幕間 アルスとジャックの旅行Ⅴ ―メリアフィールド―
ジャックは御者の横で、馬車の揺れに身を任せながら、頭上を過ぎる木々を眺めていた。
ふと、湖面をかき分ける水鳥の気配がした。続く蹄の音の変化から、馬車が橋へ差し掛かったことに気付く。
石造りの橋床は短いながらも、中央にたどり着くまで登るようにゆるやかな山なりで、隣に座る御者が、馬たちの歩みを急がせぬよう制御している。
いまはもう昼過ぎだ。
王都より続いた列車の路程は無事終えた。
迎えの馬車に乗り継いだアルスとジャックは、獅子の彫刻が飾られた立派な入口門をとうに抜け、メリアフィールド家が保有する敷地の庭まで辿り着いていた。
橅林をようやく抜けると、景色が唐突にひらける。
芝が伸び広がる緑の大地の奥には、蜂蜜色の煉瓦で形づくられた壮麗な城が居座っていた。
ジャックは、遠目に見える玄関そばの人影に気付き、背後にいるアルスの様子をそっと窺った。
アルスの座る車体は幌付きではあるが、気候のいい今、解放されている。
軽く腕を組み、庭や建物の様子に目を向けているアルスの顔は涼しげだった。
無理をしているようにも見えない。
(やると決まりさえすれば、今更狼狽えることもないってことか)
自分の心配が杞憂であったことを知り、ジャックは一人苦笑した。
アルスは少しばかり自信や自尊心が削り落とされているだけで、手がかかる人間でもない。
立ち場としては難しい状況があるものの、王族の一人だ。
粗相という意味でも気にするのは、結局向こう側だ。
* * *
メリアフィールド家の者たちとひとしきり挨拶を済ませ、屋敷と庭の案内が終了したころには日がすでに傾きかけていた。
アルスは夜の会食へと向かうことになる。
使用人の立ち位置であるジャックは別室で待機のため、食事の様子はわからない。
ジャックは、もはやそれほど心配もしていなかった。
アルスは所作や行動に問題などはないし、メリアフィールド家についても同様だ。
出迎え時に軽く公爵の様子を窺ったが、特に敵意なども感じられない。
首相の息子であるジャックの身の内をアルスがつい明かしてしまった際にも、公爵は驚きを口にすると同時に丁寧な振る舞いで尊重してくれた。
息子の方もどちらかというと気弱で穏やかな性格に見えたし、それほど難しい人間ではなさそうだった。
あらかじめアルスにはいくつか政治や遊戯の話題も仕入れさせたし、会話に不足することもないだろう。
就寝前、ジャックはアルスにあてがわれた部屋で寝支度を手伝いながら、会食の様子を聞いた。
「ここからしばらく馬車を走らせた先に『砕けた空』という白い海食崖の丘があるらしい」
「かいしょくがい?」
「波によって、大地が削られてできた崖のことだ。よく知られた景勝地で、俺も以前風景画を見たことがある」
ジャックは、芸術や学術的なものについては興味が薄く疎い。知識もさほど深く持ち合わせておらず、アルスが気分よく話すままに任せる
「自然の中にそびえる白亜の壁と、海や丘の緑が続く景色が綺麗で珍しいんだ。この近くとは知らなかったな」
説明が、地質の特徴や有名な画家の話などに流れて、徐々に専門的なものになってくる。
話し続けるアルスの様子からだいたいわかる。これは本当に興味のある時の反応だ。
ジャックはアルスの話の区切りがついた状況を見計らう。
「じゃあ、行きましょうよ。明後日にでも」
「え……」
饒舌だったアルスの喋りがぴたりと止まった。
落ち着きなく首や手をそわそわと動かし、ジャックの言葉に戸惑っている様子を見せてくる。
「いや……だが、特に立ち寄る時間もないはずだし」
「予定変えればいいだけでしょう。明日は狩りの予定がありますが、明後日は帰るだけで予定がない。朝に列車で発つ予定だったところを夕方まで伸ばせばいい」
「しかし、メリアフィールド公爵からの誘いがあったところを断ってるんだ。予定していなかったから難しいと。そこを覆せば向こうの準備としても迷惑だろう」
「我々だけで向かえば、公爵の予定も関係ないでしょう。まあ、向こうが予定を変更してくださるかもしれませんが」
「それは申し訳ない」
アルスが居心地悪そうに、やはり今回は諦めるべきだと小さく主張を重ねる。
(どうしたもんかな……)
ジャックは、腰に当て頭をかくと、小さく頬に空気を溜めた。
頭に浮かぶ文言を整理しながら、息を吐き出し、率直に切り込む。
「そもそも貴方、メリアフィールド公爵と一緒に行きたいです?」
「……は?」
ジャックの発言にアルスが固まった。
「気楽さなくなるでしょう? 俺たちだけで行けばいいと思いますけど。とりあえず列車の調整や、旅程変更の連絡など手配しておきます。ここの使用人にも情報色々聞いておきますよ」
「だが、公爵に失礼じゃないだろうか、なんて言い訳すれば……」
「言い訳って……。公爵の話を聞いて、どうしても行きたくなったと素直にいえばむしろ喜ばれると思いますが。気楽な旅がいいから同席は不要だと伝えてしまえば、向こうだって、余計に付きまとう手間もなくなりますし」
アルスはしばらく視線を彷徨かせたあと、困惑を滲ませた声色でジャックへ確認してくる。
「お前は、俺に公爵家と懇親を深めさせたかったんじゃないのか?」
「はい、そうですよ」
アルスは何か勘違いをしている気がする。
こういったところに彼の不器用さを感じてしまう。
ジャックは一つ一つ言い聞かせるように諭す。
「アルス様、懇親を深めるのが目的であって、彼らと長時間過ごすのが目的ではないんですよ。無理して気を遣ってその気持ちが伝わるほうこそ問題です。あなたは、ただ明日の狩りでしっかりと仕事をすればいいんです」
目の前には、不安を宿す瞳でジャックを見つめるアルスがいる。
そんな主人に向かって、ジャックは悪だくみを漏らすかのように、にやりと笑って見せた。
「もう少し気楽にいきましょう、アルス様。せっかくここまできたんです。少しぐらい旨味を享受しなきゃもったいない」




