が混じっていた。


「あ……ほら。例の投稿の──」


 そこまで言いかけたところで、大輝が言葉をかぶせる。


「くだらねぇ」


 男子学生の笑顔が、少しだけ引きつった。


「別に、深い意味じゃなくて、そうかもと思って聞いてみただけだよ」


「困ってるだろ。だいたい、見つけてどうするんだよ。人の迷惑とか考えろ」


 声はどんどん低くなる。怒鳴っているわけではないのに、空気がひやりと冷えていく。


 男子学生は「悪い」と短く言い、視線を逸らした。

 それから陽菜に軽く会釈するような動きをして、そそくさとエレベーターへ乗り込む。


 大輝は扉が閉まるまで、じっとそっちを見ていた。完全に閉まり、階数表示が動き出してから、ようやく肩の力を抜いたのがわかった。


 陽菜も、やっと息を吐いた。


「……大輝先輩、ありがとうございます」


 眉を寄せたままの大輝が振り返る。


「大丈夫? なんて言われたの?」


「あ……」


 ──トウヤくんのことを聞かれた。


 そう言いかけて、喉の奥で言葉が絡まる。


 その沈黙をどう受け取ったのか、大輝の眉間の皺が少しだけ深くなった。


「靴のこと?」


 咄嗟に、小さく頷く。


「……」


 大輝は何かを考えるように黙った。それから、エレベーターホールの先──図書館の方へ目を向ける。


「行こう」


「え」


「俺も図書館に用があって。陽菜ちゃんも行くんでしょ? 彼に会いに」


 陽菜は少し迷ってから「はい」と答えた。否定はできなかった。


 二人で並んで歩き出す。さっきまでのやり取りのせいか、廊下の空気までひんやりとしているような気がした。


 図書館の自動ドアを抜ける。陽菜はすぐに、いつもの閲覧机の方に視線を向けた。


 ──いない。


 立ち止まる。奥まった席、低い書架のそば、いつもの場所に黒い帽子は見当たらない。


 陽菜の胸が小さく沈んだ。


 その隣で、大輝が苦い顔をした。


「……いないか」


 トウヤのことだとわかった。なぜ大輝がそれを気にするのかはわからない。


「陽菜ちゃん」


 呼びかけのあと、大輝は周囲に目をやった。近くに人がいないのを確かめてから、声を落とす。


「ちょっと、まずいことになってる」


「……どういうことですか」


「ここで立ち話するより、場所変えようか」


 ◇


 二人で図書館を出て、エレベーターに乗り込む。

 狭い箱の中、一階のボタンを押してから大輝はようやく口を開いた。


「さっきの奴、陽菜ちゃんじゃなくて、あの友達のことを聞いてきたんじゃない?」


「……はい」


 認めた瞬間、胸が嫌なふうに跳ねた。


 ──そう。トウヤくんのことを聞かれた。


 エレベーターがゆっくりと下降していく。

 沈黙が、妙に長い。


「前に、捜索投稿が話題になってるって言ったよね。集まってる情報が、偏ってきてる」


 電子音が鳴り、扉が開く。

 エレベーターを降りながら、大輝は言葉を続けた。


「ベージュのスニーカー、黒い帽子、図書館」


「それ……」


「陽菜ちゃんの、友達のことだろうね」


 廊下を外へ向かって歩きながらも、大輝は言葉を切らなかった。


「でも……一年生とか教授とか、情報が全然まとまってないって、友達は言ってました」


「うん。バラバラな情報も多かった。でも、今は少しずつ定まってる感じがする。……前から、ちょっとやばいなと思ってたんだよ」


「やばい……?」


「皆の反応の仕方。ただ話題に乗ってるだけっていうか。良心で捜索に協力したいっていうよりは、自分が見つけたい、噂をもとに探したい感じの」


 ゲームみたいな空気、と凛花が称していたことを思い出す。


「普通──知り合いを『あいつじゃない?』って差し出すのって、やりづらいでしょ。たとえばさ、同じスニーカーを履いてる奴を知っていたとして、それをどこの誰だって断言するのは抵抗があるだろ、知り合いなら特に」


 大輝はそこで小さく息をつき、それから陽菜の顔をちらりと見た。


「でも、図書館にいる『学部も学年もよくわからない人』なら、話題にしやすい」


 外に出ると、夕方の空気が肌に触れた。昼の熱を残したまま、どこか湿っていて重たい。


「『あの人、誰なんだろう』から始まって、『授業時間にもいるらしい』とか、『いつも帽子かぶってる』とか。そういう噂でなら、みんな気軽に口にできる」


「……」


「それを、あのアカウントが拾ってる」


 バス停が見えてきた。すでに何人か学生が並んでいる。

 大輝は列から少し離れたところで足を止めた。

 陽菜もつられて立ち止まる。


「怖がらせたくないんだけど……さっきの会議終わり、インスタで、『社会学部の女の子と一緒にいるのを見た』ってストーリーを流してる奴がいた」


「私……ですね」


「うん。だから、陽菜ちゃんに声をかけたんだろうね。あの友達のことで」


 そう言われて、胸の奥で曖昧だったものが、はっきりと輪郭を持った。


 探されているのは、トウヤ。


「……っ」


 くらくらと目眩がした。頭に手を添える。

 慌てたような大輝の顔を視界の端で捉えたが、構っていられず俯いた。


 黒い帽子。

 図書館。

 ベージュのスニーカー。


 そこへ、自分の中でもう一つの断片が重なった。


 春。

 あの粗い画像。

 なぜかトウヤを思い浮かべてしまったこと。

 そして、リポストして、呟いたあの時に──#ベージュのスニーカー という情報が定まった。


 あのとき。

 あのとき、自分が触れたから。


 ──私のせいだ。


「陽菜ちゃん、大丈夫?」


 大輝の声にはっとして、顔を上げる。


「……大丈夫です」


 ようやくそれだけ言う。大輝は眉を下げた。


「ごめん、一気に話したからびっくりしたよね。でも、今はあの図書館には行かないほうがいいと思う。彼にも、陽菜ちゃんから気をつけてもらうよう伝えて──」


 そこで大輝は言葉を止めた。


「もしかして……連絡先もわからない?」


 陽菜は小さく頷いた。大輝が小さく息を漏らしたのがわかった。


 遠くからバスのエンジン音が近づいてくる。


「……とにかく」


 大輝が言った。


「しばらくは、陽菜ちゃんも気をつけて」


 バスが止まる。扉が開く。

 並んでいた学生たちがぞろぞろと乗り込んでいくのを見ながら、陽菜は大輝に頭を下げ、一歩遅れて足を踏み出した。


 寄せられる情報から、誰かの像が固まっていく。

 その流れの中に、自分の言葉も混ざっていたのではないか。

 少なくとも、#ベージュのスニーカー が固まるきっかけは、自分だったのかもしれない。


 声をかけられた怖さとは別の重さが、胸の底へ静かに沈んでいった。



#志島大

#志島大オープンキャンパス

#名残切り

#言えないまま

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