第64話 辺境伯の死——パトリック
昼間でありながらも暗く陰る道のりを携帯灯で照らし、馬車は進む。
リブラル城から王都までの移動は、雨が天井や窓を叩く音に囲まれたものになった。
ようやく目に入った街並みの奥に、見慣れた連棟式住居が浮かび上がる。
アルスはそれを見て、まるで自室に戻ってきたかのようにほっとした。
気を張らずに過ごせる場所というのはありがたいものである。
馬車の扉が開き、雨傘が頭上に差し出される。
あらためて思うと、パトリックの家の使用人も優秀だ。
会話は必要最低限。彼らの自然な誘導のおかげで、アルスは馬車から室内へ向かう間もほとんど濡れなかった。
玄関へ入ると、肩に僅かについた水滴をさっと拭われ、上着が引き取られていく。
その間、アルスは部屋の変化に目を向けていた。
パトリックがここを買い取って以降、日を追うごとに物が整理され、家具がきらびやかになってきている気がする。
アルスは使用人が持ってきた、いかにも高級そうで趣味の悪い上着を断ると、持参していた無地の簡易な訓練着を羽織った。
灯りの漏れ出す奥の部屋へと足を運び、扉を抜けたところで、椅子に座ったパトリックの後ろ姿を見つける。
「よお」
彼は、新聞から目を離さないままに挨拶をよこしてきた。
アルスがさらに近づくと、パトリックは座ったままくるりと振り向いた。
珈琲の入ったカップ片手に、アルスをにやりと見上げている。
「ちょっと前まで、オールドスタンの脱獄事件でどこの紙面も大騒ぎだったってのに、次はこれだぜ。しっかし、あっけないもんだよなあ」
ヴィルワース辺境伯の件だ。
アルスは顔をしかめて腕を組む。
さきほどのギブソンとの会話が記憶に新しく、余計な言葉を口にしそうで若干複雑だ。
パトリックが紙面に載る肖像画を叩く。
「あんまいい印象ねえんだよな」
「辺境伯がか?」
「いいや、その息子。元イグラル子爵、新ヴィルワース辺境伯ってとこ?」
息子はこれまで、位の下がる爵位を儀礼称号とし、イグラル子爵と名乗っていた。
当主が亡くなった以上、家督を継ぐものとして、ヴィルワース辺境伯と呼ばれるようになるのは確かではあろう。
とはいえ、さすがに言い回しが不謹慎すぎる。
「そんな目すんなって」
アルスが半目で睨むと、パトリックがひらひらと手を振りなだめながら話を続けた。
「俺は死んだ父親の方はあんま関わってないんだが、身内がいうにはこっちも評判は微妙でさ。話は強引だし、金払いは悪くないがなんか雑っていうか。そもそも上流階級以外を下に見てんのがあまりに露骨なんだよな。うちだって、親父は準爵位持ちだ。それなりの社会的地位はある」
「息子の方はなぜお前と関わりが?」
「向こうが急に訪ねてきたんだよ。何事かと思えば南部横断鉄道へ出資しろって命令してきてさ。しかも偉そうにふんぞり返って、とことん態度が気に食わねえ」
パトリックは、記憶を語りはじめるにつれ、当時の感情が呼び起こされたようだ。
徐々に口調が荒く早口になっていく。
「だいたい、いくら鉄道への投資が流行ってるとしても、南央五州は避けるなんて投資家の鉄則じゃねえか。南部だって人口の多い主要な街に関してはきちんと通ってるし不便もねえだろ。見栄で引く線路に金なんか出せるか」
まるで、金の価値の分からない上流階級への不満がまとめて注ぎ込まれる勢いだ。
「ま、俺も商売やってっからさ。完全に無碍にするのも違うかと思って、念の為うちの人間を使いに出して調査させたわけだ。そしたら何がわかったと思う?」
パトリックはすこし勿体ぶったが、アルスの発言を待たずに続けた。
「地盤くずれの影響で開発が止まってると説明受けてたが、ありゃどう考えても人の邪魔がはいってるな。反乱軍の仕業ってとこか。全く、ただでさえ開発困難地域だってのに人為的な妨害工作まであっちゃ手の出しようもねえ。分かりやすく損だ損! 費用対効果が合わねえんだって」
反乱軍の単語が出てきた瞬間、アルスは自分の顔が曇ったのを自覚した。
ただし、幸いパトリックは自身の演説に夢中だった。
「需要だって中途半端なんだよなあ。あのあたりでとれる生産品も、安価な外国産に勝てそうにないし……」
ぶつぶつと呟き続けるパトリックの愚痴は、アルスへと使用人が飲み物を運んできたところでようやく途切れた。
「あーあ、なんかきなくせえし、めんどくせえことばっかだよな。ほら、もうすぐ選挙があるだろ?」
「俺達はまだ選挙権なんてないだろう――俺は元々ないが」
「でも動向ぐらいは気になるだろ。王国保守派があきらかに勢力を取り戻してきている。レオポルド卿、多分退陣するぜ」
——レオポルド卿。
パトリックが発した名を聞いたアルスは、内心動揺する自分を抑える。
