間の悪い剣士と、血塗られた城盗り
第12話:間の悪い剣士と、血塗られた城盗り
鋭い長槍の穂先が、林田の胸元へ目にも留まらぬ速さで伸びた。
林田は紙一重で身をひねって刃を避け、力任せに槍の柄を両手でガチリと掴み取った。
――グッと引く。
天速星の超人的な引っ張り力に相手の足腰が宙へ浮き、槍の穂先が無空の天井を仰いだ。
「全員、武器を下ろせっ!」
大野の地鳴りのような制止の声が響き渡った。
だが、首領の物部大角は狂ったように絶叫した。
「構うな! 叛逆者どもだ、一人残らず叩き殺せぇっ!」
篠田の三節棍が、横から飛び出してきた山賊の刀を強烈な衝撃音とともに弾き飛ばした。
葵は大広間にあった重厚な木製卓を引きずり寄せ、野次馬の民が集まる戸口と戦場との間へドンと置いた。
「みんな、奥へ下がって!」
戸口に怯えて集まっていた住民たちが、悲鳴を上げて後退する。
花田は、大刀を振り上げた男の太い腕を正面からガ開いた手で掴み取った。手首を捻り折ることはせず、その恵まれた巨躯の質量ごと男を壁へと力任せに押しつける。
「もう……武器を振るうな……!」
男が恐怖に手を開くと、大刀が床へガラガラと落ちた。
林田もまた、完全に相手から槍を奪い取っていた。
地面へ倒れ伏した山賊の無防備な喉元へ、林田が殺気を込めて穂先を向けかけたが、大野の一尺の竹棒が横から素早く走り、その穂先を床へ押し下げた。
「そこまでだ、林田!」
物部が引き下がり、豪壮な椅子の背後へと逃げ込んだ。
「青柳っ! 何を遊んでいる、さっさと斬り殺せ!」
広間の暗がりから、一人の少年が静かに姿を現した。
右頬に目立つ深い青あざを持つ少年だった。
恵太は息を呑み、血に汚れた顔を上げた。
「……青柳……?」
同じ学年の隣のクラス、青柳志郎だった。
中学の剣道部で、誰もいなくなった道場で夜遅くまで一人最後まで稽古を続けていた真面目な少年が、今はその手に見事な真剣を引っ提げて立っていた。
「松江か」
青柳の氷のように冷たい視線が一行を静かに巡り、林田の握る槍の穂先で留まった。
「……まず、その武器を下ろせ」
「そっちから殺気を向けてきたんだよ!」
林田が吐き捨てた。
「事情は後で聞く。これ以上、この砦の者を傷つけることは許さん」
「……お前は、あの卑劣な物部の味方をする気か!?」
青柳は短く息を吐いた。
「私はここで雨風を凌ぎ、世話になっている」
「問答をしている場合か! 早くそいつらを片付けろ!」
物部の見苦しい怒声が響く。
青柳の切れ上がった目が、わずかに不快そうに細くなった。
「……槍を下ろせ、林田。斬りたくはない」
林田は決して槍を下ろさなかった。
青柳が、静寂を切り裂いて踏み込んだ。
間合いの一撃――狙いは林田の槍の柄だった。
林田は咄嗟に穂先を引き、鋭い斬撃を間一髪で回避した。すぐさま間髪を容れず突き返す。
青柳は刀身の背で槍の突進を流れるように外へ流し、一歩、死角の内側へと滑り込んだ。
林田が力任せに柄を立てて防ぐ。
ガツンっ! と金属と木が激突し、木屑が散った。
二人の身体が弾けるように離れる。
青柳の真剣の刀身から、薄暗い漆黒の光芒がじわじわと立ち上っていた。
――天暗星。
不運と暗雲をその身に纏う、孤独なる凶星の脈動だった。
林田の胸の奥でも、それに応呼するように天速星の燐光が衣服越しに激しく鼓動した。
「二人とも、一旦止まれっ!」
大野が間に入り、重々しい声を張った。
林田は青柳の眼光を見据えたまま、殺気を含んだ声で叫んだ。
「美羽が……高田のドラ息子に連れ去られたんだ! 俺たちが美羽を救うために、この拠点が必要なんだよ!」
青柳の冷徹な表情が、一瞬大きく動いた。
「……だから、力任せにここを奪うというのか」
「じゃあどうしろって言うんだよ! 時間がないんだよ!」
林田が怒りに任せて踏み込んだ。
青柳はその神速の槍を絶妙な体さばきで受け流し、後方へ退いた。背後の首領の椅子にぶつかりかけ、咄嗟に横へ身をかわす。
智也が眼鏡を静かに押し上げ、落ち着いた声で問いかけた。
「青柳。物部は、お前に何を約束してここで戦わせているんだ」
青柳は刀を構えたまま、視線を動かさずに答えた。
「……山陰州軍へ戻るための、公式な推薦状だ」
「その書面を、お前は自分の目で直接見たのか?」
「……まだだ」
「いつ受け取れる約束になっている?」
青柳が口を閉ざした。
物部が慌てて割って入った。
「砦での働きがすべて終わってからに決まっておるだろうが!」
「その『働き』とやらは、一体いつ終わるんですか?」
智也の冷徹な追及に、物部は言葉を詰まらせ、青柳を血走った目で睨みつけた。
「青柳! お前まで、こんなよそ者の青臭い虚言に耳を傾けるというのか!」
青柳は刃を構えた姿勢のまま、横目で物部を冷たく見やった。
「首領。その推薦の約束を、いまここで確かめたい」
「戯れ言を言うな、今は敵を斬れ!」
「……その言葉は、もう何度も聞きました」
林田の槍が、青柳の戦意喪失を感じ取りピタリと止まった。
青柳もまた、刃をわずかに下ろした。
「この仕事をすれば軍へ取り次ぐ。次の物資を運べば取り次ぐ……そう言われ続けてきました。今日、その推薦の宛先となる州軍幹部の名を、聞かせていただけますか」
物部の口がパクパクと開いた。
だが、その口から具体的な固有名詞が出ることはなかった。最初からそんな口利きなど存在しなかったのだ。
青柳はしばらくの間、虚しく静まり返る首領を見つめていた。
「……そうか」
青柳は静かに真剣を鞘へと引いた。
「待てっ! 総督府には俺の知人がいる! すぐに確かめさせれば――」
化けの皮が剥がれた物部は、広間の脇の脱出口へ向かって惨めに走り出した。
「林田っ――!」
花田が制止の叫びを上げた。
だが、遅かった。
林田の胸の中で『天速星』の凶暴な奔流が爆発した。美羽を奪った理不尽な大人への怨嗟と、自分を騙し続けようとした物部への殺意が、林田の理性を完全に焼き切った。
――シュガァンっ!!
