第35話「奪還」
西側搬出軌道は、グラド=ヴォルグの血管だった。
鉱石を山の外へ運び、燃料を内側へ戻し、炉と鉱脈と外の世界を結ぶための道。
幾重にも組まれた黒鉄の軌条は、山腹から谷へ向かって伸びている。
そこを今、人類の伯爵が逃げ道として使おうとしていた。
アルベリク・ダイン伯爵の退避鉱車は、谷へ出る寸前で止まっていた。
前へは進まない。
後ろへも戻らない。
車輪の下で、古い制動鎖が噛んでいる。
それは外から見れば、ただの軌道設備だった。だが本来は、鉱石の重さを測り、過積載の鉱車を止め、山の外へ暴走させないための職人工夫である。
ドワーフの槌音によって目覚めた制動鎖は、伯爵の退避鉱車を正確に捕らえていた。
「動かせ!」
アルベリクが怒鳴った。
兵士たちが車輪に梃子を掛ける。護衛が軌道の留め具を剣で叩く。従者が帳簿箱を抱えたまま震えている。
鉱山技師セヴランだけは、顔面を蒼白にして軌道の下を見ていた。
「駄目です。無理に動かせば、軌道が落ちます」
「落ちるなら補強しろ」
「時間がありません。それに、これは外から直す構造ではない。山の内側から制動が掛かっている」
「貴様は鉱山技師だろう!」
「これは、ドワーフの鉱山です」
セヴランは震えながら言った。
その言葉に、アルベリクの顔が歪む。
彼はこの都市を奪った。
旗を掛け替えた。
銘板を削った。
王火炉を神火炉と呼ばせた。
職人を番号で管理し、鉱脈図を写させ、聖別砲弾を作らせた。
それでも、セヴランの口から出た言葉は、ドワーフの鉱山、だった。
「黙れ」
アルベリクは低く言った。
「ここは王国の管理区だ。私の戦果だ。聖教会が清め、王国が接収し、伯爵家が運用する鉱山だ」
その時、軌道の奥から槌音が響いた。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
低く、重く、逃げ道を塞ぐ音。
護衛兵たちが剣を構える。
暗い搬出坑道の奥から、ドワーフたちが現れた。
先頭はボルガン。
煤を浴び、鎧に傷を刻み、槌を肩に担いでいる。
その背後には、捕虜だった鍛冶師たち、坑夫たち、戦士たちが続いていた。首輪の跡がまだ赤い者もいる。鎖を武器として引きずる者もいる。
彼らは声を上げない。
ただ歩く。
山の中を知る者の足で。
アルベリクは後ずさった。
「撃て!」
弩兵が構える。
だが、ボルガンは止まらない。
ドワーフのひとりが軌道脇の小さな支柱を槌で叩いた。別の坑夫が床の楔を抜く。弩兵の足元がわずかに沈み、狙いが外れた。
放たれた矢は、石壁に弾かれた。
次の瞬間、排熱用の細い孔から熱い煙が噴き出す。
視界が濁る。
兵士たちが咳き込む。
その中を、ドワーフたちは短く踏み込んだ。
剣を叩き落とす。
膝を砕く。
手首を鎖で縛る。
息を奪う。
殺しはしない。
だが、逃がしもしない。
アルベリクの護衛たちは、ひとり、またひとりと軌道の上へ倒された。
セヴランは抵抗しなかった。
逃げようとも、叫ぼうともしなかった。
ただ、ボルガンを見ると膝から崩れ落ちた。
「私は命じられただけだ……」
その言葉に、ボルガンの目が細くなる。
「便利な言葉だな」
セヴランは肩を震わせる。
「伯爵閣下と聖教会の命令で、炉の制御を……私は技術者として……」
「炉に首輪を掛けた」
セヴランは口を閉じた。
ボルガンは彼の襟を掴み、退避鉱車から引きずり下ろした。
「三本目の聖印杭。冷却管。制御図面。全部吐け」
「言えば、命は」
「命の交渉をする立場か」
セヴランは震えた。
ボルガンはさらに低く言う。
