第18話「人類殲滅宣言」
黒曜広場には、前日よりも多くの者が集まっていた。
歩ける者は、自分の足で来た。
歩けない者は、担架で運ばれた。
目の見えぬ者は、隣の者の肩を借りて来た。
声を失った者は、名を書いた板を抱えて来た。
鎖の痕が残る者。
火傷を隠せない者。
翼を折られた者。
角を失った者。
指を潰された者。
家族の名を書いた布を握る者。
彼らは皆、黒曜広場へ集まった。
昨日、レイヴァルトは父王アルヴァーンの慈悲を語った。
父王は弱かったのではない。
父王の慈悲は、この国を作った偉大な力だった。
だが、その慈悲は人類には通じなかった。
白杯の間で殺された。
その結論を、異種族たちは受け取った。
そして今日は、その先を聞く日だった。
高壇の上には、二つの紋章が掲げられている。
一つは慈悲王アルヴァーンの紋章。
異なる種族の紋を輪で包む、統一の紋。
もう一つは黒天蓋の紋。
新王レイヴァルトの紋。
父の慈悲が作った国の上に、息子の裁きが重なっている。
広場の端には、記録板が積まれていた。
それはまだ完成していない。
灰牙村の死者。
グラド=ヴォルグで捕らわれた鍛冶師。
南方森域の焼けた根。
リィン=ファロスの落ちた翼人。
セラド港で網にかけられた海魔族。
鬼族前線砦の行方不明者。
吸血種の焼かれた諜報員。
名は増え続けている。
死者だけではない。
加害者の名も増えている。
ローデン・カイス。
アルベリク・ダイン。
マティアス司祭。
ギュスターヴ・レオンハルト。
赤い鷹の紋章。
白い聖輪。
奴隷商の焼き印。
鉱山技師の署名。
聖教会の聖火印。
記録板は、祈りの板ではない。
赦しのための板でもない。
裁くための板だった。
鐘が鳴る。
広場の声が消えた。
レイヴァルトが現れる。
黒い衣をまとい、玉座に座った王としてではなく、広場の高壇に立つ王として民の前に出た。
彼は、慈悲王のように民の間へ降りない。
高壇の上から見下ろす。
だが、その目は遠くの誰かを見ているのではない。
目の前に集まった異種族すべてを見ていた。
レイヴァルトが立つと、異種族たちは膝をついた。
石畳に膝が触れる音が、広場全体に広がる。
「頭を上げろ」
その命令で、彼らは顔を上げた。
ガルムは灰牙村の生存者を背に立つ。
リュシエラは灰色の枝を抱えている。
ボルガンは王火炉の鍵を胸に下げ、ネルドを後ろに立たせている。
セレイアは片翼を伏せ、空を奪われた者たちを代表している。
ゴウラは折れた角を隠さず、鬼族の列に立っている。
ネレイドは黒い水壺の前に膝をついている。
エルミアは記録板の横で、片腕のまま王の言葉を書き留める用意をしていた。
ザルギウスは担架の上だ。
まだ目を覚ましていない。
だが、竜人族の若者たちは彼の担架を高壇に向けている。
この場で発せられる王命を、将軍にも聞かせるために。
レイヴァルトはしばらく沈黙した。
広場にいる者たちは、その沈黙すら聞いていた。
やがて、王が口を開く。
「昨日、父の慈悲はここで終えた」
誰も動かなかった。
「父王アルヴァーンの慈悲は、この国を作った。お前たちを救った。異なる種族を、同じ王都に立たせた」
レイヴァルトの声は静かだった。
「だが、人類には届かなかった」
その言葉に、広場の空気が冷える。
「人類は父の慈悲を弱さと見た。和平の席に聖印を刻み、父を殺し、その死を魔王討伐と呼んだ」
牙が鳴る。
拳が握られる。
羽が震える。
水壺の水面が波打つ。
だが、誰も叫ばない。
王の言葉を遮る者はいない。
「その後、人類は何をした」
レイヴァルトは問う。
答えは、広場に積まれた記録板が示していた。
「村を焼いた」
ガルムの列で、ミルが身を震わせた。
「森を焼いた」
リュシエラの羽が暗く光った。
「炉を奪った」
ボルガンの拳が鳴った。
「空を狩った」
セレイアの肩が震えた。
「海を封じた」
ネレイドの目が細くなった。
「民を鎖につないだ」
救出された者たちの間に、低い呻きが広がった。
「名を奪い、罪の名を変えた。侵略を聖戦と呼び、略奪を恩寵と呼び、奴隷化を管理と呼び、穢した炉を神火炉と呼んだ」
ドワーフたちの列から、重い怒りが漏れた。
レイヴァルトは、そこで声をさらに冷たくした。
「よって、俺はここに定める」
広場全体が息を止めた。
その瞬間、人々は理解した。
これは怒りの言葉ではない。
その場の勢いでもない。
