表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/50

第45話「王都陥落」

 人類王都アルディナに、朝は来なかった。


 太陽は昇っている。


 王城の尖塔も、大聖堂の白い鐘楼も、貴族街の金色の屋根も、いつも通り光を受けていた。


 だが、王都に住む者たちの目には、それが朝には見えなかった。


 夜の間に、噂が広がりきっていた。


 勇者が敗れた。


 聖剣が折れた。


 魔王の子の前で、勇者が膝をついた。


 最初は誰も信じなかった。


 勇者は人類の希望だった。


 聖剣は神の証だった。


 魔王の子を討つために出陣し、王都の民がその背を見送った。


 その勇者が敗れるはずがない。


 だから王都の人々は、最初、伝令の言葉を狂人の妄言だと思った。


 だが、夜明け前に戻ってきた兵士たちは、一人ではなかった。


 十人。


 三十人。


 百人。


 盾を捨てた兵がいた。


 聖歌を忘れた聖歌隊がいた。


 血の気を失った貴族私兵がいた。


 白い外套を泥に汚した聖教会騎士がいた。


 彼らは口々に同じことを言った。


 聖剣は折れた。


 勇者様は敗れた。


 黒い王が来る。


 王国軍はその噂を封じようとした。


 広場に布告が貼られた。


『勇者軍は戦略的再編中』


『聖剣は神の試練により一時封印』


『魔王の子の進軍は王都外縁で阻止される』


『民は動揺せず、教会と王の命に従うこと』


 だが、布告の前で誰も祈らなかった。


 祈るための声が、すでに震えていた。


     ◇


 王城では、軍務卿が怒鳴り続けていた。


「外縁防衛線を再編しろ! 東門、西門、南門に近衛を回せ! 貴族私兵を徴発しろ!」


 伝令が膝をつく。


「貴族私兵の一部が屋敷へ戻り、門を閉ざしております」


「引きずり出せ!」


「聖教会騎士団は大聖堂防衛を優先すると……」


「王都防衛が優先だ!」


「大聖堂側は、勇者敗北は神の試練であり、聖剣の欠片を取り戻すまで動けないと」


 軍務卿は机を殴った。


 地図の上で、駒が跳ねる。


 外縁砦。


 聖門。


 王都聖壁。


 大聖堂。


 貴族街。


 水路門。


 すべての駒が、意味を失い始めていた。


 人類王アレクシオス三世は、玉座の前で沈黙していた。


 昨日まで、彼はまだ選べると思っていた。


 隠蔽する。


 勇者を出す。


 民を落ち着かせる。


 聖教会に責任を押しつける。


 貴族を再編し、王都の壁で時間を稼ぐ。


 だが、勇者が敗れた。


 それも、軍の奥ではなく、兵士たちの目の前で。


 聖剣が折れたという事実は、どんな布告より強かった。


「陛下」


 枢機卿の一人が、震える声で言った。


「大聖堂にお移りください。白聖結界の内側であれば、魔王の子も容易には――」


「余に、王城を捨てろと言うのか」


「一時避難です」


「王が王城を捨てれば、王都は終わる」


 枢機卿は返事をしなかった。


 その沈黙が答えだった。


 王都は、すでに終わり始めていた。


     ◇


 貴族街では、馬車が溢れていた。


 金の縁取りがされた箱馬車。


 紋章入りの護衛車。


 召使いに荷を抱えさせた貴婦人。


 家財よりも帳簿を優先して運ぶ家令。


 彼らは王都を守るためではなく、王都から逃げるために動いていた。


「西門を開けろ!」


「我が家は王国建国以来の名門だぞ!」


「避難権がある!」


「証文を燃やせ! 奴隷購入の記録を残すな!」


「聖具区画との納入書はどこだ!」


 焦りは醜く、恐怖はさらに醜かった。


 屋敷の裏庭では、いくつもの火が上がっていた。


 帳簿を燃やす火。


 奴隷売買の証文を燃やす火。


 翼人族の羽根を飾った礼拝具を砕いて焼く火。


 グラド=ヴォルグの鉱石配分表を灰にする火。


 だが、その火は最後まで燃えなかった。


 影が伸びた。


 屋敷の壁、門柱、窓枠、井戸の底。