「王火炉を壊さず戻すために、お前はまだ必要だ。だから生かす。それだけだ」
アルベリクが叫んだ。
「やめろ! その男は王国の技師だ! 貴様ら異形が触れていい者ではない!」
ボルガンは、ゆっくりと伯爵へ向いた。
アルベリクは剣を抜いていた。
刃は飾りに近い。戦場で鍛えられた剣ではなく、貴族の腰を飾るための剣だった。それでも彼は、最後の威厳を保つために構えている。
「私はアルベリク・ダイン伯爵だ。王国西方攻略隊司令官であり、聖戦の功労者だ。私を殺せば、王国と教会が黙っていないぞ」
ボルガンは答えない。
伯爵はさらに言う。
「取引をしよう。鉱脈図は返す。捕虜も返す。炉も返す。代わりに私を通せ。私は貴族だ。殺すより利用価値がある」
「知っている」
ボルガンは言った。
アルベリクの目に、かすかな希望が浮かぶ。
だが、次の言葉で消えた。
「だから殺さん」
ボルガンは槌を振り上げた。
伯爵は剣で受けようとした。
槌は剣を狙わなかった。
柄を打った。
アルベリクの手から剣が落ちる。
次に、膝横の鎧継ぎ目を打つ。
伯爵の体が崩れる。
最後に、肩へ槌の柄が落ちた。
骨を砕く一撃ではない。
逃走と抵抗の力だけを奪う、正確で冷たい一撃だった。
アルベリクは軌道の上に膝をついた。
「き、貴様……!」
ボルガンは彼の髪を掴まず、鎧の襟を掴んだ。
「炉前へ連れていく」
「何をする気だ」
「名を聞かせる」
アルベリクには、その意味が分からなかった。
だが、周囲のドワーフたちは分かっていた。
番号で呼ばれた者。
首輪を付けられた者。
神火炉などという名で炉を穢された者。
その全てを、奪った者の耳へ返す。
それは殺すより長い復讐だった。
セヴランとアルベリクは縛られた。
帳簿箱、鉱脈図、聖印改造図、砲弾鋳型図、捕虜名簿、売却予定表は全て押収された。
ひとつも燃やされなかった。
ひとつも隠されなかった。
ボルガンは、押収された帳簿を見下ろした。
そこには職人の名ではなく、番号と稼働時間と生産量が書かれていた。
彼の拳が一瞬だけ震える。
だが、帳簿を破らない。
怒りで燃やさない。
それは証拠だ。
人類が何を奪い、誰が命じ、どの貴族が利益を得たかを示す、鉄より重い記録だった。
「持て」
ボルガンが命じる。
「炉前で読む」
王火炉の前へ、アルベリクとセヴランが引きずり出された時、炉心区画の空気は変わっていた。
白い鐘は落ちている。
神火炉の銘板は砕かれている。
聖油の臭いは薄れ、赤い火が戻りつつある。
だが、炉心の根元には三本目の聖印杭がまだ残っていた。白銀の杭は深く打ち込まれ、周囲に冷却管が絡みついている。まるで炉の足に食い込む枷のようだった。
ネルドは額に汗を浮かべていた。
「これ以上、無理にやれば炉縁が割れます」
バルドがセヴランを睨む。
「構造を言え」
セヴランは唇を震わせた。
だが、答えない。
アルベリクが床に縛られたまま笑った。
「言うな、セヴラン。炉は取り戻されかけているが、完全ではない。三本目が残れば、再接収の道は残る」
ボルガンは伯爵を見下ろした。
「まだ自分が戻れると思っているのか」
「王国は黙っていない。聖教会もだ。貴様らが一度奪い返したところで、軍はまた来る。だから取引を――」
「もう遅い」
ボルガンは短く言った。
その時、炉心区画の入口から、捕虜だったドワーフたちが入ってきた。
全員ではない。
動ける者だけだ。
老いた鍛冶師。
片腕を吊った坑夫。
火傷を負った徒弟。
首輪の跡が残る女工匠。
彼らは順に、炉の前へ立った。
ネルドが帳簿を開く。
そこには番号が並んでいる。
