第54話 テラスハウスへの来訪者
その日、アルスは城の図書室から転移した瞬間、連棟式住居の部屋に違和感を覚えた。
雨戸まで閉じきった空間は、昼間でも暗い。
持ってきていたランプを周囲へかざす。
荒れ果てていた部屋は、初めてこの場を訪れた時からそう大きく変化したわけではない。
暗がりのせいでつまづきそうなこともあったため、通りやすいように片付けてみたところはあるが、そうそう勝手に何かを処分したり持ち込むことはどうにも憚られた。
(なんだ……?)
――そのとき、階下で物音が響いた。
(誰かがいる――⁉︎)
この建物の持ち主だろうか。それとも鍵をかけ忘れており浮浪者がはいってきたか。
アルスはじっと動かず息を潜める。ひとまず、手元のランプの火を消した。
こつこつと一定のリズムを刻む足音は階段を登る動きによるものに間違いない。
だんだん近づいてくる。
(戻るか? いや転移の瞬間を見られるのは良くない、間に合わない)
あるいは、そもそもこの転移の起こりはなんだったか。
——先生の手紙。
かつてのアルスの家庭教師。
本に挟まった古代語のメッセージは『必要な時期に正しく活用されることを願う』
自分はその紙片に導かれてここまできたのではなかったか。
「――青」
口元に剣の青い魔石を近づけ、ぼそぼそと小声で接続する。
こつこつと、何者かが階段をのぼってくる音が近づくのを感じ、アルスはいつでも剣を抜けるよう身構える。
扉がノックされる。四回だ。
木製の扉を隔てた向こう側から、軽い音が響いた。それほど強くない力で伺いを立てるような様子に聞こえる。
果たして声を出すべきか、どちらだろうか。
ノックするということはここにいることを把握しているのか。
緊張から唾を呑む音が静かに鳴る。
意識した呼吸が三度繰り返された頃に、ついにドアノブが回る金属音がし、部屋が廊下へとつながった。
外にいる人物が持つランプが、アルスの方へと向けられ、目が眩む。
「なーんだ、返事しろよ。やっぱ、お前きてたか!」
聞こえてきたのは、気の抜けるような能天気な声だった。
記憶に残る陽気な声にアルスは目を瞬かせた。
「――お前ッ! パトリック⁉︎」
寄宿学校卒業以来の再会だ。
ひとまずの警戒をとき、アルスは胸を撫で下ろす。
パトリックとは、この連棟式住居の調査のため、ユーフェミアに依頼し連絡を取ってはいた。
だが、こうも唐突な対面になるとは予測していなかった。
彼自身の持つ橙の灯りに照らされ目に入ったのは、繊細な銀細工の中心に嵌まる大ぶりな琥珀色の石。
それは、パトリックの背面に伸びる栗毛の三つ編みに飾られ、揺れていた。
見るからに艶やかで、染みひとつない上質なスーツに身を包む目の前の若い男は、どうにも印象が煌びやかで眩しい。
パトリックは大袈裟なほど、両腕を広げ近づいてくると、アルスの手を握り、肩を叩いてきた。
「ひっさしぶりだな、アルス!」
「なんでお前ここに……」
「来るって言っただろ」
「いつ?」
「この前の返事の手紙。輸出用の茶の在庫が余って損した話と、船修理の保険で儲けた話の間」
「……」
覚えがない。
「てめ……っ、読み飛ばしやがったな」
アルスは一瞬の罪悪感を覚えたものの、額を抑え、言い訳のようにため息をつく。
「……お前は、金の話が長い」
「上流階級の人間、金の話、下品だなんだって嫌うよなあ。拝金主義で結構。金がないとなにもできないんだ」
パトリックがやれやれと首を横に振った。
「貴族のその気概、いまいち理解できねえんだよなあ。最近も聞いたぜ。極東のワタミのことわざ。ブシは食わねど高楊枝ーって」
「なんだブシって」
「なんか最近絶滅したばかりの人種らしい」
「はあ?」
パトリックが言う中途半端な雑学は、眉唾物も多い。話半分で聞くべきだということを思い出した。
「そもそもどうやってここに入ってきたんだ。鍵は?」
「そんなのわけねえよ。だってここ俺が買ったからな」
「買った⁉︎」
「この続きの連棟式住居全部」
「全部⁉︎」
重ねられる衝撃が収まらない。
「王宮につながってるなんてやばい代物、放置できねえだろ? 税金滞納で、あのままじゃいつ誰の手に渡るかわかったもんじゃなかったし」
言っていることが真っ当なようで、どう考えても常識はずれだ。
王都の端に近いとはいえ、大きな通りに面するそれなりの規模の連棟式住居。いったいいくらの金が使われたのか。
パトリックは、絶句したアルスを見て、仕草で落ち着くように宥めた。
「別にお前のためだけじゃねえよ。投資だ投資。店にでも改装しようかと思ってな。このあたりウェストボーンの駅や運河からも近いし、税関もそばにあるから案外便利で」
けらけらと笑うパトリックの姿から、アルスは確信した。
世間知らずと言われたところで、彼よりは一般常識を持ち合わせている。
「いやあ、この社交シーズン、今やっぱり活気あるのは王都だろ。稼ぎ時だぜ。わくわくするよな」
パトリックは、両手を広げ踊り出すかのように、部屋を彷徨しだした。