新王が国として決める言葉だった。
レイヴァルトは言った。
「人類を、許さない」
黒曜広場の空気が震えた。
その言葉は、すでに何度も出ていた。
だが、今は違う。
王の個人的な怒りではない。
国是としての言葉だった。
「人類王国を、許さない」
王国軍に家族を殺された者たちが、深く息を吐く。
「聖教会を、許さない」
妖精族の列に、静かな呪いの気配が満ちる。
「人類貴族を、許さない」
吸血種たちの瞳が暗く光る。
「奴隷商を、許さない」
狼族の子どもたちが震え、ガルムの牙がわずかに見える。
「鉱山を奪った者、森を焼いた者、海を封じた者、空を汚した者、民へ首輪をかけた者。そのすべてを許さない」
レイヴァルトの声は、広場の石へ沈むように響いた。
「ここに宣言する」
黒天蓋の紋が、高壇の上に浮かび上がる。
黒い魔力が夜の天蓋のように広がった。
「異種族連合は、これより人類を敵性種として扱う」
空気が凍る。
だが、恐怖ではない。
ついに言葉が形になった緊張だった。
「和平は結ばない」
誰も異を唱えない。
「賠償で終わらせない」
ボルガンが深く頷く。
「謝罪では許さない」
リュシエラの目が冷える。
「祈りでは済ませない」
マティアス司祭の名を知る者たちが、唇を噛む。
「人類という種が、異種族の上に立つ未来を認めない」
黒天蓋の紋が、さらに濃くなる。
「人類国家を滅ぼす」
広場の全員が、その言葉を受け取った。
誰も歓声を上げなかった。
軽い喜びではない。
これは戦争の宣言だった。
終わらない痛みを、終わらせるための宣言だった。
レイヴァルトは続ける。
「ただし」
その一語で、広場の熱が止められた。
王の統制が、怒りに鎖をかける。
「俺一人で、今すぐ人類を消すことはしない」
ガルムの耳が動く。
ゴウラが顔を上げる。
ネレイドの水壺が静まる。
「できないからではない」
レイヴァルトの声は淡々としている。
「できる」
誰も疑わなかった。
王都の外で、人類軍は彼一人に崩された。
聖印杭も、聖別砲も、聖壁も通じなかった。
この王ならば、都市を落とせる。
軍を潰せる。
王国を焼ける。
それを疑う者は、この場にいない。
「だが、それでは足りない」
レイヴァルトは言った。
「灰牙村を焼いた者を、俺が潰して終わらせれば、狼族の牙はどこへ向かう」
ガルムの目が鋭くなる。
「森を焼いた聖火を、俺が消して終わらせれば、妖精族の呪いはどこへ沈む」
リュシエラの羽が震える。
「王火炉を穢した者を、俺が殺して終わらせれば、ドワーフの槌は何を打つ」
ボルガンの拳がゆっくりと開かれ、再び握られる。
「空を狩った者を、俺が落として終わらせれば、翼人族の空はどう戻る」
セレイアが唇を引き結ぶ。
「港を封じた者を、俺が沈めて終わらせれば、海魔族の潮は何を運ぶ」
ネレイドの水壺が静かに鳴る。
「前線砦の血を、俺が奪い返して終わらせれば、鬼族の怒りは何を砕く」
ゴウラの折れた角の根元が震える。
「貴族社会に潜った影を、俺が焼いて終わらせれば、吸血種の牙はどこへ戻る」
エルミアが頭を垂れる。
レイヴァルトは、広場に集うすべての異種族を見た。
「これは俺だけの復讐ではない」
その言葉に、広場の奥で誰かが息を呑んだ。
「異種族すべての報復だ」
黒天蓋の紋が、広場の上で静かに回転する。
「俺が一瞬で滅ぼしては、お前たちの憎しみが行き場を失う」
レイヴァルトは言った。
「だから俺は、滅ぼす順序を与える」
その声は冷酷だった。
だが、そこには王の理があった。
「復讐を許す。だが、暴走は許さない」
異種族たちは一斉に頭を下げた。
「殺せ。だが、俺の命令で殺せ」
それは慈悲ではない。
統制だった。
「奪い返せ。だが、何を奪われ、誰から奪い返すのかを記録しろ」
エルミアの筆が走る。
「燃やせ。だが、怒りで自分の民まで焼くな」
リュシエラが静かに目を伏せる。
「噛み殺せ。だが、王命の前に牙を折るな」
ガルムが拳を胸に当てる。
「砕け。だが、国の骨まで砕くな」
ゴウラが頭を垂れる。
「沈めろ。だが、戦の潮を読め」
ネレイドが微笑まずに頷く。
レイヴァルトは、最後に宣言した。
「人類の国家を終わらせる」
広場の空気が重く沈む。
「人類の聖教会を沈黙させる」
聖火に焼かれた者たちが、顔を上げる。
「人類の貴族から名と血を奪う」
吸血種の列が静かに揺れる。
