第16話「異種族の長たちの集結」
黒曜王都ヴァルドレインに、新王即位を告げる鐘が鳴った。
その音は、勝利の鐘ではなかった。
王都の壁は砕け、東門は半ば崩れ、街路にはまだ血の跡が残っている。治療院には負傷者が溢れ、炉は休むことなく鉄を溶かし、妖精族の根は焼けた石の隙間をかろうじて縫っていた。
それでも鐘は鳴った。
王が戻ったことを告げるために。
慈悲王アルヴァーンの遺児、レイヴァルトが玉座に座ったことを伝えるために。
鐘の音は、王都の外へも広がった。
焼けた森へ。
奪われた鉱山へ。
砕かれた高山拠点へ。
海路を封じられた港へ。
空を追われた翼人の隠れ谷へ。
人類貴族社会から追われた吸血種の地下連絡路へ。
それは歌ではない。
救いの報せでもない。
集結命令だった。
黒曜宮の玉座の間では、エルミアが片腕で命令書を持っていた。
そこに王印は押されていない。
新たに刻まれた黒天蓋の紋が押されている。
新王レイヴァルトの命令。
各地に残る異種族の代表は、黒曜王都ヴァルドレインへ集結せよ。
戦える者だけではない。
生存者。
負傷者。
伝令。
逃げ延びた長老。
隠れ里の守り手。
奪われた者の名を持つ者。
すべて、王の前へ来い。
エルミアは命令書を読み終えたあと、玉座を見上げた。
レイヴァルトは玉座に座っていた。
黒い繭の残骸は、玉座の右側に保存されている。慈悲王の紋章の下には、黒天蓋の紋が重なっていた。
新王は静かだった。
人類軍を一人で崩した直後の熱も、即位の高揚もない。
ただ、次に何をすべきかを見ている王の目だった。
「何日で集まる」
レイヴァルトが問う。
エルミアは答えた。
「近隣の代表は三日以内。遠方の海魔族、翼人族、山岳の残存竜人部隊は七日から十日。人類軍に遮られた地域は、さらに遅れます」
「遅れる者は待たない」
その言葉に、玉座の間の空気がわずかに張った。
だが、レイヴァルトは続ける。
「だが、切り捨てるのではない。来られぬ者の名も、被害も、伝令で出させろ。王都へ来ることが忠誠ではない。奪われたものを隠さず報告することが忠誠だ」
エルミアは頭を垂れた。
「御意」
ガルムは玉座の下に立っていた。
傷は塞がっていない。だが、狼族の長として姿勢は崩さない。
「灰牙村の生存者はまとめました」
「数は」
「王都内で確認できた者、三十二。外縁へ逃げた可能性がある者、十数名。連れ去られた者は、少なくとも五十を超えます」
「名は」
「今、集めています。ミルのような子どもは、まだ話せぬ者も多い」
「待て」
ガルムが顔を上げる。
レイヴァルトは冷たく言った。
「話せるまで待て。だが、忘れさせるな」
「御意」
「ローデン・カイスの紋章は」
「赤い鷹です。奴隷商の車にも同じ焼き印がありました」
「残せ」
エルミアが記録板に記す。
赤い鷹。
ローデン・カイス。
灰牙村。
狼族。
母子奴隷。
それは復讐の目録だった。
リュシエラは玉座の間の左側にいた。
羽の光は戻りきっていない。だが、王都の根は彼女の指先にかすかに応じている。
「聖印杭の残骸は集めました」
「使えるか」
「呪いの媒介には使えます。ただし、聖火の構造を完全に返すには、森を焼いた本体の火種が必要です」
「どこにある」
「聖教会の前線礼拝車か、教会都市の聖火炉に戻された可能性が高い」
「調べろ」
「御意」
彼女の声は細い。
だが、その奥にある怒りは枯れていなかった。
ボルガンは、押収された聖別砲の部品を床に並べていた。
砲身の切断片。
黒く染まった聖印板。
歪んだ金輪。
砲台の軸。
彼はそれらを見下ろし、吐き捨てるように言った。
「雑な仕事です」
レイヴァルトが視線を向ける。
ボルガンは続けた。
「元は我らの砲。だが、人類どもは聖印を上から刻み、冷却脈を塞ぎ、砲身の癖も読まずに無理に撃たせた。道具への敬意がない。炉への敬意もない」
「直せるか」
「直します」
ボルガンは即答した。
「ただし、元に戻すだけでは足りません。人類どもが刻んだ聖印の逆流構造を解析すれば、聖教会の防壁を食う弾が打てます」
レイヴァルトの口元がわずかに動いた。
「よい」
その短い許可で、ボルガンの目に火が戻った。
「王火炉の情報は」