二十七番。
三十四番。
八十一番。
百九番。
名はない。
ボルガンが言う。
「番号を読め」
アルベリクは黙った。
監督長オルドが震えながら引きずられてくる。
彼も縛られていた。
「読め」
ボルガンの声が落ちる。
オルドは喉を鳴らし、帳簿を見た。
「二、二十七番……」
ガンツが前へ出る。
小さな作業槌を握っている。
オルドは彼を見た。
今まで番号で呼んでいた少年。
名前を知らなかった。
知ろうともしなかった。
ガンツは言う。
「ガンツ」
オルドの口が震える。
「ガンツ……」
ネルドが次の番号を読む。
「三十四番」
老鍛冶師が進み出る。
「ハルグ」
「ハルグ……」
「八十一番」
「ミナ」
「ミナ……」
「百九番」
「ロッカ」
「ロッカ……」
ひとりずつ。
番号が名へ戻っていく。
オルドは読み上げる。
アルベリクは聞かされる。
リカードは床へ額をつけたまま震える。
セヴランは歯を鳴らしながら視線を逸らせない。
炉の前で、奪った者たちは名を聞かされた。
それは祈りではない。
裁きだった。
百を越えた頃、アルベリクが耐えきれず叫んだ。
「もういい! 分かった! 職人には名がある、だから何だ! 戦争だぞ! 勝った側が敗けた側を使う。それが歴史だ!」
炉心区画が静まり返る。
ボルガンは動かなかった。
代わりに、黒曜王都の玉座から、黒い紋が床へ落ちた。
レイヴァルトの声が響く。
「続けろ」
短い命令だった。
温情はない。
説得もない。
ただ、逃げることを許さない王命。
アルベリクの口が閉じる。
オルドは震えながら、次の番号を読んだ。
名が戻る。
またひとつ。
またひとつ。
すべての名を聞き終えた時、炉心区画には重い沈黙が残った。
ボルガンはセヴランへ視線を移す。
「構造を言え」
セヴランは、もう抵抗しなかった。
「……三本目は、杭ではなく複合楔です。上部は聖印杭。下部は冷却管と固定楔を兼ねている。先に冷却管を切ると炉縁が割れます」
「順序は」
「聖印の外環を削り、白銀楔を半回転。冷却管の圧を抜いてから、固定楔を逆打ちする。その後で杭を抜く」
「図面」
セヴランは震える手で、押収された筒を示した。
「その中に……」
ネルドが図面を開く。
ボルガンとバルドが覗き込む。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、ボルガンが低く言った。
「やれる」
ネルドは頷いた。
「やります」
三本目の聖印杭を抜く作業が始まった。
それは戦闘ではなかった。
だが、炉心区画にいた誰もが、それをこの章で最も重い戦いだと理解していた。
ネルドが外環を削る。
白い光が走る。
バルドが冷却管の圧を読む。
火の色が変わる。
ボルガンが槌を構える。
ガンツは息を止めて見ている。
リカードは震える唇で聖句を唱えようとしたが、声にならない。
白銀楔が半回転する。
冷却管から白い蒸気が抜ける。
王火炉の火が揺れた。
ネルドの頬に汗が流れる。
「今です」
ボルガンの槌が、固定楔を逆から打った。
一打。
炉が唸る。
二打。
壁に刻まれた王工匠たちの名が赤く光る。
三打。
聖印杭が、根元から浮いた。
ネルドとバルドが同時に鉄鎖を掛ける。
ドワーフたちが力を合わせる。
ひとりでは抜けない。
王火炉を縛った最後の杭は、奪還された者たちの手で抜かれなければならなかった。
「引け」
ボルガンの声。
鍛冶師が引く。
坑夫が引く。
徒弟が引く。
老いた者も、傷ついた者も、首輪の跡を残す者も、全員が力を込めた。
聖印杭が抜けた。
白い光が砕ける。
冷却管が床へ落ちる。
