幕間 アルスとジャックの旅行Ⅳ ―汽車の中―
汽笛が鳴り、列車は出発した。
旅中、特別目立った会話もなく、じっと本を読み進めるアルスの姿があるだけだった。
ジャックは手元にある雑誌を読んでは放り出し、荷の点検をする。
うとうとと居眠りをしそうになると、外の廊下に出たりとただただ落ち着かないまま過ごす。
「——暇そうだな」
ジャックがこの三十分の間で四度目になる「紅茶のおかわりはいりませんか?」という言葉を発したところで、アルスが本を閉じ顔を上げた。
「いえ……」
「寝るなら寝ても構わない。普段あまり休めないだろう? 到着前に起こす」
「いや……それはさすがにどうかと」
自由な行動を許してもらっているが、そこまで職務放棄をするわけには行かない。
楽にするようにといい置いたアルスは、再び窓の外の景色を眺めながら、荷物から追加の本を取り出していた。
アルスは出発後からずっと、流れ過ぎる黒煙混じりの風景を眺めては、静かに本の文字を追っていた。
「実は、鉄道で出かけるの好きだったりします?」
ジャックの言葉に、一瞬きょとんとした表情でこちらを見たアルスは、顎に手を当て数秒黙った。
「そうかもしれない。勝手に変わる景色と、この揺れの中ゆっくりと過ごすのは、嫌いじゃない」
アルスは自分で納得するように頷いていた。
「お前は暇そうだな」
先ほどと同じ発言が、ジャックへ向けて繰り返された。
実際暇だ。
目の前の主人があれこれ我儘を言い、手を煩わせてくれるくらいの方が暇つぶしになる。
「俺はどちらかというと、馬に乗って自分で走りたいです。この乗り物も相当楽ではあるし、尻も痛くならないのは素晴らしいですが、変わり映えしない空間で静かにじっとし続けるのもあまり性に合わなくて」
ジャックの率直な愚痴を聞き、アルスが小さく笑い出した。
「母も似たようなことを言っていた気がする」
「シャーロット様、ですか」
亡くなった前王妃の名を出し確認する。
アルスが自分のことを話す機会はそう多くない。
ましてや彼の母はすでに亡くなっている。
こういった話題を軽率に振るわけにもいかないため、正直興味が湧くところだった。
「ヴェクターとノースプル間の路線開通記念の列車に乗った際、窓の外で並走する馬を見て、あっちが良かったと言い周りを困らせたらしい。俺はその場にいなかったから伝聞だが」
「活発な性格でいらっしゃったんですね」
「それこそ石魔獣狩りとかも好きだったし、俺から見てもなかなか豪胆な人間に映ったな。あまり性格は似なかったんだ。ゴリラだの猛獣だの、俺の当時の家庭教師が散々揶揄していたのを思い出すよ」
王妃相手に随分な言いようだ。
暴言が過ぎると思ったがそれほど気安い関係であり、シャーロット妃にもそれを受け入れるだけの度量があったのだろう。
会話がそのまま家庭教師の話題に流れたアルスの前で、ジャックは適度に笑みを浮かべて相槌を打つ。
アルスは嬉しそうだ。
家庭教師への信頼が話ぶりから見て取れる。
彼の立場で言うとまるで育ての親に近いものがあるのだろう。
ジャックも面倒を見てくれた使用人らへの思いは強い。
だが、実のところ、たまに聞かされるアルスの元家庭教師の話題は、ジャックにとってあまり面白いものではなかった。
付き人という立場で自分の中に対抗心でも生まれ出るのだろうか。
当時、この家庭教師にどのような事情があったのか、ジャックにはわからない。
それでも大変な状況下に置かれた未熟な歳の頃の人間を、まともな説明もなく置き去りにした人間など、あまり良い印象を持つことはできなかった。
アルスの生来の性格もあるだろうが、彼の人と関わりに対する臆病さの要因がここにあるのではないかとジャックは考えていた。
——そいつ、あなたを捨てたんですよ?
本来、アルスほどの立場であるのであれば、寄宿学校へだって、専用の家庭教師を雇い連れ立って然るべきだ。
学術や生活の補助など必要となる場面は多々発生する。
後任も立てないままに職務を放り出し、立場の弱くなったアルスのもとから去った人間に、ジャックはどんどん苛立ってくる。
鬱屈した思いが溜まる一方、出会った当初——そして先ほど、ジャック自身無遠慮な台詞を投げつけたことを思い出す。
——従者として長くそばに仕えることはない。
今思えば残酷ではないか。
事実かもしれないが、宣言する必要はなかった。
信頼を得たところで去ってしまうという事情について、意識させ、釘を刺してしまった。
アルスにとっても、ジャックにとっても、どこか踏み込めない、あくまで仕事上の関係である現実。
自分の吐いた余計な言葉のせいで、今後も一定の距離を超えることはできない気がした。
(あの時も、傷つけていたのかもしれない)
ギブソン大佐に乗せられ、やけになっていたとはいえ、失礼極まりない発言をしたと思う。
怒り出すこともなく穏やかに受け入れてくれたアルスの態度を、ジャックは未だ忘れられずにいる。
今更後悔しても、もう遅い。