「グレンとネルドから聞き取り中です。バルドは未帰還。生死不明」
「死んだと決めるな」
「御意」
その時、玉座の間の扉が開かれた。
翼人族の代表が入ってきた。
名をセレイアという。
片翼の羽根が半ば焼け、もう片方の翼も布で固く縛られている。かつて空を自由に舞った者の歩き方ではなかった。地を踏むたびに、屈辱を噛んでいるようだった。
彼女は玉座の前に膝をつく。
「翼人族、セレイア。空中都市リィン=ファロスの残存代表として参上しました」
「空は」
レイヴァルトが問う。
セレイアの顔が歪む。
「汚されました」
それだけで十分だった。
彼女は続ける。
「人類軍は高山拠点に聖印砲を据え、我らの飛行路へ鎖を張りました。空を飛ぶ者を狩り、羽根を聖具の飾りにしています。リィン=ファロスは陥落していません。ですが、外郭は破られ、多くの若者が地へ落とされました」
「名を出せ」
「持ってきています」
セレイアは血で汚れた薄い布を差し出した。
そこには、翼人族の名がびっしりと書かれていた。
空で死んだ者。
捕らわれた者。
羽根を奪われた者。
行方不明の者。
エルミアが受け取る。
レイヴァルトは言った。
「空は翼人に残す」
セレイアの肩が震えた。
「御意」
「だが、今は飛ぶな。落とされた者の名を集めろ。人類の空を閉じる時まで待て」
「……御意」
次に入ってきたのは、鬼族の代表だった。
大柄な男で、片角が折れている。名はゴウラ。
彼は礼法に慣れていないのか、玉座の前で深く頭を下げるだけだった。
「鬼族、ゴウラ。前線砦の残りを連れて来た」
「損害は」
「多い。数えるのが嫌になるほどだ」
「嫌でも数えろ」
レイヴァルトの声は冷たい。
ゴウラは歯を剥きかけた。
だが、すぐに頭を下げる。
「御意。数える。名も残す」
「鬼族は怒りで突っ込むな」
「……苦手だ」
「知っている」
玉座の間に、緊張が走る。
だが、レイヴァルトは淡々と続けた。
「だから命じる。お前たちの力は、砦を砕く時に使う。今、人類兵の死体を殴っても意味はない」
ゴウラは大きく息を吐いた。
「王がそう言うなら、待つ」
「待て。待てる鬼族は、突っ込む鬼族より恐ろしい」
ゴウラは一瞬だけ目を見開いた。
そして、拳を胸に叩きつけた。
「御意」
海魔族の代表は、夜になって到着した。
人型を取ってはいるが、首筋には鰓があり、肌には濡れた青い鱗が薄く浮いている。
名はネレイド。
彼女は黒曜宮へ入ると、水の入った黒い壺を玉座の前に置いた。
「西海の海魔族、ネレイド。港湾都市セラドの生き残りより、水葬の海を持参しました」
壺の中の水は、暗かった。
血で濁っているわけではない。
だが、重い。
「港は」
レイヴァルトが問う。
「封じられました。人類は我らを海獣と呼び、港の吊り場で晒しました。海路は聖杭で縛られ、同胞は網で狩られました。セラドの港には、人類王国の旗が立っています」
「海路は使えるか」
「今は細い道だけ。ですが、王命があれば、いずれ人類の補給船を沈めます」
「まだ沈めるな」
ネレイドの目が細くなる。
「御意。理由を伺っても」
「沈める時は、戦ではなく飢えを送る。人類王国が自分の港を信じた時に沈めろ」
ネレイドは、静かに笑った。
それは海の底で光る牙のようだった。
「御意」
各種族の代表が集まるにつれ、玉座の間には被害の記録が積み上がっていった。
灰牙村。
南方森域。
グラド=ヴォルグ。
リィン=ファロス。
前線砦。
セラド港。
まだ来ていない地域もある。
まだ連絡が途絶えた種族もある。
だが、王の前に積まれた名は増えていく。
死者の名。
捕らわれた者の名。
奪った人類の名。
関わった貴族の紋章。
聖教会の聖印。
奴隷商の焼き印。
鉱山技師の記録。
司祭の署名。
復讐は怒りだけでは足りない。
標的がいる。
順序がいる。
証拠がいる。
王命がいる。
レイヴァルトは、それらをすべて玉座から見下ろした。
彼は一度も「耐えろ」とは言わなかった。
「忘れろ」とも言わなかった。
「赦せ」とも言わなかった。
ただ、記録しろと命じた。
返すために。
その頃、白冠砦では恐怖が形を変え始めていた。
ギュスターヴ侯爵の敗北報告は、早馬で王都へ送られた。