王火炉の炎が、爆ぜるように立ち上がった。
赤。
黒鉄。
黄金ではない。
聖なる白でもない。
火と鉄の色。
ドワーフの火だった。
炉心区画全体が熱に包まれた。
だが、その熱は誰も焼かなかった。
ドワーフたちは、その熱を知っている。
王火炉が戻ったのだ。
ボルガンは炉の前に立った。
古い銘板の削られた跡へ、バルドが取り出した黒鉄の板を当てる。
それは、人類に見つからぬよう灰捨て場の下に隠されていたものだった。
王火炉。
ドワーフ文字で深く刻まれている。
完全な銘板ではない。
傷もある。
焦げもある。
端は欠けている。
だが、名は残っていた。
ボルガンはそれを両手で受け取った。
そして、炉前へ掲げる。
「王火炉」
彼が言った。
ドワーフたちが続く。
「王火炉」
ガンツも言った。
「王火炉」
今度は、炉がはっきりと応えた。
炎が高く上がり、火紋が床を走る。
白い聖印は焼け落ち、聖教会の祭壇布は灰になり、王工匠たちの名がひとつずつ赤く照らされた。
グラド=ヴォルグの心臓が、再び打ち始めた。
その振動は、山全体へ伝わった。
正面門。
白い鎖が揺れた。
門上の王国兵たちは何が起きたか分からず、周囲を見回す。
次の瞬間、門に巻かれていた白い鎖が、内側から赤く熱を帯びた。
鎖は溶けない。
焼き切れない。
ただ、聖印の白だけが黒く沈み、力を失う。
外側から待機していたドワーフ部隊が、門へ向けて進んだ。
彼らは正面攻撃をしなかった。
白い鎖が死ぬ時を待っていた。
今が、その時だった。
槌が振るわれる。
一打。
白い鎖が割れる。
二打。
「神火炉防衛門」の板が落ちる。
三打。
削られていた黒曜紋の上から打ちつけられた白銀板が砕けた。
正面門の古い紋章が姿を見せる。
完全ではない。
傷だらけだ。
だが、残っている。
門上の人類旗が引きずり下ろされた。
聖印札は剥がされ、石床へ落とされた。
そこに火はつけない。
証拠として束ねる。
人類がこの都市に何をしたかを、王都へ持ち帰るために。
外壁の各所でも、同じことが起きていた。
人類側の櫓は解体され、弩砲は接収され、油槽は封じられ、聖札は集められた。抵抗する兵は制圧され、逃げる者は軌道や坑道で捕らえられた。
グラド=ヴォルグは、外から落とされたのではない。
内側から取り戻された。
炉が戻り、門が戻り、名が戻った。
夕刻、正面門の前にドワーフたちが集まった。
救出された捕虜。
黒鎚坑道から来た部隊。
外側で待機していた兵。
炉心区画を守る者。
全員ではない。
負傷者は多い。まだ治療中の者もいる。坑道内に残る人類兵の処理もある。帳簿整理も終わっていない。
それでも、門の前に立つべき者たちは立った。
ボルガンは門の中央へ進む。
その足元には、砕かれた「神火炉防衛門」の板が置かれている。
彼はそれを見下ろし、槌を振った。
板は砕けた。
その下から、もとの門名が姿を現す。
――グラド=ヴォルグ。王火炉を抱く鉄の都。
誰も歓声を上げなかった。
代わりに、ドワーフたちは槌を掲げた。
ひとつずつ。
静かに。
重く。
その光景を、黒曜王都の玉座からレイヴァルトは見ていた。
黒天蓋の紋を通じて、炉の熱と槌の音が伝わってくる。
エルミアが傍らで報告する。
「アルベリク・ダイン伯爵、鉱山技師セヴラン、炉司祭リカード、監督長オルド。全員捕縛済み。帳簿、鉱脈図、聖印改造図、捕虜名簿、売却予定表、聖別砲弾鋳型図も押収済みです」
「殺していないな」
「王命どおりに」
レイヴァルトは薄く頷いた。
「よく取り戻した」
それは短い言葉だった。
