第55話 古代人の噂
外からの明かりを入れようと、パトリックが大きく扉を開いた。
周囲がより明瞭に視認しやすくなる。
パトリックは、端が捲れ上がった古びた絨毯を踏みしめ、部屋の中央へと寄ってくる。
床に描かれた円状の模様を見下ろし、アルスへ確認してきた。
「——さてと、これか? その魔法陣」
魔法陣の大きさは、直径がアルスのもつ剣の長さほど。人を三人くらいは囲めそうな程度だ。
「おい、安易に乗るな……」
アルスははっとして止めたが、パトリックはすでにその魔法陣へと足を踏み出した後だった。
「——なんも起きねえぞ」
アルスの顔が険しくなる。
今まで、何度も使用してるが、唐突に使えなくなった可能性を考えると正直焦るところではある。
「……もう少し中心に寄るとか」
「いや……変わんねえな」
「ちょっといいか」
アルスはパトリックへ、その場から退くよう腕の仕草で合図する。
不安を抱えつつも、自分の足を魔法陣へと運んだ。
途端、いつものごとく砂嵐のような視界にまみれ、全身がしびれるような感覚に陥る。
アルスは無事、城の図書室ヘと転移した。
すぐに連棟式住居へ戻ると、こちらを向くパトリックが目を丸くしている。
「すげえ、消えて戻ってきた!」
アルスの全身を眺め回しながら、パトリックは興奮した口調でわめいた。
「飛ぶのは俺だけ……?」
「実は使える人間限定されてんのか。俺が弾かれてるだけなら笑うけどな。まあ、多分前者だろ。良かったじゃねえか。これなら変に悪用されずに済む」
「条件ははっきりしないけどな。——ちょっと待て」
「ん?」
アルスはこれまで、この魔法陣の異様さについて深く考えてこなかった。
実のところ、考えることを拒否し見て見ぬ振りをしたかったところもある。
「この建物はいつ建てられた?」
「作りからすると百五十年前の大火以降に建てられたものだろうな。調べりゃわかるだろうが、登記の情報が残ってたのも、確か五十年くらい前からだったし」
「これは魔法陣だ」
「……? そうだな」
アルスは言葉の意図がパトリックに伝わらず、もどかしい思いで説明を加える。
「魔法陣だぞ? 四大古代魔法。自動と転移が使われてる。なんでそれが、この新しい建物にあるんだ?」
人の意思とは関係なく発動する魔法陣——自動魔法。
そして転移魔法。
どちらも、現代では失われてしまったはずの、古代魔法文明時代の代表的な魔法だ。
「……なるほど。どっかの大衆紙に持ち込めば、『古代人が生きていた証拠発見!』って面白おかしく書き立ててくれそうだな!」
「茶化すな……」
二千年以上昔、古代魔法文明時代に生きた、今の人類とは違う古代人という存在。
それが、現代にも実在するという噂話は、幽霊と並びリンデルの国民が好む話題だった。
当然、馬鹿げた迷信に過ぎない。
不機嫌に睨んだアルスの様子に、パトリックが肩をすくめる。
「となると、魔法陣を再現できるとんでもない奴がいたか、どこからか移設したか。あとは、たまに突拍子もない特殊魔石もあるからなあ。ま、考えてわかるものでもねぇだろ」
今更ながら考え出すと、図書室の仕掛けの方が解せない。
魔法陣がその場で生成され、効果を及ぼすなど聞いたことのない魔法技術だ。
アルスは何気なく使い続けていたこの移動手段が、急に恐ろしいものに思えてきた。
「どうであれ、怪しいのはお前の元家庭教師だろ。思いのほかそいつがとんでもない人間だったってだけじゃねえの?」
先生について言及してきたパトリックが、気楽な調子のまま手を頭の後ろで組んでいるが、アルスは表情を曇らせる。
その様子を見て、パトリックがニヤニヤとした表情で、ぴしりと人差し指を立ててきた。
「——当ててやろう。実はその家庭教師の正体こそ、古代人だ!」
「はあ!?」
「正体バレて晒し者にされそうだったからお前のとこから逃げ出した。長年、自分のせいかと気に病んでいた、お前の悩みも含めて一気に解決だ!」
どこまで真剣なのかわからないパトリックの言い分にアルスはぐらりと頭痛のする思いがした。
「お前そういう話好きだな……大体古代人なら耳が尖ってるとか外見的な特徴あるんじゃなかったか」
古代人についてのうろ覚えの知識をなんとか引っ張り出す。
「その言い伝えなんて、本当かどうかわからないだろ」
「都合のいい時だけ、噂話捨てるなよな……」
急に梯子を外してくる。
アルスはパトリックと再会してから既に何度目かのため息をついた。
「で? その家庭教師、なんて名前だ?」
「え?」
「名前だよ。なんかの折に引っかかるかもしれないし、そもそもここにくるかもしれないだろ。今はこの場所うちの管理なわけだし」
「名前……」
アルスは当たり前のように持ち合わせていたはずの記憶へ素直に辿り着けず、じっと固まる。
「おいおい、まさか知らないとか言わないよな」
「いや、知ってる。知ってるんだが……なんだったかな」
「……忘れるか、普通」
パトリックの呆れを隠さない態度により、アルスは先ほどまでと立場が逆転したような心地にさせられた。
それがどうにも納得いかず、むっとする。
「俺だって驚いてるんだ。そもそも先生はあんまり名前呼ばれたがってなかったし」
「じゃあせめてどんなやつだ」
「……眼鏡をかけていた」
それ以上の言葉が浮かばない。
「……あれだな。鉄道に乗って逃げた犯人の特徴を、電信で伝えるなんて芸当、お前には絶対に無理だな」
電信技術が使われ始めた当初、世間一般にその有用性を知らしめた事件でパトリックが皮肉ってくる。
「ただのど忘れだ。すぐ思い出すさ」