マティアス司祭の密書は、聖教会の高位聖堂へ送られた。
リオット・ハーゼンは地下牢に隔離されている。
だが、彼の言葉は牢から出ていた。
新しい王が目覚めた。
父の慈悲は終わった。
次に来るのは、許しではない。
白冠砦の兵士たちは、その言葉を口にしないよう命じられた。
だが、禁止された言葉ほど広がる。
馬丁が聞いた。
料理番が聞いた。
奴隷商の下働きが聞いた。
負傷兵がうなされた。
聖歌隊の子どもが泣きながら繰り返した。
魔王の子ではない。
新しい王。
その言い回しが、聖教会の司祭たちを苛立たせた。
だが、リオットの胸の紋を見た者は、簡単には否定できなかった。
白い聖印では消せない黒い紋。
嘘を許さない証人の印。
人類側はまだ敗北を認めきれていない。
だが、恐怖はすでに道を見つけていた。
黒曜王都では、三日目の夜、第一回の戦後集会が開かれた。
場所は玉座の間ではない。
王都中央の黒曜広場だった。
そこには、各種族の代表だけでなく、兵士、職人、負傷者、救出された民、孤児、老人たちも集められていた。
レイヴァルトは玉座ではなく、広場の高壇に立った。
父王アルヴァーンなら、壇を降りて民の間へ入っただろう。
レイヴァルトは降りない。
王は上に立つ。
見下ろすためではない。
全員に命令を届かせるために。
広場には、まだ包帯を巻いた者が多い。
杖をつく者もいる。
奴隷運搬車から解放された者たちは、他者の背に隠れるようにして立っている。
だが、全員が王を見ていた。
レイヴァルトは言った。
「集まったな」
その声は広場全体へ届いた。
「まだ来ていない者もいる。来られぬ者もいる。死んだ者もいる。鎖につながれ、今も人類の土地で生きている者もいる」
誰も声を出さない。
「それでも始める」
レイヴァルトの瞳は冷たい。
「この国は、父の死から五年三月、耐えた。耐えたことを誇れとは言わない。耐えるしかなかっただけだ」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
王は彼らを慰めなかった。
だが、苦しみを美談にもしなかった。
「お前たちは奪われた。村を、森を、炉を、空を、海を、影を、家族を、名を」
レイヴァルトの声が低くなる。
「それを忍耐と呼ぶな。美徳と呼ぶな。奪われたものは、奪われたものだ」
広場の空気が震えた。
ミルがガルムの部下の手を握った。
ネルドが折れた工具を胸に抱いた。
「父は慈悲の王だった」
レイヴァルトは続ける。
「その慈悲に救われた者は多い。お前たちが今、同じ王都に立っているのは父の功績だ」
誰も否定しない。
慈悲王への崇敬は、今もここにある。
「だが、その慈悲は人類に殺された」
黒曜広場に、重い沈黙が落ちた。
「次に必要なのは、同じ慈悲ではない」
ガルムの牙が鳴る。
リュシエラの目が細くなる。
ボルガンが拳を握る。
だが、レイヴァルトはそこで止めた。
「今日は宣言しない」
その言葉に、広場の一部が揺れた。
レイヴァルトは冷たく見下ろす。
「怒りで先を急ぐな。父の慈悲を否定するには、まず父の慈悲が何だったかを見なければならない」
それは、次の段階だった。
父王の慈悲の否定。
だが、ただ怒りで踏みにじるのではない。
父の偉大さを認めた上で、失敗として否定する。
そうでなければ、異種族連合は父王への信仰と新王の報復の間で裂ける。
レイヴァルトは、それを許さない。
父を崇める心も、父を殺された怒りも、すべて王権の下に置く。
「明日、父王アルヴァーンの慈悲について語る」
広場に緊張が走る。
「俺は父を侮辱しない。だが、父の道を選ばない理由を、お前たちに示す」
レイヴァルトは一呼吸置いた。
「その上で、人類をどう扱うかを決める」
誰も「決まっている」とは言わなかった。
彼らは理解していた。
王はすでに許さないと決めている。
だが、それを国の方針として定めるには、順序が必要なのだ。
怒りではなく、王命として。
復讐ではなく、国家の戦として。
レイヴァルトは最後に言った。
「名を集め続けろ。明日、父の慈悲を王として見定める」
黒曜広場に、低い声が広がる。
「御意」
それは歓声ではなかった。
復讐の前に、刃を研ぐ音だった。