光速の突きが夜空を穿った。
逃亡しようとした物部の背中へ、過たず長槍の刃が深々と突き刺さった。
物部の身体がピタリと硬直した。
一歩だけ足を前に出そうとし、そのままガクリと膝から崩れ落ち、盛大に血を吐いて倒れた。
大広間から、一切の音が掻き消えた。
「……林田……」
花田が絶句し、もう一度名を呼んだ。
林田は血に染まった槍を両手で強く握りしめたまま、倒れてぴくりとも動かない物部を茫然と見つめていた。
「……こいつも……高田と同じだ……っ」
林田の声が、激しく震えていた。
「人を都合よく使って……嘘の約束で縛り付けて……っ!」
恵太が駆け寄ろうとしたが、脇腹の痛みに呻いてその場に倒れ込んだ。
「大野さん……物部を……まだ……っ!」
大野はすでに物部の傍らに膝をつき、血の溢れる背中に手ぬぐいを当てていた。
だが――ほどなくして、大野の手が静かに止まった。
顔を上げた大野は、重々しく首を横に振るだけで、何も言わなかった。即死だった。
花田がそっと歩み寄り、林田が握りしめる槍の柄へ優しく手を重ねた。
「……もう、離せ……林田」
林田の足が震えていた。
「……手を、離してくれ……」
花田の絞り出すような声に、林田の硬直していた指先が力なく解けた。
血塗られた長槍が、床へ虚しく乾いた音を立てて落ちた。
戸口の陰で、怯えた母親が我が子を強く抱き寄せた。
恵太はその光景を呆然と見やった。
自分たちが勝ち取ったはずの広間に、喜んでいる者など誰一人としていなかった。あるのはただ、生々しい死の匂いと、住民たちの恐れおののく視線だけだった。
「……みんな……武器を下ろそう……」
恵太は血の味のする唾を飲み込み、痛む声で言った。
篠田が静かに三節棍を下ろした。葵もまた、卓から手を静かに離した。
「……怪我をした人がいたら、見せてほしい。俺たちは――」
続きの言葉が、恵太の喉に詰まって出なかった。
(俺たちは……一体、何なんだ……?)
助けを求めてこの砦に転がり込み、正義を振りかざした結果、この砦の首領を血の海に沈めて奪い取ってしまったのだ。
「……随分と物騒な、居場所の作り方だな」
背後から、青柳の冷ややかな声が響いた。
青柳は静かに刀を完全に納め、血に汚れた林田を見やった。
「お前たちは……自分たちのことを、あの物部たちと違うと言い切れるのか?」
「……違うと……答えてほしいのかよ……っ!」
林田が顔を伏せ、歯を喰い破らんばかりに噛み締めた。
青柳は物部の遺体へ一瞬だけ視線を落とした。
「……私も、確かめたいことがあったのだがな」
そう呟くと、青柳は背を向け、静かに戸口の方角へと歩き出した。
「青柳っ!」
恵太が呼んだ。
「お前も……ここに残らないか! 一緒に……!」
「断る」
青柳は足を止めずに答えた。
「私は軍へ戻る。物部の言葉が嘘だったのなら、別の推薦の道を探すまでだ」
「高田のところへ戻るというのか!?」
林田が叫んだ。
青柳は返事をするまで、長い間を置いた。
「……お前の言った『美羽』という少女の件も、この目で確かめる」
そして青柳は、最後に恵太を振り返った。
「松江。お前たちがここに残るというのなら……あの住民たちが何に怯えているのか、しっかりその目に焼き付けておけ」
戸口に群がっていた砦の住民たちが、青柳の鋭い気配に押されて自ずと道を空けた。
青柳はその間を静かに通り抜け、雨の降る外へと去っていった。
恵太は、その背中を追うことができなかった。
花田はまだ、打ちひしがれる林田の傍らに寄り添って立っていた。
林田は床の血だまりに落ちた槍を、死んだような目で見つめ続けていた。
砦の深い奥から、幼い子供の怯えた泣き声が、雨音に混ざって虚しく響き渡っていた。
自分たちの居場所を手に入れたはずなのに、まだ何一つとして救われてなどいなかった。