 あらゆる影から、吸血種が現れた。


 エルミアの声が、貴族街の一角に静かに響く。


「燃やす許可は出していません」


 貴族が悲鳴を上げた。


「化け物め!」


「名を」


 吸血種の若者が淡々と言った。


「家名、紋章、購入記録、聖教会との契約書。すべて押収します」


「これは王国法に基づく正当な取引だ!」


「では、王の前でそう証言してください」


 貴族の顔から血の気が引いた。


 別の屋敷では、地下室の壁が開かれ、隠し金庫が暴かれていた。


 そこには金貨だけではなかった。


 獣人の首輪。


 翼人族の羽根。


 妖精の森から持ち出された小瓶。


 ドワーフ徒弟の番号札。


 海魔族の鱗を嵌め込んだ杯。


 貴族たちは、人類王都を文化と信仰の中心と呼んでいた。


 だが、その地下に積まれていたものは、侵略の戦利品だった。


     ◇


 王都外縁の聖壁は、白く輝いていた。


 聖教会が誇る王都防衛結界。


 大聖堂から供給される聖火と、城壁に刻まれた聖印によって維持される巨大な壁。


 人類王都アルディナを、神の都たらしめる防壁。


 その前に、ドワーフの攻城車が並んだ。


 王火炉で鍛え直された黒鉄の砲身が、静かに持ち上がる。


 ボルガンは砲身に手を置いた。


「連中は王火炉を穢し、聖別砲なんぞに変えた」


 彼の声は、低く重かった。


「なら、今度はその技を返してやる。王火炉の名でな」


 ネルドが制御槌を握る。


 少年徒弟ガンツは、まだ幼い手で黒鉄の楔を支えていた。


 ボルガンは彼を見た。


「見とけ、ガンツ」


「はい」


「あれが、炉の名を盗んだ連中の壁だ」


 ガンツは唇を噛んだ。


「砕けますか」


「砕くんじゃねえ」


 ボルガンは笑わなかった。


「返すんだ。奴らが刻んだ聖印の意味を、奴らの壁へ」


 号令が下る。


 黒鉄砲が火を噴いた。


 放たれた弾は、白い光ではなく、鈍い赤黒の熱を帯びていた。


 それは聖壁へ衝突した瞬間、爆発しなかった。


 食い込んだ。


 聖印の線を読み、刻みを逆に辿り、聖火の流れを炉の熱で焼き直す。


 聖壁の白い光に、黒い亀裂が走った。


 王都の上で、聖教会の鐘が勝手に鳴った。


 ひとつ。


 ふたつ。


 三つ。


 警鐘ではない。


 ひび割れる音だった。


「撃て」


 ボルガンが命じた。


 二射目。


 三射目。


 聖壁は、白く輝きながら内側から崩れ始めた。


 王都兵が叫ぶ。


「聖壁が!」


「結界が剥がれる!」


「司祭を呼べ!」


 司祭たちは祈った。


 だが、その祈りに応じたのは、白い火ではなかった。


     ◇


 王都外縁の礼拝所で、聖歌隊が一斉に歌い始めた。


 勇者敗北の動揺を押し返すための聖歌。


 聖壁を支えるための祝詞。


 異種族の魔を退けるための声。


 しかし、最初の節を歌い終える前に、床板の隙間から緑の根が伸びた。


 リュシエラは、遠く離れた森の種を掌に乗せていた。


 羽の光は弱い。


 立っているだけでも消耗が見える。


 それでも彼女は、礼拝所へ入り込んだ根を通じて、静かに命じた。


「歌うなら、思い出しなさい」


 聖歌隊の喉が詰まる。


 歌詞が変わった。


 神の名ではなく、焼いた泉の名が出た。


 救済の句ではなく、灰になった妖精の小径の名が出た。


 祝福の旋律ではなく、聖火に巻かれた森の悲鳴が出た。


 聖歌隊は口を押さえた。


「違う……違う、これは聖歌では……!」


 リュシエラは目を閉じる。


「あなたたちが焼いたものです」


 礼拝所の鐘が鳴った。


 その音は金属の音ではない。


 森の奥で、焼け残った枝が折れる音だった。


 外縁礼拝所が、ひとつずつ沈黙していく。


 聖壁の白い光はさらに弱まった。


     ◇


 南門では、鬼族が動いた。


 ゴウラは巨大な攻城槌を肩に担いでいる。


 その目は血走っていたが、足取りは乱れていない。


 王命がある。


 だから彼は、命じられた門だけを砕く。


