幕間 アルスとジャックの旅行Ⅲ ―ノーリントン駅にて―
馬車を降りると、風が土埃を舞い上げていた。
想像よりも冷たく肌を撫でてきた空気に、ぶるりと震える。
早朝。ジャックとアルスは、ノーリントンの駅前へ訪れていた。
物売りがそばでうろついている。
拾い上げた秋の香りは焼き栗によるのものらしい。
正面にそびえる石造りの駅舎からは、多くの人の塊がなだれ出てきている。
体格のいい背格好と騒ぐ言葉の訛りから、週末の周遊旅行に訪れた工業都市の炭鉱夫と推測する。
ここは、王都ログスティリアとリンデル北部を繋ぐ列車の発着地だ。
とりわけ多いのがリンデル最大の工業都市ヴェクターとの間を結ぶ路線で、荷と人の往来が激しい。
ジャックはアルスを連れ、できるだけ人込みを避けて歩く。
駅舎へ入ると、周囲に漂う冷気が和らいだのを感じ、ジャックはほっとした心地で巨大なアーチ状の天井を見上げた。
辺りは少し薄暗い。
ただでさえ曇り空という天候の中、列車の発着が重なったようだ。
ガラス屋根の配下に煙が充満している。
ジャックが、旅行鞄を運ばせた駅手へ礼を渡し終わった頃。
アルスは、駅構内の貸本屋で立ち止まっていた。
本に気を取られるアルスを急かし、ジャックはようやく手配していた一等車の車室に押し込めた。
朝からここまで本当に慌ただしかった。
座席に座り、やっと一息つく。
窓の方に視線を移すと、隣の路線に列車が入場してきているのがわかった。
徐々に緩やかになる規則的な蒸気音が、擦れる鉄車輪の重厚な響きと共に気持ちを落ち着かせてくれた。
ジャックは、車室の斜め向かいに座るアルスの方を見た。
気がつけば、出発前から、彼の荷物に本がいくつか追加されている。
アルスの傍らに立てかけてある長剣を眺め、ジャックはふと思い出す。
(前はこれで揉めたんだよな……)
彼との初めての外出時のこと。
衣装や荷物を揃えて準備を進めていく際、杖を持たせようとした段階で拒否された。
——昨今、杖を持つ紳士が増えたのは剣の代わりだ。
中途半端に頑固なこの主人の主張は、剣その物を持っているのであればそれで構わないというものだった。
普段は口下手なくせに、こういう時だけ淀みなく喋り出す。
文献を引っ張り出し、歴史の経過をこんこんと説明されれば、ジャックも頷かざるを得ない。
実際、兵団で行われる訓練の様子から、アルスの剣や魔法の実力が申し分ないことは、はっきりと理解している。
安全な旅のためにも自分で身を守れるなら、それに越したことはない。
少し無理矢理な気もしたが、ジャックは考えることを放棄した。
そして、今回の外出。
今度は列車の手配で一悶着あった。
この列車はそれぞれの車室が独立しきった形態ではなく、個室の横に側廊下がある。
二等車とも行き来が可能なため、ジャックは自分の居所について二等車での待機を提案はしてみた。
当然必要に応じて通路を見回る。
アルスの返事は、ある意味予想通りのもので、ジャックは頭を抱える羽目になる。
自分も二等車でいいと発言してみせたり、護衛や話し相手が必要だからそばにいるようにと下手な言い訳を始めたからだ。
ついに隣の車室でいいからと無駄な手配を主張し始めたため、結局ジャックの方が折れた。
これから向かう、メリアフィールドの所領はリンデル北部にある海辺の町だ。
旅程が三時間以上と長いため、ジャックへできるだけ快適な環境をとアルスが心配したのは想像がついた。
常々思うことではあるが、アルスは彼が持つ血筋、王族という立場を軽視し過ぎているように思う。
無駄に傲慢な態度を取るのは問題だが、品位を落とさぬよう、自身の立場を理解して一定のプライドは持って欲しい。
(まあそれだけ、冷遇されてきたってことなんだろうな……)
廊下側の壁に寄るジャックの対面の窓際。
アルスの様子を窺うと、まだ出発しない列車の中、窓の方に顔を向け、駅舎内の人の流れを見つめていた。
アルスは静かにため息をつく。
「なんでこんな事に……」
声に若干力がない。
「おまえ、ギブソンから頼まれただろう」
「ばれました?」
振り向きじろりと半目で訴えてきたアルスへ、ジャックはあっさりと認めてみせた。
アルスの表情は不満げではあるが、ジャックのことを本気で咎めようという気もなさそうだ。
そうであるのならいちいち誤魔化す意味もない。悪びれた態度もあえて取らなかった。
アルスが眉間に手をあて、投げやりに吐く。
「ばれるも何も、この件既に五回は断っている」
「五回!?」
この情報は初耳だ。
ギブソン大佐にしてやられた気がする。
すでに断り済みの案件の蒸し返しを押し付けられていたとは思わなかった。
(あの大佐、熊というよりむしろアナグマか……)
ギブソン大佐は、勇猛果敢な印象はあるものの、振る舞いが横暴な人間ではない。
だが、人の扱いようは目的達成の為の強引さが見えることも度々だ。
この執念深さと憎めない愛らしさに、ジャックはこつこつとひたすら穴を掘り進めるアナグマに近いものを連想した。
「ジャック、次からきちんと相談してくれ。お前の立場上断れないのはよくわかるが、そういう時は俺のほうでギブソンへ断りをいれる」
アルスが先ほど手に入れたばかりの本を手に取りながら、淡々と伝えてきた。
「——でも」
ジャックの口から強めに言葉が飛び出す。
その声に、アルスは少し驚いたように顔を上げた。
「でも、俺もあなたはこの話を受けるべきだと思いました。だから協力したんです」
ジャックは自身の琥珀色の瞳を、目の前の紅玉のそれにまっすぐ合わせる。
「俺だって、いつまでもあなたのそばにいられるわけじゃない。できるだけ貴方の味方が増えて欲しいと思ってます」
アルスの顔色がさっと変わった。
目元を歪ませ、再び窓の方へと顔を背けてしまう。
少し間を置き、窓際からぼそりと固い声が返ってきた。
「そうだな……努力するよ」
顔が見えなくなるまえ、一瞬よぎったアルスの表情を思い出し、ジャックは唇を噛む。
確かに、傷ついた表情だった。
それを目の当たりにしたジャックは、配慮なく口を滑らせた自分の発言を後悔した。
アルスは現在、ジャックのことを信頼し、頼り、受け入れてくれている。
その自信はある。
当然、素直に嬉しい。
そして、アルスがあまり積極的に人を迎え入れない性格であることも、重々理解しているつもりだった。
だが、団員たち同士の談笑を眺める様子などに、羨ましそうな視線が混じることにもジャックは気づいていた。
こういった姿を見ると、一線を引いたようなアルスの態度は、もったいないと思ってしまう。
——もっと、人の中で過ごすべき人間だ。
ジャックは、できることなら少しでもアルスの居場所を増やしてやりたかった。




