撮れた
犯人の名前は、榎本章吾。
三十六歳。無職。府中市在住。
逮捕から三日後、瀬戸から電話があった。
「正式に起訴されました。杉並の事件と調布の事件、両方の殺人容疑です」
「自供はしたのか」
「ええ。驚くほどあっさりと。むしろ自分から話したがっている、という感じだそうです」
自分の「作品」を語りたいのだろう。芸術家気取りの殺人鬼。観客の前で自らの創作過程を解説するように。
「動機は」
「まだ詳しくは言えませんが、被害者との個人的なつながりはなさそうです。面識のない相手を無作為に選んで——いえ、無作為ではないですね。犯人なりの基準で選んでいたようです」
「基準」
「美しいと感じた人間を選んでいた、と言っています。容姿の話ではなく、生きている姿が美しいと感じた、と」
気持ちが悪い。だが、犯人の言動と整合している。「命が消える瞬間が一番美しい」と、あの夜の河川敷で俺に言ったのと同じ思考回路だ。
「アジトは見つかったのか」
「はい。府中市内の廃工場の地下です。あなたが報告してくれた『B-3』という区画も確認されました。地下倉庫の一室を改造して使っていました」
やはりそうだった。コンクリートの打ちっぱなし。金属テーブル。ナイフ。花。すべてがあの場所にあった。
「あなたの写真も押収しました。望遠レンズで撮影されたものが七枚。すべて犯人のアジトから出てきました」
七枚。俺のことを七回撮影していた。最初に府中に来たときから、ずっと追跡されていたのか。
「俺のカメラの写真は、証拠として使えるのか」
「もちろんです。河川敷での犯人の顔写真は、逮捕の直接的な根拠になりました。防犯カメラの映像とも照合が取れています。あなたのお手柄ですよ」
手柄、か。
別に手柄がほしかったわけじゃない。ただ、あの不可解な現象に巻き込まれて、目の前で人が死んでいくのを黙って見ていられなかっただけだ。
「瀬戸さん」
「はい」
「視界リンクのことは、どう報告したんだ」
沈黙が少し長かった。
「……報告していません。犯人を目撃した市民からの情報提供、という形で処理しました。超常現象を正式な捜査記録に載せるわけにはいきませんから」
「そうだよな」
「ただ、犯人の方がおかしなことを言っているそうです。取り調べで、『あの男には俺の目が見えている。俺にもあの男の目が見えた』と」
「信じる人間はいないだろうな」
「普通はいません。でも取調官は少し気味悪がっているようです。犯人が知り得ないはずの情報を口にすることがあるらしく」
犯人の側にも視界リンクがあった。俺と同じように、瞬きの瞬間に俺の日常が差し込まれていた。
だから俺の行動パターンを把握し、住所を突き止め、追跡してきた。
視界リンクは双方向だった。最初から。
「もう映像は来ないのか」
「来ていませんか?」
「逮捕された夜から一度も。瞬きをしても、ただの暗闇だ」
「犯人が拘留されていますから、精神的に安定しているのかもしれません。あるいは、物理的な距離が関係しているのか……いずれにしても、メカニズムは不明のままです」
メカニズムは誰にもわからない。なぜ俺と榎本の間に視界リンクが生じたのか。科学的な説明は存在しない。
脳の量子的なもつれだとか、集合的無意識の接続だとか、そんなオカルトじみた理論は思いつくが、どれも仮説にすらなっていない。
ただ起きた。ただ終わった。それだけだ。
電話を切った後、俺はマンションに帰った。
三週間ぶりの自宅。埃がうっすらと積もっている。冷蔵庫の中は賞味期限切れの食品だらけだった。全部捨てた。
窓を開けて、秋の風を部屋に入れた。
十一月になっていた。
外の景色は変わっていない。向かいのアパート。駐車場。コンビニの看板。見慣れた、何の変哲もない風景。
だが俺の目に映る世界は、三週間前とは違っている。
以前は、この風景をただの背景として見ていた。カメラを構える対象でもなく、注意を向ける価値もない、日常のノイズ。
今は違う。
道を歩く一人一人の人間が、窓に灯る一つ一つの明かりが、すべて生きている重みを持って見える。
あの男にとっては「作品の素材」だったものが、俺にとっては意味が変わった。
カメラマンとして、俺はこれまで何千回もシャッターを切ってきた。光と影を捉え、一瞬を切り取って定着させる。それが俺の仕事だと思っていた。
だがこの三週間で気づいた。
俺が切り取っていたのは、生きている瞬間だった。呼吸し、動き、感情を持った人間の、その一瞬。
失われてはいけない一瞬を。
スケッチブックを本棚にしまった。全ページ、犯人の映像の記録で埋まっている。
もう使うことはないだろう。しまい込んでおく。忘れるためではなく、覚えておくために。
翌日。
瀬戸からメッセージが来た。
『榎本被告の精神鑑定が始まりました。完全責任能力があるかどうかの判断になります。裁判は来年になる見込みです。証人として出廷をお願いすることになるかもしれません。そのときはよろしくお願いします』
俺は短く返した。
『いつでも。必要なことは何でもやる』
それが、今の俺にできるすべてだ。