 それ以上はまだしない。


「鬼族」


 ゴウラは低く吠えた。


「王命だ。門を砕け。人間どもを食い散らすな。まだだ」


 鬼族の戦士たちが不満げに牙を鳴らす。


 だが、従った。


 攻城槌が振りかぶられる。


 一撃。


 南門が震えた。


 二撃。


 聖印の飾り金具が弾け飛んだ。


 三撃。


 門の内側で、王国兵が悲鳴を上げた。


「支えろ!」


「無理だ!」


「勇者様はどこだ!」


 四撃目で、南門は内側へ折れた。


 ゴウラは破片を踏み越えた。


 その背後から、狼族が影のように走る。


 彼らは門を越えた王国兵へ飛びかかったが、殺し尽くしはしなかった。


 武器を持つ者を倒す。


 赤鷹の紋を持つ者を縛る。


 奴隷檻の鍵を持つ者を引きずり出す。


 ラグが王都外縁の獣人売買区画へ駆け込んだ。


 そこには、まだ檻があった。


 王都まで来ても、人類は檻を捨てていなかった。


 中には獣人がいた。


 奴隷市場へ出す前の者。


 貴族へ納めるために隠されていた者。


 勇者出陣の混乱で処分される予定だった者。


 狼族たちの目が赤く燃える。


 檻番が叫んだ。


「待て! これは王国認可の――」


 ラグの爪が、その男の顔の横の柱を裂いた。


「鍵」


「ひっ」


「鍵を出せ。次は柱では済まん」


 檻が開く。


 獣人たちは最初、外へ出ることを信じられなかった。


 ラグは言った。


「名を言え」


 震える獣人の子が答える。


「……番号、七十――」


「違う」


 ラグの声は荒いが、命令は明確だった。


「名を言え。番号は後で燃やす」


 王都外縁で、檻が次々と砕かれていった。


     ◇


 水路門では、兵士たちが補給船を待っていた。


 王都は内陸の都だが、河川と水路に支えられている。


 穀物、塩、武具、聖油、薬草。


 王都が籠城するなら、水路の補給は生命線だった。


 だが、その水は静まり返っていた。


 船が来ない。


 水門が動かない。


 水面に、青黒い髪の女が立っていた。


 ネレイドは、水を踏むように進む。


 彼女の周囲で、王都水路の流れが変わっていた。


 沈めてはいない。


 壊してもいない。


 ただ、届かない。


 補給船は霧の中で同じ場所を回り続け、王都へ近づけない。


 水門の歯車は錆びたように重くなり、開閉が遅れていく。


 貯水槽の水面には、網で狩られた海魔族の影が映る。


 水路兵が叫ぶ。


「魔術師を呼べ!」


 ネレイドは静かに微笑んだ。


「水を道具だと思っていたのでしょう」


 彼女の声は、水路の壁に反響した。


「なら、その道具に見捨てられなさい」


 王都の補給は、音もなく止まった。


     ◇


 空では、翼人族が舞っていた。


 セレイアは片翼を縛ったまま、低空を滑る。


 完全には飛べない。


 だが、王都の屋根の上を渡るには十分だった。


 彼女の目は、聖具区画を捉えていた。


 白い塔。


 礼拝具工房。


 聖職者用の装飾品を納める倉庫。


 その窓の内側に、翼人族の羽根が飾られていた。


 聖なる装飾として。


 神へ捧げる清めの羽根として。


 奪われた名も、折られた痛みも消され、ただ美しい材料として並べられていた。


 セレイアの目が冷たくなる。


「見つけた」


 翼人族の斥候が鐘塔へ降り立つ。


 聖具職人が逃げようとした。


 だが、屋根の上から降ってきた翼人族の槍が、その足元を貫いた。


「羽根の納入記録」


 セレイアは言った。


「誰から買った。どの聖堂へ納めた。どの貴族へ渡した。すべて書け」


「知らない! 私は注文通りに――」


「書け」


 短い命令に、職人の膝が崩れた。


 翼人族は羽根を回収した。


 泣かない。


 叫ばない。


 ただ一枚ずつ、名を探すように布へ包んだ。


     ◇


 王都聖壁が崩れ、南門が砕け、水路が止まり、礼拝所が沈黙した。


 王都外縁は、戦場ではなく解体の場になっていた。


