第61話 辺境伯の死 ――ユーフェミア
食事が済み、空になった銀の平皿が下げられていく。
入れ代わりにメリッサが茶器を並べていた。
アルスはそれを眺めて静かに待つ。
一通りの準備が終わると、ユーフェミアが立ち上がり、銀のポットを手に取った。
端々まで磨きあげられたその品で、光を鏡のように跳ね返しながら、白磁のティーカップへと紅茶を注ぎ入れていく。
「お砂糖の数は?」
「一つでいい」
ユーフェミアは、アルスの要望通り一つだけ角砂糖を落として茶を提供した。
温かく広がる紅茶の匂いを受けとめ、覗き込んだカップは華やかだった。
深紅に色づいた茶の奥で、葡萄と秋の植物の模様が踊るように散らばっており、縁は金彩で閉じられている。
「パトリック様が手配してくださる紅茶はとても質がいいですね」
添えた一言と共に、ユーフェミアの細指が自身のティーカップへと伸びる。
ゆったりと口元で香りを堪能する彼女の姿はまるで絵画のようだ。
ユーフェミアの館の応接間は、とても静かだった。
アルスとユーフェミア以外に、そばにいる人間はメリッサだけだ。
メリッサは家政婦長だ。
彼女は優秀で、能力としては申し分ないだろうが、本来、ほかのメイドたちへの指示と監督が仕事のはずだ。
給仕を含めたユーフェミア周りの細かい世話であれば、ほかのメイドに任せていい立場である。
しかしユーフェミアは、アルスと過ごす際、可能な範囲でメリッサ以外の人間を関わらせることはなかった。
先日、アルスは不思議に思い尋ねた。
するとユーフェミアは、柔和な瞳を細めて笑った。
「そのほうが気楽でいいでしょう」と。
アルスはよっぽど、メリッサに対するユーフェミアの信頼が深いのだと思っていた。
だが、あとから、これはあまり人との関わりを好まないアルスのためだったのだと気づく。
しばらくアルスの身の回りの補助をしていたメリッサであれば、幾分居心地がいいと考えたに違いない。
「改めて、急に呼び出してしまいすみませんでした。急遽ここを発つ必要があり、今晩夕食をご一緒できなくなってしまったので」
「気にしなくていい。むしろ悪かったな。俺との約束があったせいで無理をさせた気がする」
「いいえ! ……いいえ、私がお会いしたかったのです」
ユーフェミアはもじもじと拗ねるように俯いた。
「辺境伯の件か? 王からもう指示が来たのか」
「いいえ、でも確実にきます」
「来るだろうと言う予測か?」
「違います。確実に来ることを知っているだけです」
断定的なユーフェミアの口ぶりに戸惑うアルスだったが、深く追求はしなかった。
続く言葉に耳を傾ける。
「母も王太子もいないため、私がヴィルワース領の方へと向かうことになります」
王は随分と、この辺境伯に敬意を払いたいらしい。
議会は選挙直前の重要な局面を迎えており、終了間際だ。
王は議会の都合上安易に王都を離れることができない。
いかに顕要な盟友であろうと葬儀の出席は代理としての近傍の側近だろう。
そのような事情の中、本来王族として役割を果たすにちょうどいい王太子と王妃は不在だった。
共に未だ独立運動の火種で燻る北の国、メルトに滞在中のためだ。
すぐに動ける状況へ置かれているのはユーフェミアだけだった。
「ヴィルワースへ向かったところで、エフィが葬儀に出るわけじゃないだろう」
上流階級の女性が葬儀に出ることは多くない。
女性は葬式に耐えられないとされているからだ。
「しかし……これまで多大な貢献をされた方ですので、誰も行かないというわけにはいきませんし」
ユーフェミアは、困り顔で微笑し、垂れる金糸の髪をさらりと揺らす。
「ヴィルワースに近いライ聖堂に滞在して祈りを捧げよと、そういったお仕事になりますね。……すみません、口を滑らせました。お仕事といっては失礼ですね」
アルスはユーフェミアの振る舞いを見て、改めて感心する気持ちが湧き上がる。
ユーフェミアはまだ十五だ。
彼女が自分の立場を理解し、立派に役割を果たす姿には眩しさも覚える。
それでも、年相応の甘えを出せるのがアルスの前だけだというのであれば。
彼女と過ごし、助けることは一つの義務なのかもしれない。
あまり無理はしないようにと声をかけると、ユーフェミアの頬が、さっと薔薇色に染まった。
彼女は少し幼さの残る照れを見せたあと、機嫌良く紅茶を口に運ぶ。
「最近パトリック様とお会いになっていると聞きました」
「ああ」
「直接お話しできる機会があるのであれば、もう内緒話は不要ですかね?」
ユーフェミアは、声を顰めて確認してきた。
まるで子供のいたずら話のようだ。
そんなユーフェミアをよそに、アルスは落ち着かない気持ちで目を泳がせる。
今日もこれから会う予定のパトリックの顔が浮かぶ。
——彼のため、言うべきか、言わざるべきか。
カップを手に取ったアルスは、紅茶に沈んだ小さな茶葉の屑をじっと眺めた。
「その……エフィ、無理にとはいわないんだが」
ユーフェミアは、言い淀むアルスの言葉を待っている。
「今後もできる範囲でシェブルレ商会をつかってやってくれないか」
「お兄様……」
逸らしたままだった視線を戻し、ユーフェミアの方を見た。
大ぶりの碧い瞳の間にできた眉間の皺に気付き、言わなければよかったと紅茶を煽る。
随分と利己的な依頼だ。
居心地の悪い空気にしてしまった気がする。
「すまない、忘れてく――」
「お兄様、私がお兄様のご友人を無下にするような人間とお思いですか」
アルスが再度ユーフェミアに向き直ると、その表情は穏やかだった。
「そもそも、実際とても助かっております。ねえ、メリッサ」
「はい、あの商会、取り扱っている内容も幅広く融通がききます。流通もしっかりしており、手配も迅速です」
メリッサの淡々とした声にアルスはほっとした。
ユーフェミアはともかく、メリッサは仕事の評価を率直に表現するはずだ。
シェブルレ商会はアルスの想定以上に彼女を満足させたらしい。
「——ところでユーフェミア様。そろそろお時間かと」
メリッサの指摘が入る。
途端、ユーフェミアの顔が泣き出しそうに崩れた。
「……お兄様、すみません。喪服の新調のために、仕立て屋との約束が入っておりまして」
口を尖らせ、渋い表情でぶつぶつと不平を呟きはじめた姿は、とてもじゃないが民には見せられない。
アルスはユーフェミアの、あまりのわかりやすい落ち込みように笑った。
「——俺もそろそろ兵団の方へ顔を出す。エフィ、帰ってきたらまた食事をしよう」
結局ユーフェミアは、見送りまではとメリッサにしぶとく交渉し、アルスが館を出るまでそばに張り付いていた。




