第65話 辺境伯の死――赤の守護者
濁流として過ぎる川に浮かぶ木片が、目の端でちらつく。
雨は小降りになり、周囲ではちらほらと人影が動いている。
アルスはその塊からできるだけ距離を取り、足を急がせ歩く。
先ほどから気持ちが落ち着かない。
(自意識過剰だ)
自分の感覚が過敏なせいだと自覚しつつも、周りから監視されているような気分から逃れられなかった。
街ゆく人の視線から外れようと、アルスは俯き、ひたすらに目的の場所を目指した。
ようやく赤の守護者の店に飛び込んだが、すぐにその場の空気の異様さに気づく。
カウンター向こうで肘をつくディレアは、険しい顔で新聞記事を眺めている。アルスに気づいたのかどうかすらわからない。
手前の椅子に座り、足を投げ出したクロードは、じっとアルスを一瞥してきたが、黙ったまま苛々と体を揺らしていた。
困惑し、入り口で立ち尽くすアルスのそばへ、テッドが寄ってきた。
「大丈夫? 雨に降られちゃったんじゃない?」
いつものように柔和に話しかけてきたテッドだったが、声は控えめに抑えられている。
「何があった?」
「ええっと、新聞でさ、ヴィルワース辺境伯の記事が話題なの知ってる? その記事見てずーっとこの調子」
(ここでもヴィルワースか……)
どこもかしこもこの話題で持ちきりだ。
「ヴィルワース辺境伯となにか関係があるのか?」
「――家族の仇だよ」
クロードが鋭く吐き捨てた。
アルスは一気に体を硬くする。
仇。
予想以上に物騒な台詞だ。
「どこで関わりが? お前たちは北部出身じゃなかったのか。いや、ヴィルワースは北部の領地も治めていたか……」
「出身はイグラルだ。しばらく転々とした時期もあるけどな。――ってなんで北部出身って知ってんだよ。俺はお前に言ったことねえぞ」
「言葉の訛りだよ……。そうかと思っただけだ」
「なんか前も訛りだなんだって話してたな。さすが上流階級ってのはそういう言葉ひとつも気にするもんかねぇ」
クロードが皮肉を混ぜ込んできたが、記事への苛立ちが乗せられていると察する。
「ただの寄宿学校時代の研究の名残だ」
「へえ、研究ってなにするの?」
興味深げにテッドが割り込む。
「……音声蓄音した魔石聴いたり」
「ふうん」
ディレアがようやく反応し、こちらをみた。
(しまったな……余計なことを喋り過ぎたか?)
アルスは自身の事情を三人に隠し通すか未だ迷っていた。
これまでなにも伝えずにきている。探られるような情報を渡すのは緊張が残る。
結局、ディレアは先ほどの一言以降再び黙った。
アルスは、テッドが手持ち無沙汰に、店の掃除をはじめたのを手伝いつつ尋ねる。
「お前は事情を知ってるのか?」
「いいや、オレもそう付き合い長いわけじゃなくてね」
「そうなのか」
こうしてみると、アルスが話してこなかったのと同様に、彼らの事情も知らないのだと気づく。
クロードが髪をぐしゃぐしゃと掻きむしり、投げやりに語り出す。
「俺らの由来はメルトだ。大戦終了後に職にあぶれた爺ちゃんたちが、まだガキだった親父連れて船で渡ってきた。ほら、わかるだろ?」
クロードは自身の外見を示してみせた。
燃えるような赤毛と蒼の瞳。
幾分落ち着きのある色味のディレアはともかく、クロードの見た目は、北の大地に住む人種の典型だ。
リンデルに似たような姿の者もいるものの、メルトを連想するに易い。
「俺が十になったくらいの頃、親父は罪でっちあげられて、牢に入れられ死んだ。俺とディレア以外の家族も、家焼かれてみんな死んだ。あのクズ息子と死んだあいつのせいだよ」
クロードはディレアが持つ記事を指差すと、机を叩いた。
「あの親子だけは許せねえ。あいつのいいように動く国も王家も大嫌いだ」
王家という単語。
それを聞き、アルスの心臓が跳ねる。
「悪い、お前を責めてるわけじゃねえんだ。けどまあ、そっちの社会じゃ何かと縁とかあったかも知れねえよな。居心地悪くして悪かったよ」
「いや……そんなことがあったなら恨むのは当然だ。それに俺も……」
アルスはからからになる口の渇きを感じ、唾を飲み込む。
「――俺も、そいつらを許したくない」