温かい労いではない。
だが、ボルガンには十分だった。
遠いグラド=ヴォルグで、ボルガンは黒曜王都の方角へ槌を下げた。
「王火炉の名、取り戻しました」
レイヴァルトは玉座で目を細める。
「次は吐かせろ」
「御意」
「鉱山を奪った者の名。聖別砲を命じた者の名。王火炉を穢した聖教会の名。すべて取れ」
「一字も逃しません」
レイヴァルトの声は冷たい。
「ドワーフの復讐は終わっていない。だが、グラド=ヴォルグは戻った」
その言葉が、黒天蓋の紋を通じて山へ届く。
ボルガンは門前のドワーフたちへ振り返った。
「聞いたな」
全員が槌を床へ打った。
低い音が山へ沈む。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
グラド=ヴォルグは応えた。
王火炉の炎が、山の奥で高く燃えた。
その夜、捕虜だった者たちの番号札が集められた。
焼き捨てるためではない。
まず、記録する。
番号。
本当の名。
出身坑道。
師の名。
失われた者。
殺された者。
まだ見つからない者。
人類に売られた可能性のある者。
すべて書く。
その後で、番号札は王火炉の前へ積まれた。
ガンツが最後の札を置いた。
二十七番。
彼はそれを見下ろし、小さく言った。
「ガンツだ」
バルドが頷く。
「そうだ」
王火炉の火が揺れる。
番号札は火へ投げ込まれた。
白い管理番号が赤く焼け、黒く沈み、ただの鉄へ戻る。
それらは捨てられない。
後に溶かされ、グラド=ヴォルグの門を補修する釘になる。
番号で縛られた鉄は、都市を守る鉄へ変えられる。
それが、ドワーフの復讐だった。
壊すだけではない。
奪われたものを、奪った者の意図と逆の形に鍛え直す。
アルベリクは炉心区画の隅で、その光景を見せられていた。
彼の前には帳簿が積まれている。
オルドは名を読み続けている。
リカードは王火炉という名を何度も言わされている。
セヴランは聖印杭と冷却管の構造を、震える手で図面に書き直している。
誰も殺されていない。
だが、誰も許されていない。
黒曜王都へ戻った報告の中に、ひとつだけ奇妙な物があった。
バルドが王火炉の灰捨て場の下から見つけた小さな黒鉄の箱である。
人類に見つからぬよう、王火炉の古い銘板と共に隠されていた。
箱には、黒曜王家の紋と、慈悲王アルヴァーンの火入れ印が刻まれている。
鍵穴はない。
継ぎ目もない。
ただ、箱の表面に短い文字が刻まれていた。
――王が王であるなら、黒曜の底へ持ち帰れ。
エルミアはそれを玉座の前へ置いた。
レイヴァルトは、しばらく黙ってその箱を見ていた。
父王の火入れ印。
王火炉に残されていた、父の痕跡。
アルヴァーンは、これをなぜグラド=ヴォルグに預けたのか。
なぜ、王火炉の奥に隠したのか。
黒曜の底とは、どこか。
エルミアが静かに言った。
「黒曜宮地下には、王族霊廟よりさらに古い閉鎖区画があります。先王陛下の代に、一度だけ封じ直された記録が残っています」
レイヴァルトは箱へ手を伸ばした。
触れた瞬間、黒鉄の表面に火のような赤が走る。
同時に、玉座の間の床下から、微かな音が返った。
槌音ではない。
扉の奥で、何かが目を覚ます音だった。
レイヴァルトは目を細めた。
「父上」
声は短い。
冷たい。
だが、その奥に、長く沈めてきたものがわずかに揺れた。
「何を残した」
誰も答えない。
黒鉄の箱は、ただ黒曜王家の紋を鈍く光らせていた。
グラド=ヴォルグは奪還された。
王火炉の名は戻った。
だが、慈悲王アルヴァーンが残したものは、まだ開かれていない。




