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第60話 辺境伯の死 ――ロイ

 赤い天鵞絨ビロードのカーテンの隙間から朝の日差しが差し込んでいる。

 揺さぶられる木の葉のざわめきを耳で辿った奥で、小さく反響する水鳥の声を見つけた。


 その日は、前日の冷え込みから一転して、幾分穏やかな気温が戻る朝だった。

 

 アルスは水差しの水を口に含みながらベッドを抜け出し、窓のそばに寄る。


 カーテンを開けた硝子ガラスの向こうでは、真紅の薔薇が小刻みに震えていた。

 背景には明るい青空が見え、すがすがしい秋の朝といいたいところだが、頭上を覆う雲の流れは早い。

 変化しやすい天気を予感させる。


(今日は予定が詰まっていたな……)

 

 一度だけ控えめに叩かれたノックのあと、背後の扉があく気配がした。

 

「早いですね」


「たまにはな」


 率直なロイの感想にアルスはようやく振り向いた。

 

「まあ日の出も遅くなってきましたしね。それほど起きるのが早いかっていうと……」


 朝に弱いアルスは苦笑するしかない。

 小柄故に、いつも上目遣いに見上げてくるロイの表情は、愛想というものが欠けがちだ。


 ロイは日が経ち、アルスの生活を目の当たりにするにつれどんどん遠慮が消えていく。

 文句や皮肉が増えてきたが、その実、行動はお節介なほど親切だ。

 だが、それを素直に出したくないらしい。

 

 ロイは、サイドテーブルに盆をおくと、手際よく紅茶をいれた。

 湯気の立ちのぼるティーカップに添え、アルスへ新聞を渡してくる。


 差し出されたその二つを見たアルスは、少し考え口を開く。


「……今日は朝食はないのか」


 散々食事をとれと、うるさく騒ぐロイが持ってこない。

 そして、それを特に気にする様子もない。

 何かしらの意図が感じられる。


「その件なのですが、朝のご支度急がれた方がいいかと」


 ロイが手紙の載せられた銀盆をアルスの眼前へ勢いよく差し出した。

 丁寧なのか横柄なのかわからない態度に、さすがのアルスも笑いだしそうになりながら受け取る。


「ユーフェミア……?」


 差出人を見て急いで開く。

 ユーフェミアとは今晩夕食を共にする約束をしていた。

 その件について問題が出たのだと察し、中身を追う。


 アルスがユーフェミアの走り書きを読み終わるのを待って、ロイが説明を加えてきた。


「もともと約束がおありだったんですよね。夜に都合がつかなくなった分、アルス様と朝食をともにしたいとのことでした。当然向かわれますよね」


「ああ」


 断る理由はない。兵団の訓練には間に合わなくなるだろうが、もとより参加が必須というわけでもない。

 あらかじめ伝えればいいだけだ。


「時間は……まだ少し余裕があるか」


 アルスは熱めの紅茶を喉へ流し入れ、体に染み込む暖かさを感じながら、新聞を手に取った。


 紙面を開き、目に飛び込んできた記事を見て、ユーフェミアが食事を断るに至った理由がわかった気がした。


「ヴィルワース辺境伯が亡くなったのか」


 ——辺境伯ヴィルワース。


 所領はリンデル王国南東に位置する内陸山間部。

 因縁の深い隣国ギニファをはじめとする諸外国国境に接している領地ということもあり、重要な拠点の一つだ。


「最近は議会にも出席されていませんでした。たしか、春先に遺跡で狩りをされた際に大けがをされてそこから寝込んでいたと……」


「時季外れの狩りをするような気骨持ちの人間が一気にこうなったか。さすがに年齢には勝てないということか」


 記事から窺い知れる歳は六十七。まだ四十代の現王のことを考えれば先代の王の世代の者とも言える。


 先の大戦時にも率先して前線に立ち指揮を振るった経歴と、政治家として次々に政策を指示・主導する人物として名が知られ、リンデル国内の影響力は高い。


「衝撃は大きいだろうな……」


 基本的に社交や政治から遠ざけられているアルスは、辺境伯との関わり合いなど当然ない。

 ヴィルワース辺境伯について知る情報も、新聞記事の内容や周囲の噂話程度だ。


 ただ、王と近い存在ということ。

 そして、比較的民衆を強引に抑え込む政策が多かった理由もあり、アルスにとって正直良い印象の人物ではない。


「でもその息子が放蕩ほうとう息子なんですっけ」


 咳込むようにアルスの息が漏れる。

 ロイのはばからない物言いに、アルスは思わず紅茶を喉へひっかけた。


「大丈夫です?」


 正直、大丈夫か心配すべきはどちらだろうと頭をよぎった。

 学閥から弾かれて、ただでさえ苦労があるだろうに、発言が率直すぎて問題を生むこともありそうだ。 


 とはいえ、実際ヴィルワース辺境伯の息子の名は悪い方面で有名だった。

 名声を築き上げたヴィルワース辺境伯の最大の汚点とも言えるかも知れない。


「……まあ、事実であるなら、頭の痛い話ではあるだろうな」


 新聞も、そういった内容はとりわけ面白おかしく書きたがるものだ。

 どこか他人事の感覚が抜けないままアルスは肩をすくめた。


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