「奴隷商を吊るし、鉱山を取り戻し、森を閉じ、海を塞ぎ返し、空を奪い返す」
それは国の命令だった。
まだ各種族ごとの復讐権の細目は語られていない。
だが、方針は決まった。
人類を許さない。
人類国家を滅ぼす。
異種族全体の報復として。
黒曜広場の空気が、ある一点で固まった。
皆が待っている。
王の最後の言葉を。
レイヴァルトは、黒天蓋の紋の下で言った。
「人類殲滅を、異種族連合の国是とする」
その瞬間、黒曜広場に膝をつく音が響いた。
今度は一斉ではない。
波のように広がる。
前列から後列へ。
長から民へ。
戦士から救出者へ。
傷ついた者から、まだ幼い子どもへ。
ミルも膝をついた。
ネルドも膝をついた。
セレイアは片翼を伏せ、ゴウラは拳を地へ置き、ネレイドは黒い壺の水を高壇へ向けた。
ガルムが低く言った。
「狼族は、新王の国是に従う」
リュシエラが続く。
「妖精族は、森の名において従います」
ボルガンが呻くように言う。
「ドワーフは、炉と槌にかけて従う」
エルミアが片膝をつく。
「吸血種は、影のすべてをもって従います」
セレイアが言う。
「翼人族は、奪われた空の名において従います」
ゴウラが低く吠える。
「鬼族は、砕かれた砦の血にかけて従う」
ネレイドが静かに言った。
「海魔族は、封じられた潮の名において従います」
声は重なっていく。
御意。
御意。
御意。
それは歓声ではない。
誓約だった。
父王の慈悲で結ばれた国が、新王の裁きで戦争へ入る。
その場にいた全員が、それを理解していた。
レイヴァルトは、膝をつく異種族たちを見下ろした。
その顔に笑みはない。
だが、わずかに満足に近い冷たさがあった。
怒りは、形を得た。
復讐は、王命となった。
次は配分だ。
誰が、何を、どの順で返すか。
レイヴァルトは右手を下ろした。
黒天蓋の紋がゆっくりと消える。
だが、消える直前に、広場にいる全員の影へ一瞬だけ触れた。
それは呪いではない。
契約だった。
王命なき暴走を禁じる契約。
同時に、王が復讐を忘れないという契約。
レイヴァルトは言った。
「明日、各種族へ復讐権を与える」
広場が静まる。
「誰が何を奪い返すか、王の前で定める」
ガルムの牙がわずかに見える。
リュシエラの羽が暗く光る。
ボルガンの指が炉の鍵を握る。
セレイアが片翼を広げようとして止める。
ゴウラが拳を鳴らす。
ネレイドの水壺が、深海のように黒く揺れる。
「今夜は、名を積め」
レイヴァルトは命じた。
「奪われたものを、一つも漏らすな」
全員が頭を垂れた。
「御意」
黒曜広場の上空に、夜のような静けさが広がる。
人類殲滅宣言は、そこで終わった。
だが、その言葉は広場に留まらなかった。
黒曜王都の鐘が鳴る。
一つ。
二つ。
三つ。
今度の鐘は、新王即位の鐘ではない。
開戦の鐘だった。
黒曜王都から、異種族領へと響く。
焼けた森へ。
奪われた鉱山へ。
封じられた海へ。
汚された空へ。
そして、遠く人類領へ。
白冠砦では、その鐘の音を直接聞いた者はいなかった。
だが、リオット・ハーゼンは地下牢で突然胸を押さえた。
黒天蓋の紋が冷たく光る。
彼の喉から、勝手に言葉が漏れた。
「宣言された」
牢番が振り返る。
「何を」
リオットは震えながら言った。
「人類殲滅」
その言葉を口にした瞬間、地下牢の灯りが一つ消えた。
牢番は凍りついた。
リオットの胸の黒い紋だけが、暗闇の中で静かに光っていた。
白冠砦の礼拝堂では、マティアス司祭が密書の続きを書こうとしていた。
その時、聖堂の中央に置かれた大きな聖杯が割れた。
今度は小さな杯ではない。
砦礼拝堂の中心に置かれていた、主聖杯だった。
白い破片が床へ散る。
中に満たされていた聖水が、黒く染まった。
マティアスは立ち上がれなかった。
彼はただ、その黒い水を見ていた。
聖水の表面に、黒い紋が浮かぶ。
黒天蓋の紋。
そして、どこからともなく声がした。
人類を、許さない。
それは幻聴だったかもしれない。
だが、礼拝堂にいた司祭たちは全員、同じ声を聞いた。
誰も祈れなかった。
誰も神の名を呼べなかった。
人類側がまだ正式な報告を受け取る前に、恐怖だけが先に届いた。
黒曜王都では、レイヴァルトが高壇を降りずに広場を見下ろしていた。
彼は静かに言った。
「始まった」
それだけだった。
異種族連合の戦争は、ここに国是となった。