今の自分は、クロード達を騙している状態なのだろうか。
いつまでも、この生活をずっと続けるわけにはいかない。どこかで区切りをつけて、消えていくのが自然だろう。
ただ、そうやって去った後。彼らがアルスの真実を知ったとしても。
今の自分の言葉や態度に、嘘はないことを信じてほしいと思った。
アルスは、その後もヴィルワースや王家に関連した非難が漏れだすクロードの話を受け止め続ける。
すると、テッドのあっさりとした発言が割り込んだ。
「でも、クロード。君さ、ユーフェミア王女の肖像画は持ってるよね?」
うっと声を詰まらせたクロードが慌てて弁明を始める。
「そ……そりゃ、あんな聖女みたいな見た目と振る舞いしてりゃあな。そもそもユーフェミア王女はそういった政治に絡んでたわけじゃないわけだろ……」
先ほどまでと打って変わってクロードの歯切れが悪くなる。
そのまま誤魔化すようにディレアに向かって話しかけた。
「ディレア、いつまでその胸糞悪い記事見てんだよ。焼いて捨てようぜ」
直後、ディレアはカウンターを叩くように両手をついた。
勢いよく立ち上がると、クロードをぎろりと睨む。
「な……なんだよ」
つかつかと近づいてくるディレアにクロードがたじろぐ。
「――ンがッ。ぁにすんだよ!」
新聞が顔面に押し付けられ、クロードがすぐさま抗議する。
それを見てようやく、ふっ、とディレアの雰囲気が緩んだ。
いつものように勝気に笑って新聞を指さした。
「あんたの好きな、デスパードの記事が載ってる」
「お、まじで!」
クロードは手元に落ちてきた新聞をいそいそと広げはじめた。
デスパードは、元リンデル海軍将校の経歴を持つ海賊の名だ。
義賊的な振る舞いが目立つ上に、出身がメルトのため、抑圧された同郷の者に人気がある。
先ほどのクロードの家系の由来を聞くと、彼の反応は納得だった。
ディレアは大きくひとつ伸びをすると、店の外へ出る扉へと向かう。
「ちょっと買い物に行ってくる」
「は? 雨だぞ!?」
クロードの指摘をディレアがすぐさまねじ伏せる。
「雨だからって、ないものは買ってこなきゃ手に入らないでしょうが」
「俺がかわりに——」
「いい、あんたが行くと余計なもの買ってくるんだから」
ぴしゃりと言い返すと、ディレアはあっという間にいなくなった。
アルスとクロードは呆気に取られたまま顔を見合わせる。
続いて、ひととおり周囲の掃除が終わったらしいテッドが、扉に近づいた。
「オレも出かけてくるよ」
「はあ? どこに」
「そりゃあ……女性の荷物は軽くしてあげなきゃ」
テッドは片目をつぶるように笑ってみせると、傘を持ちだし、出ていった。
「はあ」
しばらく間をあけクロードが喋り出す。
「……なんつーか、ディレアもあれでモテるから不思議だよなあ。この前もそこの掲示板にラブレターが貼られてた」
「テッドとはそういう関係なのか?」
「いや……知らね……」
「でもディレアはテッドが好き、だよな?」
アルスは人の恋路を見守った経験はほぼないが、しばらく接してきて察するものはあった。
「そりゃあ……多分」
クロードがうんうんと唸りながら首を捻る。
「いや、正直あんまテッドのことよく知らねえんだよ。いつの間にかディレアが連れてきて、上の部屋貸すことになってて……俺もわけわかんねえっつーか」
「お前、一緒に住む割に随分適当だな」
「いや、だって、実際いい奴だと思うし、何かと器用だし。あとは、そもそもディレアが言い出したことだからな」
「逆らえないってことか?」
「ちっげえよ。いや、それもあるけどなんつーか」
クロードの態度がしおらしくなり、ぼそぼそと声も小さくなる。
「色々はっきり主張するようで、普段あんまり自分のためのわがまま言わないから……。そういう時くらいは聞くべきだろうなって」
言わんとすることはわかる気がした。
クロードは照れを隠すように鼻をかく。
「ま、ディレアも色々考えることはあるだろうが、テッドに任しときゃなんとかなるだろ」
そう言って新聞を投げ出したクロードだが、紙面に載るヴィルワースの肖像画と目が合ったようだ。
舌打ちすると、苦々しげに再度叩き伏せていた。