 レイヴァルトは王都正面に立っていた。


 彼の後ろには、折れた聖剣の欠片を載せた黒い台車がある。


 さらにその後方で、勇者カイトが膝をついたまま連行されていた。


 黒天蓋の紋が胸に刻まれているため、彼は逃げられない。


 嘘もつけない。


 顔を上げるたび、王都の兵士たちと目が合う。


 そのたびに、兵士たちの顔が歪んだ。


「勇者様……」


「本当に……負けたのか」


 カイトは答えようとした。


 喉が動かない。


 「勝っている」とは言えない。


 「聖剣は折れていない」とも言えない。


 黒天蓋の紋が、嘘を許さない。


 彼はただ、折れた聖剣の欠片を見た。


 それだけで十分だった。


 レイヴァルトは王都正門の前で止まった。


 王国兵が城壁の上から弓を構えている。


 だが、その手は震えていた。


 勇者が敗れた。


 聖壁も崩れた。


 祈りも歌も届かない。


 その現実の前で、兵士たちは命令だけでは立っていられなくなっていた。


 軍務卿の声が城壁の上から響く。


「撃て!」


 矢が放たれた。


 黒天蓋の紋が開く。


 矢は空中で止まり、黒く染まり、地面へ落ちた。


 レイヴァルトは城壁を見上げた。


「まだ抵抗するか」


 軍務卿は叫ぶ。


「王都は落ちぬ! 人類王国は神と王に守られている!」


 レイヴァルトは、折れた聖剣の欠片へ目を向けた。


「神の剣は折れた」


 そして、王都の門へ手を向ける。


「王の壁は」


 黒天蓋の紋が門全体へ広がった。


「今から開く」


 門が内側から軋んだ。


 鍵が砕ける音がした。


 閂が黒く染まり、鉄の芯から崩れていく。


 聖印が意味を失い、白い塗料が剥がれ落ちる。


 王都正門が、ゆっくりと開いた。


 人類王都アルディナの心臓へ向かう道が、黒い王の前に開かれた。


     ◇


 王都内部の戦いは、長くは続かなかった。


 王国軍は抵抗した。


 近衛兵は槍を並べ、聖教会騎士団は大聖堂へ至る道を塞ぎ、貴族私兵は自分たちの屋敷を守ろうとした。


 だが、彼らはすでに中心を失っていた。


 勇者はいない。


 聖剣は折れた。


 聖壁は崩れた。


 聖歌は続かない。


 水路は閉じ、逃亡路は吸血種に押さえられ、空は翼人族に監視されている。


 鬼族が外縁防衛線を砕く。


 ドワーフが聖門の機構を壊す。


 妖精族が聖印を根で沈黙させる。


 狼族が奴隷市場と赤鷹関係者を制圧する。


 吸血種が貴族街の逃亡路を封じる。


 翼人族が聖具区画を押さえる。


 海魔族が水路を閉じる。


 竜人族の副将が、王国主力の最後の隊列を睨む。


 まだザルギウスは戻っていない。


 だが、竜人族の影が見えるだけで、人類兵の足は止まった。


 レイヴァルトは王都の大通りを進んだ。


 彼の周囲で、人類の民衆が建物の陰に押し込まれている。


 泣く者がいる。


 祈る者がいる。


 命乞いをする者がいる。


 レイヴァルトは彼らへ視線を向けたが、足を止めなかった。


 その恐怖を見て、方針を変えることはない。


 同情で軍を止めることもしない。


 彼が止めたのは、王命なき暴走だけだった。


 逃げ惑う民衆へ斧を向けかけた鬼族の戦士に、黒い影が触れる。


「命令していない」


 レイヴァルトの声が届く。


 鬼族の戦士は膝をついた。


「御意」


 それは慈悲ではない。


 殺すべき者を、まだ選別しているだけだ。


 王都そのものを裁くために、証人と記録を残しているだけだ。


     ◇


 大聖堂の前には、白い階段があった。


 かつて聖教会が、異種族を神敵と呼び、聖戦を宣言した場所。


 その階段の前に、折れた聖剣の欠片が置かれた。


 司祭たちは中から扉を閉ざしている。


 大聖堂の扉には幾重もの聖印が刻まれ、白聖結界が薄く輝いていた。


 レイヴァルトは扉を見た。


 エルミアが隣に立つ。


「中に枢機卿、司祭長、聖剣管理官、聖火記録官がいます。地下区画へ逃げ込んだ者も」


