第62話 辺境伯の死——ギブソン(上)
アルスが第六近衛編団の集まる広場に着いた頃、既に午前の予定は終了していた。
団員たちが各々散らばり過ごす奥に、ギブソンの姿を見つけ、アルスは向かう足を早めた。
簡易に設置された木製の椅子へ深く座ったギブソンは、新聞を手に唸っていた。
ギブソンは、寄ってきたアルスにようやく気づくとさっと立ち上がり、新聞を椅子に放り出す。
アルスはその新聞を目で追った。自分が購読している新聞とは違う社のものだ。
見えた範囲の文字を読む。
「ヴィルワースの件か。有力貴族ではあるし、影響は大きそうだがお前が心労を溜めるようなことか? 深い縁でもあったのなら、今すぐここを発った方がいいと思うが……」
「いえ……。そこまで関わりが深かったわけでは……」
アルスはギブソンが投げ出した新聞を拾うと、深く頷いた。
過去の大戦時に縁があってもおかしくないだろうが、話に聞く選民意識の高さと、強権的な帝国主義の思想がギブソンと合うようには思えなかったからだ。
「何か心配事か? 状況が悪いのか」
「この状況での事故。本当にただ運の悪い事故なのかと……」
ギブソンの言葉にアルスはぎょっとした。
「お前がいうと洒落にならない。なんだ? 何か不審な点でもあるのか?」
アルスは周囲を見回し、声の調子を落とす。
ギブソンはそわそわと鈍色の髭を撫で、しばらく悩んだ素振りを見せた。
「……少し歩きましょうか」
ようやくつぶやいた声も彼らしくないほどに小さい。
アルスは、人気のない城壁の方へとゆっくり向かい出したギブソンの背後を追う。
慌てて横につき、髭面の猛者の曇る顔をそばで見上げ、しばらく黙って歩いた。
そり立つ城壁の手前に広がる楢の森の入り口で、ギブソンは立ち止まった。
辺りに人影はみられない。
揺れる草木とそばを流れる小川は吹きつける風のせいで騒々しいが、この場は森に遮られて幾分穏やかだ。
「すでに認識済みのこともあるでしょうが、南部の事情から整理しましょう」
ギブソンは一度アルスと目を合わせた後、王家の城の方に視線を移し、語り出した。
「南部の土地は主に、王弟デルツベリー公爵が治めていた西部。今回亡くなられた辺境伯の東部。残る小規模の南央五州で構成されていることはご存じですね」
王弟デルツベリー侯爵に触れた話題にはっとする。
以前、王城帰還後にユーフェミアと会話した記憶が蘇ってきた。
侯爵は二年ほど前、国への叛意か疑われた。
その際、この城砦内の牢へ拘束後、脱獄を企てた件で国外追放済みだ。
「デルツベリー領は現在、王家が直接管理しております。南央五州はご存知の通り、山間部のどこかに反乱軍が潜むといわれている荒れた土地。そして今回武力、政治力ともに覇権を極めていたはずの辺境伯が亡くなり、その後継は社交界でも笑いものの放蕩息子」
こうして整理されると改めてリンデル国内南部の状況は突出して深刻だ。
荒れる南部と新聞が書き立てるのも納得だろう。
「アルス様は、辺境伯の事故の詳細はご存じで?」
「遺跡での石魔獣狩りで大怪我をしたと」
「ええ。怪我の内容は魔法による身体損傷です。大火傷に近い症状でしょう」
そこでギブソンは、会話を止めた。
そばにある橋の欄干に手をつき、水の流れをじっとながめている。
アルスはギブソンの発言の意図へ必死に考えを巡らせる。
「つまり、石魔獣による攻撃を受けたのか、人の魔法弾による損傷かわからない……?」
ギブソンがゆっくりとアルスの方を振り向き、微笑む。
どうやらアルスは、ギブソンの求める答えを掴めたらしい。
「さて、もう一つ別の事件のお話をしましょう」
ギブソンが、静かに話を再開した。
「かの辺境伯を文字通り致命的に弱らせた要因のもう一つが、長年彼に支えていた重要な側近の行方不明の件があります」
「そういえばそんな話もあったな……」
読んでいた記事の端で見かけた記憶がある。
「辺境伯の怪我より少し経ったひと月後、彼はメルトに滞在中の軍の高官に向けて作成された書面を持ち使者に出されました。その際船ごと遭難したらしく、実質亡くなったとみなされています。遺体は回収できていないものの船の残骸の一部が、リンデル北部の岸辺に流れ着いたと」
メルトとリンデルを結ぶ航路は、氷で覆われる冬場はともかくとして、それ以外の季節は特別事故が多いわけではない。
だが、時折船が大きく東に流されることもあり、その方角には海賊の存在とメルチェスター・トラペジウムと呼ばれる魔の海域もある。
海での遭難は明確な不審点でもなければ、ただの不運で済まされる。
これもさして疑問に思う事故ではないはずだ。
「強権を振るった辺境伯は事故が元で衰弱して没し、重職を担っていた側近は海で遭難して行方不明。家督を継ぐのは放蕩息子。この家は短期間で力を落としました」
「これが作為的だと……?」
「わかりません。ただ王弟追放の件といい、この二年で一気に地主階級による南部の支配が弱体化したのは事実です」
二年。ギブソンが強調した年数にアルスは意志を感じた。
この数年の大きな変化といえば——
「……反乱軍」