現在政権を担う人民革新派と、その長レオポルド卿の旗色は悪い。
過去最高額を叩き出した科学大国アーナヴァルタとの貿易赤字と、駐留が長引くメルトへの軍派遣の対応の遅れなど、複数の要因で、国内産業の動きが鈍っている。
近頃のリンデルの政府は、とりわけ外交に対して及び腰と揶揄され、難しい状況だ。
「今の停滞に不満覚えるのは理解するけど、アーナヴァルタ追い出そうって機運も好きじゃねえんだよなあ」
パトリックの考えは、時流にそのまま乗せられるものではないらしい。
「大体考えが古臭せぇ。この開かれた時代に、どんだけアーナヴァルタの科学の恩恵受けてるか。それもわからず魔法の優位性主張すんのもアホらしい。たまたま石炭取れて鉄鉱栄えただけで、実態は散々遅れをとってんのかわかってんのかね」
「アーナヴァルタにしてやられる感覚が我慢ならないんだろう」
冷静に返したアルス自身も、国民が抱える気持ち自体は多少理解ができる。
皆少なからず、自国の歴史への誇りや魔法国家としての立場を意識づけられて生きているのだ。
「いつまで過去の栄光に縋ってんだっての。あっちを支配してた二大強国時代なんて、何百年前の話だよ」
パトリックの思考は昔からリンデルへの執着が少ない方だと、アルスは感じていた。
その理由となるパトリックの背景を考え、妙に納得する。
パトリックの父親は純粋なリンデルの人間ではないし、家業の都合で、日頃から諸外国に目を向け、俯瞰的な視点を持ち合わせているのだろう。
「軍の戦いなんて顕著だよなあ。魔法弾なら、弾切れねえって言うけど、実質人間消費してんじゃねえか。人間積むより砲弾積んだほうが安上がりと思うけどなあ」
「基準は金か……」
「そういうなよ、ちゃんと人道的な意味も含んでるって」
呆れたアルスの指摘を受け、パトリックが慌てて取り繕った。
「しかし、レオポルド卿っていうとお前の……」
気まずそうに言葉を濁すパトリックにアルスは肩をすくめた。
会ったことなど一度もない。
かつての従者の父親だ。
あれから季節は二つ進んだ。
未だ、レオポルドの名を見るたびに心のどこかがじわりと握り潰される心地だ。
人民革新派、レオポルド卿の政権はおそらくこの秋まで。
王との距離が近い王国保守派が盛り返す。
それもって、より一層北の植民地への弾圧や、諸外国への強硬な姿勢に挑むだろう。
状況からしておそらく税が上がる。
それを負担する庶民のほとんどには選挙権などない。
王都ログスティリアだけでもこんなにも多くの営みがあるというのに、一部の人間だけで動かされるこの世界はなんなのだろうか。
人の命一つ一つが見えていない。
合わせ込んだ金の積算と労働力でしか取り扱われない。
自分も本来はその数字を扱う立場だったことに気づいた。
アルスは、そっと窓に近づいた。
外から伝わる冷気に震え、手元の紅茶の熱で暖をとる。
硝子越しに浮かぶのは、まだ降りやまない雨に濡れ、動きと影がかろうじてわかる歪な形の王都だ。
「議会に出ることもない、選挙権もない、大した意思や知識だってない。慈善活動として人を助けることもなく、金も稼がない。だが、非紳士の顔して過ごすこともできない。俺は何をするのが正解なんだろうな」
自嘲気味なアルスの呟きが消えた後、沈黙が漂う。
いつも軽口を返してくるはずのパトリックがとても静かだった。
「——何かできるってんならやるのか?」
「は?」
パトリックはゆっくりと立ち上がり、アルスを見た。
アルスは真剣な顔をした友の変化に戸惑いつつ言い返す。
「その仮定なんて無意味だろ。周りに面倒見てもらって、こうやって好き勝手に過ごすだけ。今の俺の立場で一体何が為せる」
パトリックは、かたくなに無関心を装うアルスの態度に焦れたようだ。
アルスに近づき、声を張り上げてきた。
「お前昔から言ってるけどさ。自分の影響力考えろよな!」
「これだけ存在をなかったものにされてるのに影響力もなにもあったもんか!」
「拗ねて見ないふりはやめろ! 世間一般、広く知られてないだけだろう。堂々と公言するのを憚られてるだけで、お前の存在なんて知ってやつは知ってるさ。誰にも持てない血筋って武器持ってんだ。金で解決できる範囲ならいくらでも手伝ってやれるが、いつどんな汚いやつに狙われるかわかったもんじゃない」
頭の中がざわつく。
アルスは内心飛び交う乱れた言葉を表に出すのを必死に堪えた。
じっと見つめ続けるパトリックのまっすぐな眼光に耐えきれなくなったアルスは、視線を下げた。
そのままゆっくりと瞬きをし、歪んだ笑みを浮かべる。
「こんな無知で哀れな男。誰が求める?」
パトリックの口元が静かに動く。
「誰でも」
アルスは悪態をつくのをおさえて、ついに顔を背けた。




