↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伏魔の恵〜異世界水滸伝〜  作者: 水前寺鯉太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/15

都を追われる忠義の拳

第5話:都を追われる忠義の拳

 山陰州総督府の高楼から、夜空を貫く異様な光芒が見えた。

 黒い炎のような渦と、眩悪な金の燐光。幾筋もの狂おしい軌跡が雲を断ち割り、はるか西の山嶺へと消えていく。

 高田修司は机上の密書からゆっくりと顔を上げた。

 ほどなく、重々しい執務室の木扉が急ぎ足で叩かれた。

「失礼いたします! 各地の見張り台より緊急の報告が――空より多数の異光が落ちたと――」

「見えている。落下地点の特定は」

「現在、急ぎ確認中でございます!」

「判明したものから順次、州図へ記せ。近くの郷村にも哨衛を出せ。見慣れぬ物、見たこともない道具、怪しき者、あるいは異形の獣――何であれ、現地で勝手に処分することは許さん」

 高田は立ち上がり、黒ずんだ窓の外の夜空を静かに見据えた。

「必ず生捕りにし、迅速に報告しろ」

「はっ!」

「……それと、大野の件は」

 報告に立った部下の返答が、わずかに遅れた。

「……西の山間部へ逃走中です。我が方の追撃隊が距離を詰めております」

「ならば、そちらは当初の命令どおり処分しろ」

 高田は机へ戻り、無造作に書類を一枚引き寄せた。

 大野進(おおの すすむ)。

 かつて山陰州軍の武術総師範として全軍にその名をとどろかせた男の名は、すでに冷酷な手つきで「国賊・反逆者」の名簿へと書き換えられていた。

     *

 大野が進退極まって州都を脱出したのは、数日前のことだった。

 領民の村を焼き払い、糧食を強奪せよという総督府の非道な命令に、総師範である大野は公然と異を唱えた。その翌晩、彼が主宰する道場へ闇に乗じて押し入った者たちが、罪もない幼い門弟たちへ刃を向けた。

