第49話 ドクター
クロードは、足に怪我のある兄ドジャーを背負い、医者のいる場所へ連れ出すため歩きだした。アルスと弟エミルはその後をついていく。
赤の守護者の酒場を素通りし、細い路地へとさしかかる。
ひとしきり酒瓶や古新聞を蹴散らしながら進むと、古い煉瓦の建物にいきついた。
階段を登る。角を曲がる。扉を開ける。また曲がる。隣接している建物同士が複雑に入り組んでいるせいで、向いている方角すらわからなくなってくる。
しばらくすると目的の場所にたどり着いたらしきクロードが、ドジャーを降ろして乱暴にドアを叩きはじめる。
「おい、ドクター、起きてっかー!」
騒々しい声をかけた後も、クロードは扉をガンガンと殴り続けた。
周りから苦情が来ないかとアルスがハラハラしているうちに、ようやくわずかに扉が開く。
隙間から漏れた煙は、香りからして煙草のようだ。
「……悪いけど今日は休みだよ」
「今日は?」
「毎日やる気なんてないのわかってるなら好都合。じゃあそういうことでぇ」
抑揚のあまりない、ねっとりとした低い声がぼそぼそと聞こえる。
アルスはその喋りにわずかに眉を寄せた。
(アーナヴァルタ訛り……?)
クロードは扉の隙間に手をかけ強引にこじ開ける。まるで遠慮というものがない。
「ドクター、ガキが怪我してるから、手当してやってくれ」
解放された扉の向こうにいたのは猫背気味の眼鏡の中年男だった。
パイプを手放しでくわえ、露骨にめんどくさそうな顔をしている。
闇色の短髪をぼりぼりとかきながら、俯きがちに、煙草の煙を吐く。
その顔立ちは少し珍しい。明らかに東方の人種のものだ。アーナヴァルタの東か、その先の国のシェパかそれとも——
「急に連れてきて治療しろとは乱暴だねえ」
異国情緒あふれる男性は、無精髭を撫でながら、だらだらと話す。
「ちょっと見るくらいいいだろうがよ、暇なんだろ」
ドクターと呼ばれた男は黙って背を向けた。ちらりと少年らを見たあと部屋の奥へと歩き出している。
口ではめんどくさそうに対応しながらも、案外素直に請け負ってくれるらしい。
揃って後を追い、部屋の中を進む。
つんとした薬品の匂いと、埃っぽさ、そして煙草の香りが入り混じった空気に、アルスは顔を顰めた。
荷物や書類も雑然と置かれており、正直言ってあまり居心地の良い空間ではない。
クロードはドジャーを連れ、診察場らしき部屋で怠惰に座ったドクターの前に立たせた。
ドクターはまだ火の燻るパイプを机に放りだし、薄ら笑う。
「なんでこういう拾いもの? こういったのたくさんいるでしょ」
双子がびくりと反応する。
「たくさんいるが、それでも目の前で泣かれりゃ手も出したくなるだろ。人として」
クロードがドクターへ向けたその顔はとても真剣なものだ。
「……ま、いいけど。暇だしね」
ドジャーが治療を受ける様子を、アルスはじっとみつめる。
「で? 君は? 男にジロジロみられても嬉しくないねぇ」
こちらをみないまま、唐突に発せられた言葉はアルスに向けられたもののようだ。
戸惑うアルスの代わりにクロードが答える
「こいつはアルス。新しく入った俺らの仲間。ディレアから話が行ってんだろ」
「へえ?」
ゆっくりと漆黒の瞳がアルスの姿を捉えた。どこか不気味だ。飲み込まれるような感覚からゾッとする震えを感じアルスは目を合わすのをやめた。
その代わりに行き着いたクロードへ、説明を求めるよう無言で訴える。
「一応この医者、赤の守護者の支援者なんだよ。もともとディレアの知り合いで、金出してくれてる」
「そうなのか……すまない、挨拶が遅れたようだ」
ドクターは口を不満げに歪ませた。
「おかしいなあ、綺麗な子が入ったって聞いたのにぃ。男じゃん」
「男だが」
「綺麗って言われたから期待したのにがっかり」
「……俺が言ったことでもないのに文句を言われても困る」
そうこうするうちに、手当ては終わったようだ。
よくもわからないまま薬を塗りたくられ、包帯を巻かれたドジャーは、少し涙目になっている。
ドクターは改めてアルスの方に顔を向けて喋り出した。
「僕はソージ・カヤマ。周りはドクターと呼ぶからそう呼ぶといい。別にミスターでもなんでも構わないけどね。――ああ、悪いけど握手する気はないよ」
流れから手を差し出そうとしたアルスをあっさりかわす。
アルスは行き場を失った手をうろつかせ、彼に質問する。
「……アーナヴァルタ出身か? 移民の医者も珍しい」
先ほどから鼻に抜けるような間延びした語尾は、東の科学大国アーナヴァルタ訛りの典型だ。
「この国の大学出てないし、免許も持ってないのは事実だねえ。そのせいか、内科医だって言ってるのに外科治療の要求も多いし。あれ? よくよく考えたら僕本当に医者だったっけ?」
「はあ……」
ドクターと呼ばれる内科医は、本来上位中流階級にあたり、職業としては最上位に位置するものの一つだ。
しかし、目の前の男はその呼び名から想像できる姿と大きく違い、ずいぶんとだらしない。それよりは格の下がる外科医だとしても正直戸惑いを覚える風貌だ。
「あと移民はアタリ。元々はワタミの出なんだよねえ」
珍しい国名が出てきた。極東の島国だ。
「そこからアーナヴァルタにいって、転々とするうちにいつの間にやらこんな西の果てまで。いやあ、まいったね。なんでこうなったんだろう?」
「……俺に聞くな」
会話を少し続けるだけで分かってきた。かなり面倒な種類の人間だ。
「あ、いまめんどくさい奴だなって思ったでしょ」
「……」
アルスは否定をしなかった。
「さて、用が終わったなら帰りな」
ドクターは先ほど吸っていたパイプの中の刻みタバコを、細い木片でかき混ぜる。
ゆったりとした調子で、マッチを使い再度火をつけた。
こちらへの興味を失ったと主張するように背を向け、紫煙をぷかぷかと遊ばせている。
アルスたちは、外へと誘導するクロードへ続き、そのまま帰ろうとした。
——が、双子の弟エミルが飛び出した。
「あの、ありがとうございます!」
振り向いたドクターの顔が、少し驚いたように、エミルをじっと見つめる。
結局彼は、追い払うように手を振っただけで、特に返事を返さなかった。
しかし、パイプを咥えた口の端がわずかに上がった気がした。
「——あ、そうだ、ディレアちゃんに近々こっちに顔出すよう言っておいてよ」
「はあ? 何の用だ」
思い出したかのように伝えてきたドクターの依頼に、クロードは嫌そうな顔をする。
「それはいえないなあ。ほら、なんたって、君にはできない大人のハナシだからねぇ」
クロードが拳を震わせ、言い返そうとしていたが、なんとかアルスは宥める。
一応無料で治療をしてもらった立場だ。気安い仲かもしれないが、問題は起こさないほうがいい。
「ああ、あとさあ。くれぐれもテッドくんにもよろしくねえ!」
パイプの先端から、煙が細く揺らいだ。
ふしくれだった細い指が、パイプを唇からゆっくり引き離す。
ドクターは目を細めて片方の口角だけ無理やり上げるような、先ほどまでとは違った笑みを見せた。
そのままくつくつと声をあげながら再びパイプを口元へと持っていった。




