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第8話 新たな生活

 長旅の疲れもあり、いくつかの出来事が重なった帰還の夜は、就寝の準備もそこそこに倒れ込むように眠ってしまっていた。

 おかげで記憶が朧気おぼろげだ。

 


 翌朝、目を覚ましたアルスは、ここがリブラル城の寝室のベッドだということに気付くまで時間を要した。


 すでにカーテンが開けられ、完璧に磨き上げられていた窓の外は、清々しいほどに雲ひとつない快晴で、昨日までの陰鬱いんうつな気持ちが吹き飛ぶようだった。


 窓を開け、深呼吸をすると、どこか懐かしく覚えのある強烈な香りが漂ってくる。


 目にとまったのは薔薇ばらの花だった。


 しかしその姿は放置されてきたことがよくわかる有様で、無造作に葉が落ち所々黒く病気になっている姿は植物ながら痛々しい。


 そのような状態になってまでも花をつけ続ける薔薇園は、祖父である先代の王が愛した場所だった。

 アルスも祖父のそばで本を読んで過ごしていたお気に入りの場所だったことを思い出した。



 

「アルス様、よろしいですか?」


 戸を叩く音とともに外から声がかかる。

 扉を開けると、食事を乗せた台を抱えたメリッサがいた。


「朝食をお持ちしましたので準備します。新聞はこちらで問題ありませんか」


 木製の盆に置かれた新聞をみてアルスは驚く。


「ああ……さすがだな。俺の読む新聞まで把握しているのか」


 メリッサは、手際よく朝の支度を整える。

 情報をどこで仕入れたのか紅茶の濃さや食事の量などアルスの好みに合わせた完璧な準備が目の前で仕上がっていく。


「第六近衛兵団の方からの伝言です。一時間後に面会したいと。承諾してよろしいですか」


「ああ、もちろん構わない」


「本日のご予定をお聞きしても?」


「その第六近衛兵団との面会以外はまだ未定だ。助けが必要な際には呼び鈴で呼ぶ」


「着替えの際にはお呼びください。お手伝いいたします」


「不要だ。今後必要なら伝える。準備ありがとう」


「いいえ。では失礼します」



「——ああ、すまないメリッサ。言い忘れていた」


 会話が終わり、部屋を去ろうとするメリッサが立ち止まり振り向く。


「はい。なんでしょう、アルス様」


「使用人の採用についても、全てお前に任せても構わないか?」


「構いません。一任していただくのであれば指導と管理も含め、相応の者を用意します。執事(バトラー)のほうは当分私の縁戚えんせきに、既に王の城(ネイピアス城)で働いている者がおりますので兼任させましょう」


「それは勝手に決めて支障ないのか?」


「問題ありません、王宮の執事バトラーは他にもおりますし、もとより王の我儘わがままでユーフェミア様の元から貸し出した人間です。優先順位というものがあるのです」


 メリッサが鼻で笑った。

 ユーフェミアの使用人たちは王のことをあまりよく思っていない節がある。


「助かる」


 何もないところから、暮らしを一人で整えるのは難しい。

 館の生活についてメリッサに丸投げできるのであれば心強い。



 メリッサは、「ただし」と前置きしてアルスをまっすぐに見据えて発言を続ける。


従者(ヴァレット)については、候補をお探しすることはできますが、お決めになるのはご自身がよろしいかと。最も側で仕える人間になりますので信頼関係と相性が重要になります」


「わかった、では面談して決める」


 メリッサは、従者(ヴァレット)に求める性格や年齢などの条件を尋ねてきたが、アルスは答えを保留した。

 自分が、従者を引き連れるという想像がまだわかなかったからだ。

 


 朝の食事と支度を終え、面会の約束の時間になると応接間へと向かった。

 第六近衛兵団の者であるとの話から勝手に決めてかかっていたが、そこにいたのはギブソンではなかった。


「ブライアンじゃないか!」


 遠目からでもわかる、縦に長い直立不動の立ち姿に、思わず声を弾ませる。

 きれいに撫でつけられた栗色の短髪も記憶と変わらないままだ。


 アルスは足早に近づくと兵の顔を見上げた。


「久しぶりだな。ギブソンとは帰省で母方の実家(グヴェルフ家)へ滞在するたびに稽古をつけてもらっていたんだが、お前に会うのは三年ぶりくらいな気がする」


「お久しぶりです。そんなになりますか。……道理で。アルス様はなんというか、一気に大人になられましたね」


 ブライアンが戸惑っているように見えたのは、三年間で自分の身長や声に大きな変化があったからだと気づいた。


「相変わらずギブソンの下で振り回されているのか」


 ブライアンは、昔からギブソンの下で手足となって働いている側近である。

 ギブソンよりも若いが、十分経験のある兵士だ。


「王に喧嘩を売るなどと、今回ばかりは縁を切ってやろうとも思いましたが、ずるずると」


 ブライアンは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「お前は旅団に残れと口ではいうくせに、ちらちらと私を横目に見ながら、今後あれはどうする、これはどうすればと近くで大袈裟に頭を抱えて呻くんです」


 ギブソンが、わざとらしく嘆いている姿を想像するとおかしかったが、ブライアンにとっては苛立ちの元でしかないようだ。


 久々に会ったばかりというのにブライアンのギブソンに対する愚痴が止まらない。


「大体いつも思いつきで色々口にするくせ、結局その尻拭いは丸投げで……」


 ブライアンの事は昔から知っているが、笑った顔をあまり見たことがないほどの生真面目な男だ。

 豪快なギブソンの元で働くのは面倒ごとが絶えないだろう。


 しかし本気でギブソンに嫌気がさしているのであればここまで長くついては来ない。


 彼の姿を観察してみると、特別やつれた様子もなく、軍服や髪の毛にも乱れはない。

 ギブソンの降等に巻き込まれても以前のままの調子で愚痴が漏れるブライアンに安堵する。


「ああ、すみません、油断するとすぐにあの熊男の愚痴が出ます。さて、アルス様、長旅の疲れはもう平気ですか」


 結局ここまでブライアンはくすりとも笑っていない。


 アルスは、自分もそれなりに真面目と言われがちだったが、ブライアンには敵わないと思った。


 

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