第53話 悪趣味
「アルス・リブラル……」
ディレアはドクターが示した名簿のサインを見つめ、眉間に皺を寄せたまま、首をかしげる。
「近衛兵団の管理者ってことは王族? 聞かない名前ね」
「知ってる人は知ってるみたいだよ。数年前に亡くなった前王妃の子らしい。アルスという名前を王都滞在の軍でひっかけたらこれが出たみたい」
「第六近衛兵団は何をする部隊なの?」
「近衛兵というくらいだから王族の護衛でしょう。ただ、この王子、エグバード王と相当仲悪いみたいでね。実質の左遷部隊って噂」
なんとなく見えてきた気がする。正体はこの部隊所属の兵の一人か。
名も知れぬ王子の護衛であれば仕事もそう重要ではないだろう。
あてがわれた仕事内容に不満を持った結果のさぼりか、単純に暇を持て余し、王都の街に出てきたか。
「随分と安直な偽名使ったものね。あの子とっさに王族の名前使ったの……」
杜撰さに苦笑が漏れた。アルスの普段の様子を見るに、クロードほどではないものの確かにあまり嘘が得意そうには見えない。
書類を改めて眺め、名簿に並べられた名前を確認していく。
アルスの振る舞いからして身分は高いはずだ。少し若いのは気になるが、立場としては士官であるとあたりをつける。
「流石にこの団長と副官はないとして、残る士官はこの二人か……。じゃあこのジャック・レオポルドか、ピーター・パーカーのどちらか?」
「いや、こっちはないね」
ディレアの言葉が即座に否定される。
ドクターが指をさしているのは、ジャック・レオポルドの名だ。
「先々月に起きたベルエジ沖の船爆破事件覚えてる?」
「なんかメルトの独立運動家がうちの国の船爆破したやつ? たしか首相の息子が犠牲に……ああ! レオポルドって……まさかそのひと?」
「この名簿少し古いからね。ま、こっちが既にいないのなら追加の士官がいるかもしれないし、ここに名前がない人間の可能性もあるねえ」
「テッドが最近、見かけるようになって声かけたって言ってたし、時期としてはそれが妥当かも」
そもそも名簿にない名前であれば、これ以上書類を眺めても無駄だ。
「あとは、どこかの私生児で、それなりに育てられただけの下士官以下ってこともなくはないか」
ドクターは、ディレアによって机の上に投げ出された名簿を目で追った。
「もしくはこのアルス殿下ご本人だったりして」
「お付きの人もなしに? 一人で街に降りてきて? 堂々と名乗ったうえで、剣振り回す王族なんてどこの安物芝居よ」
ドクターの言葉を一蹴したディレアは、呆れ顔で首を横に振った。
「とりあえずディレアちゃん、ちょろっと城に偵察にでも行ってくれば? 彼の正体確定しそうなものだけど」
「——いいわ、もうやめましょう。別にいいのよ。あの子が誰かを知りたかったわけじゃない」
ディレアも別に友人を探るような真似をしたいわけではないのだ。
当人が話すなら別だが、無闇やたらと背後を暴き立てるのは、人と関係を築くにあたって正しいことではない。
そもそも本気でやるなら本人の後をつければ一発だ。あんな無防備な少年一人、ばれることなくやり遂げる自信くらいはある。
「うちがそれなりに反王派だから、通報される危険がなければそれでいい。よっぽど問題ある名前が出ないか念のための確認だったの。仲の悪い王子だか、その配下の兵団だかに所属してるなら、いっそ同胞かもしれないし大丈夫でしょ」
「ずいぶんと甘いね。曖昧な憶測だらけだ」
ぼんやりと煙草をふかしはじめたドクターに、ディレアはきっぱりと言い返す。
「あの子自身を見て信用するって言ってんの!」
「――ああ、そっか。テッド君が拾ってきた子だから?」
「……なにがいいたいの?」
「だってテッド君、君の特別お気に入りでしょ?」
「——っ! 馬鹿言わないで。あいつはただの子守り兼下宿人よ」
ディレアは机に手を叩きつけた。
顔を高揚させ叫んだディレアへ、ドクターはにやにやとした顔を向けてくる。
「いいと思うよぉ。今からでもできる時に青春しなよねぇ」
「さっきはあいつ信用するなって言っておいてどの口が……!」
本当に腹立たしい。
外へ出る扉の方へと体を向け、黙って歩き出そうとした。
その様子を見て、ドクターが軽く壁を小突いて引き止めてくる。
「はい、今月分の煙草のお裾分け。わかってると思うけど、定期接種を忘れずに」
差し出されたのは手のひらに収まるほどの瓶だ。
ディレアは、その中に入った煙草の葉をじっと見つめる。
「ねえ、なんであの時助けてくれたの……?」
唐突すぎただろうか。
それでも、目の前の男には意図がしっかり伝わったらしい。あっさりと答えが返る。
「え? ただの僕の性癖」
真剣な質問のつもりだったが、気が抜けるほどくだらない言い回しだった。
掴めない男だ。
ディレアは顔をあげた。
赤い布で後ろに一つまとめた髪をかきあげると、芝居のように気取ってみせる。
「あたしが美人だから?」
「——それもあるけど、なんか生きるのやめたいって目をしてたから」
自分の表情が一瞬で消えたのがわかった。
思わず全身が硬直し、唇が震えてくる。
「あの頃生活に飽きててさあ。自ら水底に沈もうとしてる人間を無理に引き上げたら、どうもがいてみせるか、観察するのもいい研究になるかと思ったんだよ。ゾクゾクするね」
「ばっかみたい! 趣味悪っ!」
ディレアは、表現できるかぎり最高に軽蔑を示す顔を作り、吐き捨てる。
くつくつと笑う声を背後に残し、扉を乱暴にしめ外へ出た。




