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瞬きの中の殺人鬼  作者: なは
最終章:決着

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14/15

もう見えない

 それから二週間、映像は一度も来なかった。


 瞬きは瞬きに戻った。目を閉じて開く。暗転があって、目の前の風景が戻ってくる。ただそれだけの、当たり前の生理現象。


 日常が戻ってきた。


 仕事を再開した。撮影の依頼がいくつか入っていた。ファッション誌の案件と、企業のウェブサイト用のポートレート。どちらもキャンセルせずに待っていてくれたクライアントだ。ありがたい。


 田辺(たなべ)と久しぶりに撮影に出た。下北沢の古着屋の前。あの日と同じ場所だ。十一月の光は十月よりも低く、影が長い。


「神谷さん、なんか雰囲気変わりましたね」


 田辺がアシスタントの手を動かしながら言った。


「そうか?」


「なんていうか、撮り方が変わった。前はもっとガツガツしてたというか。今は……じっくり見てから撮ってる感じがする」


 言われてみれば、そうかもしれない。


 以前はシャッターチャンスを逃すまいと、とにかく数を撮っていた。百枚撮って、その中から最高の一枚を選ぶ。量が質を担保するスタイル。


 今は違う。


 被写体を見る。光を見る。影を見る。そしてその一瞬がいつ来るのかを、待つ。


 零コンマ数秒の映像を読み取り続けた三週間が、俺のカメラマンとしての目を研ぎ澄ましたのかもしれない。あの経験を通じて、一瞬を捉える感覚が鋭くなった。


 皮肉な話だ。殺人鬼の視界を覗き見ることで、カメラマンとしてのスキルが上がった。


 撮影を終えて、田辺と別れた。


 駅に向かう途中で、瀬戸(せと)からメッセージが来た。


『お疲れさまです。榎本(えのもと)被告の件で、少しお話ししたいことがあります。お時間ありますか?』


 近くのファミレスで待ち合わせた。前と同じ、窓際の席。ドリンクバーのコーヒーとウーロン茶。


「映像の件です」


 瀬戸が切り出した。


「映像は完全に止まっているんですか」


「ああ。逮捕の夜から一度も来ていない。瞬きしても何も見えない」


「そうですか」


 瀬戸が少し考え込んだ。


「榎本被告の方も、同じことを言っています。拘留されてから、覗き窓が見えなくなったと。彼はそれを、かなり残念がっています」


「残念がってる?」


「ええ。唯一の観客を失ったと言って」


 気味が悪い。だが、予想通りでもある。榎本にとって俺は作品の理解者だった。視界リンクを通じて自分の「芸術」を共有できる唯一の人間。それが失われたことは、榎本にとっては刑務所の壁よりも辛い断絶なのかもしれない。


「もうひとつ」


「何だ」


「榎本被告が、あなたに伝えてほしいと言っている言葉があります」


「……何て」


「『あの覗き窓が、なぜ開いたのかはわからない。だが、あれが開いたのが俺とお前の間でよかったと思っている。お前以外の人間には、俺の目を通して見る世界の美しさはわからなかっただろう』」


 俺は何も言えなかった。


 美しさ。


 あの血まみれの手を、あの死体を、美しいと言うのか。


 だが否定しきれない自分がいる。零コンマ数秒の映像の中で、俺は確かに何かを感じていた。壁紙の質感。光の角度。花の色。その一瞬の中に、恐怖とは別の感覚があった。


 カメラマンとして、あの映像の構図を美しいと感じた瞬間が、一度もなかったと言い切れるか。


 言い切れない。


 だから余計に気持ちが悪い。


「瀬戸さん」


「はい」


「俺は、あいつの共犯者なのか」


「何を言っているんですか」


「視界を共有していた。あいつの映像を見ていた。美しいと感じた瞬間があった。それは共犯と同じじゃないのか」


 瀬戸がテーブルの上で両手を組んだ。まっすぐ俺を見た。


「違います。あなたは見たものを元に、犯人を止めようとした。あなたがいなければ、三人目、四人目の被害者が出ていたかもしれない。あなたは共犯者じゃない。目撃者であり、協力者です」


「でも——」


「神谷さん。見ることと、行動することは違います。あなたは見ただけじゃなく、行動した。それがすべてです」


 瀬戸の声は静かだったが、揺るぎなかった。


 ファミレスを出て、駅まで歩いた。


「最後にひとつ」


 瀬戸が改札の手前で立ち止まった。


「視界リンクが完全に消えたことを確認するために、しばらく経過を見させてください。定期的に連絡を取り合いましょう」


「わかった」


「それと——お願いがひとつ」


「何?」


「今度、飲みに行きませんか。仕事の話じゃなくて」


 瀬戸が少しだけ笑った。半年前に約束した飲みの話。あのときは実現しなかった。


「いいよ。日程はそっちに合わせる」


「ありがとうございます」


 改札を通って、別々のホームに向かった。


 電車の中で、窓の外を見た。


 夕暮れの空。オレンジから紫に変わっていく空のグラデーション。ビルのシルエット。電線の曲線。


 きれいだな、と思った。


 シンプルに。何の含みもなく。


 きれいだ。


 スマホを取り出して、カメラを起動した。電車の窓越しに夕焼けを撮った。


 ぶれていた。電車が揺れているのだから当然だ。だがそのぶれた夕焼けの写真が、なぜか気に入った。


 完璧じゃない一瞬。ぶれて、ぼやけて、形が崩れた光。


 それでもきれいだった。


 それだけで十分だった。


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