第56話 金の話
会話が途切れ、パトリックが表の大きな通りに面した雨戸を開けた。
外から入った日差しにより、未だ薄暗かった部屋が一気に明るくなった。パトリックは眩しそうに目を細めながら伸びをする。
周囲の景色を見渡し確認するパトリックの視線につられ、アルスもその背後からそっと窓の外を眺めた。
もともと、この部屋は魔法陣の関係もあり閉じきっていた。ここから外を見るのは初めてだった。
王都ログスティリアは、人口密度が高く、様々な階級や背景をもつ人間の集まる世界有数の巨大都市だ。
大きな建物が連なる街並みは視界いっぱいに広がり、地上を移動する人の流れも途切れる様子はない。
アルスにとって連棟式住居近くの街並みなど、いまさら目新しいことはないと思っていた。
見上げれば、各々の家から排出される灰色の煙が空にたちのぼり、ずっと先まで続いている。
冬になると一層霧で覆われるというこの都市は、まさに人間が作り上げ、支配する空間だった。
この王都で暮らす、数えきれない人間の営みがある。
アルスがこれまで目にした世界など、ほんのわずかなものだった。
パトリックが、駅の方へと向かう乗合馬車を目で追いながら、今までとは違う真面目な声色で静かに話しだした。
「アルス。お前、これから街に出たいときは、俺に言え。うちの人間が迎えに行ってやるよ。まっとうに出てこい」
パトリックの提案にアルスは、戸惑いを隠せず、ただ黙った。
「隠れて抜け出すなんて、限界くるだろ。こんな異常な移動手段、日常的に使うな」
「週に複数出てくる時もある。そうそう頼るわけには……」
「構わねえよ。ちょっとめんどくさいだけで、外出や外泊も禁止されてるわけじゃないんだろ? 暇人王子が王都にやってきた友人とダラダラ親交深めるなんて、変な話でもない。適当に言い訳として使え。なんならこの連棟式住居に早いとこ住環境整えてやるから泊まれば気楽だろ」
「なんでそこまで……」
「なんでそこまでするのかなんて聞くなよ、野暮だなあ。おっまえ、これでも結構心配してたんだぜ」
パトリックの申し出はありがたいが、自分の日々の勝手な振る舞いに他人を巻き込むのは躊躇いを覚える。
「その表情気が引けるってか。気にすんなと言いたいところだが、そうだな、お前はそういうやつだ」
うんうんと納得するように頷いたパトリックに、アルスは苦笑を返す。
そんなアルスの様子を、気に留めることなく、堂々と自信を持ったような顔つきでパトリックが一つ指を立ててきた。
「なら金の話をしよう。――実は、この件、うちとしてもただの無償奉仕ってわけじゃない」
パトリックがまるで優雅に商談をまとめようとするかのように、大袈裟な身振り手振りでアルスの注目を引いてくる。
「国民人気の高い王女御用達ってのはなかなか箔がついてね。いい宣伝になって、わりあい儲けさせてもらったのよ。手紙のやりとりがきっかけとはいえ、王女はお前の紹介だ。お前の声一つで契約は切れる。姫さん御執心のお前の機嫌取るのは、当然の費用だし、色々世話焼くのは必要な仕事だ」
楽しくて仕方ないという表情を抑えきれないパトリックが、立てたままの指をビシリとアルスの胸元へ突きつけた。
「気が楽になったか。意外に金の話も悪くねえ、だろ?」
アルスは勢いに押され、ただ黙って数度頷いた。
目の前に差し出されたパトリックの手を、ぼそぼそと形にならない礼の言葉とともに丁寧に握り返す。
生粋の商売人であるこの男にとっての商談成立の合図だ。
展開に満足したらしいパトリックが、再び部屋をうろつき出した。
屋根裏の斜めに垂れ下がる天井を避ける中、パトリックは近くの椅子に腕をぶつけていた。
その衝撃で、彼の袖口についたカフスボタンが、床に転がり落ちてしまう。
パトリックは、ムッと、床を眺めると階下へ向かって叫ぶ。
「おい、爺ぃ! どこだ、カフス取れた、つけてくれ!」
アルスは慌ててパトリックの行動を止めにかかる。
「その程度でいちいち使用人を呼ぶな」
アルスは膝を曲げ、床のカフスボタンを拾う。
「お前のその心の優しさは嫌いじゃねえけどよ」
パトリックは、小さくため息をつき、もどかしげにアルスの方を見た。
「使用人だって誇りを持って働いてる。むやみやたらと仕事を奪っちゃならねえ。それぞれ果たすべき領分があるんだぜ」
過去に、同じようなセリフをジャックがよく言っていた気がする。
それでもアルスは、パトリックへ向かって腕をこちらへ寄こすよう促す。
ついに、パトリックは諦めたようにアルスへ手首を差し出した。
アルスは、目の前の友人のカフスボタンをつけなおすと、そのまま自然な仕草で衣服の埃を払い、首元のタイも整え直した。
その一連の動作を見て、感心したようにパトリックが喋り出す。
「お前腕あげたなあ。学校時代もお前のおかげで遅刻が減ったの思い出したぜ」
寄宿学校時代、アルスとパトリックは部屋が同室だった時期がある。
一人で満足に身支度を整えられないパトリックを、なぜか自分が散々面倒見てきた記憶がうんざりするほど蘇る。
「もし城追放されてドン底落ちたら俺んとここいよ。うちがダメでも、使用人としてとびきり上級なところに行けるよう紹介状書いてやる」
パトリックの本気か冗談かもよくわからない、めちゃくちゃな言い分にアルスは思わず笑った。
「それは助かるな」
アルスは、続けて浮かんだ言葉を言うべきかどうか悩んだ。
しばらくじっと口を開けて動きを止める。
結局、息を吸い込み意を決して、声を形にし始めた。
「……少し前までそばにいた従者が優秀だったんだ」
僅かに声が震えるのを自覚しながら、アルスはパトリックの足元に目線を落とす。
「ああ。そうだろうな」
パトリックが、柔らかく笑った気配がした。
曝け出すように、心のうちを見せたアルスにほっとした様子だった。
「……悪いな。もっと早く顔見てやろうと思ってたんだが」
「いや、心配かけた。——ありがとう」