「開けるな」


 エルミアは一瞬だけ目を上げた。


「今は、ですか」


「処刑は明日だ」


 レイヴァルトは冷たく言った。


「聖教会には、信徒の前で自分たちの神が沈黙する時間を与える」


 リュシエラが弱い羽を揺らしながら、大聖堂を見上げた。


「中の聖火は震えています」


「消すな」


「はい」


「消える前に、焼いた森の名を聞かせる」


 レイヴァルトは折れた聖剣の欠片へ目を向けた。


「これは明日、扉の前で砕く」


 その言葉に、大聖堂の中から小さな悲鳴が漏れた。


 聖教会はまだ残っている。


 だが、逃げ場はない。


     ◇


 王城では、最後の混乱が起きていた。


 アレクシオス三世は退路を探していた。


 地下道。


 王族用の避難階段。


 大聖堂へ続く秘密回廊。


 貴族院地下の抜け道。


 だが、そのすべてが塞がれていた。


 地下道には海魔族の水が逆流していた。


 秘密回廊には吸血種の影がいた。


 避難階段の扉には黒天蓋の紋が浮かび、触れた兵士の腕を弾いた。


 王は玉座の間へ戻るしかなかった。


「なぜだ」


 彼は呟いた。


「なぜ、ここまで来る」


 誰も答えられなかった。


 軍務卿は血を流しながら膝をついている。


 近衛兵は数を減らし、扉の外から聞こえる足音に震えている。


 王は怒鳴った。


「余は人類王だぞ! 魔物どもが、余の都に土足で入るなど!」


 その言葉が終わる前に、王城の正門が破られた。


 黒い旗が、王城前の広場へ進む。


 ただし、レイヴァルトはすぐに玉座の間へ入らなかった。


 王の末路は、今日ではない。


 王には、王都が落ちた現実を見せる必要がある。


 王が守るべき都が、王の命令ではなく、黒い王の命令で静まっていく様を。


 玉座の間の扉の外に、黒天蓋の紋が刻まれた。


 退路は消えた。


 人類王アレクシオス三世は、生きたまま閉じ込められた。


     ◇


 夕暮れ。


 王都アルディナの城壁に、黒い旗が掲げられた。


 最初は南門。


 次に西門。


 外縁砦。


 聖具区画。


 水路門。


 貴族街の塔。


 王城前広場。


 白い旗は降ろされた。


 聖教会の鐘は鳴らない。


 王国軍の号令も続かない。


 貴族の馬車は動かない。


 水路も閉じ、空も押さえられ、逃げ道は記録されている。


 レイヴァルトは王城前の階段に立った。


 眼下には、膝をついた王国兵、縛られた聖職者、逃亡を阻まれた貴族、救出された奴隷、そして建物の陰で震える王都民がいた。


 彼らは皆、同じものを見ていた。


 黒い王。


 慈悲王の遺児。


 父王の道を選ばなかった者。


 レイヴァルトは、王都全体へ届く声で言った。


「人類王都アルディナは陥落した」


 誰も否定しなかった。


「聖教会は明日、裁く」


 大聖堂の扉の内側で、悲鳴が上がった。


「人類王は逃がさない」


 王城の奥で、何かが倒れる音がした。


「貴族、軍人、司祭、奴隷商、聖具職人、鉱山技師。名を隠す者は、影が暴く。罪を焼く者は、灰から拾う」


 エルミアが片膝をつく。


「記録は開始済みです」


 ガルム、ボルガン、リュシエラ、ゴウラ、ネレイド、セレイア、竜人副将が、それぞれ王に膝をついた。


 異種族側に歓声はなかった。


 これは勝利の祭りではない。


 復讐の中枢に到達しただけだ。


 レイヴァルトは、王都の空を見上げた。


 白い鐘楼の上に、黒い旗が揺れている。


 父王アルヴァーンが与えた慈悲を、人類は白杯の間で殺した。


 その結果が、今ここにある。


「父上」


 彼は誰にも聞こえないほど低く呟いた。


「あなたの都ではない。だが、あなたを殺した者どもの都は落ちた」


 そして、王都へ背を向けずに告げる。


「夜を越えろ」


 黒い王の声が、陥落した王都に沈んだ。


「明日から、裁きを始める」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