 大野は門弟を守るために素手で応戦した。

 ところが、騒ぎを聞きつけて駆けつけたはずの州兵たちが捕らえたのは刺客ではなく、血を流す大野と門弟たちだった。彼らには武器を捨てるよう冷酷な刃が突きつけられた。

 その時にはすでに、大野が領民を集めて叛乱を企てたという捏造された告発状と、道場で凄惨な虐殺を行ったという検分記録が完璧に用意されていた。

 男の弁明に耳を傾ける者は、誰一人としていなかった。

捕縛され、牢獄へ引き立てられる寸前、大野は鬼神の如き体さばきで包囲を破り、逃走した。

 持ち出せたのは、愛用の短い竹棒が一尺と、わずかな応急の荷だけだった。

 目指す先は西だった。

 亡き父がかつて語っていた、奥出雲の古い製鉄場(たたらの跡)。幼い頃に聞かされた不確かな道筋をたどり、まずは追手の目を眩ますつもりだった。

 だが、総督府の追撃は執拗だった。

 野宿の場所を毎夜変え、獣道を辿り、土降る雨の中を歩き続けても、背後からは常に殺気を孕んだ足音が迫ってきた。

 今夜、山の向こうで不吉な光芒が弾けた時も、大野は傷ついた身を押し進めて逃げていた。

 その光が消え去った荒野の先で、大野は歪な衣類を纏った三人の人影を見つけた。

     *

「松江。お前が扉を開けた、その直後はどうなった」

 智也が低い声で尋ねた。

 恵太は血に染まった自分の左手を穴が開くほど見つめたまま、何も答えなかった。

葵はその傍らに深く膝をつき、雨と泥に塗れた恵太の上着の破れ目から覗く肌を痛々しそうに見やった。折れているであろう右肩には、怖くて触れることすらできなかった。

「呉原、問い詰めるのは後にしなさいよ。恵太のこの怪我、一刻も早く手当しないと危険だわ」

「分かってる……だが、ここがどこかも分からん場所で、ただ待っていていいのかも判別がつかない」

 智也は眼鏡を押し上げ、周囲の荒涼とした景色を見渡した。

 気味の悪い赤銅色の月。見たこともない乾いた赤土。

民家の灯りも、街道の喧騒も、生き物の気配すら一切存在しなかった。

「他の……みんなは……」

 恵太が掠れた声でポツリと呟いた。

「分からない」

 智也は即座に首を振った。

「僕たちにあの光が入り込んだ。そこから先の物理現象は、僕の知識の範疇を超えている」

 葵がそっと自分の胸元に両手を当てた。

「私……あの光が入った時、胸が引き裂かれるみたいに痛かったのに……」

「ああ。僕もそうだ」

 智也は恵太のぐったりとした右腕に視線を向けた。

 恵太の激痛と骨折は、消えていない。

 同じ場所に跳ばされ、同じ光の嵐に晒されたというのに、起きた現象は全く別物だった。

 ――ザッ、ザッ。

 乾いた砂を踏みしめる切迫した足音が響いた。

 智也が弾かれたように振り向いた。

闇の奥から、ボロボロの外套を纏った一人の男が姿を現した。裾からはいまだ水滴が滴り、息は激しく乱れている。その右手に握られているのは、太い一本の竹棒だった。

 男は突如現れた三人を目に留め、ピタリと足を止めた。

「……子ども、か……?」

 男の鋭い眼光が、恵太の血に汚れた制服へと移った。

「どうした、その重傷は」

 恵太はゆっくりと顔を上げた。

 男の外套もまた、左脇腹のあたりが黒ずんだ血で重く染まっていた。そこを庇うように押さえた太い指の隙間から、鮮血が滲み出ている。

「おじさんこそ……血が……」

「俺の傷はいい。お前たち、自分の足で走れるか」

 男は大野進だった。彼は返事を待たず、鋭く背後を振り返った。

 遠くの闇から、不穏な金具の触れ合う冷たい音が聞こえてきた。

 大野の苦み走った顔が、一瞬で凶暴なまでに険しくなる。

「……ここを離れろ。すぐにだ」

「待ってください! ここはどこなんですか! あなたは何者なんです!」

 智也が問いただした。

「話をしている時間はない。俺から離れろ、巻き込まれるぞ」

 闇の静寂を切り裂き、三人の男たちがぬめっと現れた。

 顔を布で覆った黒い密偵装束。腰に差された細身の刀。彼らは左右に滑らかな手つきで間隔を開け、獲物を囲むように近づいてくる。

「大野進」

 中央の刺客が、感情のない声で呼んだ。

「山陰州総督閣下の命である。無駄な抵抗をやめ、おとなしく裁きを受けよ」

「……裁きなら、すでに道場で受けた」

 大野は竹棒を力強く握り直した。

「俺が弁明の口を開く前に、完璧な罪状と死刑の書類が出来上がっていたがな!」

「口を慎め、国賊めが」

 シャキィン、と澄んだ金属音が響き、三本の刀が夜空の赤月を反射した。

 葵は即座に立ち上がり、身を乗り出して恵太と智也を庇うように前に出た。

 大野はその少女の動きを横目で捉えた。

「……下がっていろ、子供」

「あんた、自分だって酷い怪我をしてるじゃない!」

「だからこそ、長くはもたん」

 大野は大刀を構える三人の刺客へ真っ向から対峙した。

「この子供たちは無関係だ。先に行かせろ」

 刺客たちは無言だった。交渉の意思など微塵もない。

 右端の刺客が、地を這うような踏み込みで動いた。

 刃が月光を裂いて一閃する。

 大野は間一髪、身体を半歩滑らせた。切っ先が外套の端を鋭く切り裂く。

 瞬時に大野の竹棒がしなり、刺客の手首の急所を正確に穿った。

 ゴツン! という鈍い音とともに、刺客の刀が砂の上へ転がった。

 大野はその崩れた腕を掴み、旋回するような体さばきで強烈に投げ飛ばし、地面へ叩きつけた。

「来るなと言っている……!」

 腹に響く低い声だった。

 だが、次の瞬間、刺客を起こし出そうとした大野の右膝が、がくりと折れた。

 外套の裾から、ドロッとした重い血の塊が地面へ落ちた。傷口が開いたのだ。

 恵太が激痛をこらえ、左手を地面につけて立ち上がろうとした。

「動くな、松江!」

 智也が肩を強く押さえて止めた。

 恵太は大野の背中を、食い入るように見つめていた。

 大野もまた、恵太のその視線に気づいた。

「来るな……お前は……黙って座っていろ……!」

 中央の刺客が冷酷に刀を上段に構え直した。

 そして――残るもう一人の刺客が、負傷した大野を大きく迂回し、無防備な子供たちの方へ目にも留まらぬ速さで突進してきた。口封じの抹殺。

 智也の眼光が、天機星の冴えに激しく明滅した。

「黒木、右だ――膝を狙え!」

 葵の全身の血が、天殺星の熱とともに激しく跳ね上がった。

彼女の視界の中で、突進してくる刺客の動作が、まるでスローモーションのように鮮明に捉えられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。