第6話 王
「失礼します」
足元の絨毯がまとわりつくように、歩みを邪魔してくるのを感じながらアルスは部屋の奥へと進んだ。
扉からまっすぐに歩き、部屋の中央へと体の向きを変えると、王が執務机の向こう側に座っていた。
机の大きさは十分な広さであるわりに、部屋の中心にぽつんと不自然に取り残されているように感じる。
部屋の天井が高く、いくつか存在する客人用の椅子が壁側へ寄せられているせいであろう。
もう遅い時間だが、王は仕事の最中だったらしい。書類に文字を書き込む手を一瞬止めると執事の方を見た。
アルスは久々に見た王である父をみて、気持ちが波立った。
以前の記憶と比べ、アルスと同じ青い髪の毛は鮮やかさを失い色褪せ、顔には深い皺が増えている。
「陛下。アルス様がご到着されましたので、お連れしております」
王はようやく書き物をしている筆記具を置く。
アルスは執事の方に視線をやると、彼は頷いた。
会話を始める時だ。
生唾を一つ飲み込む。
「アルス・ネイピアス・オブ・リンデル。ダート・シジェイン校にて標準および特別課程を修了。本日帰還しました」
「……ああ」
一瞬の間をおき、冷淡で低い声が返ってくる。
どうやら王に、アルスの声は問題なく届いたらしい。
「優秀な成績をおさめたようだな」
「主席ではありませんが」
「……別に求めてなどいない」
(——意味のない会話だ)
しんと静まり返る夜の空気の中、飛び交う会話の空虚さに、アルスは内心自嘲する。
できるだけ表情は変えないように。
弱みを見せないように。
アルスはそれだけを考える。
握りしめたくなる手のひらを、必死にそのままの形へと留め置く。
(——言うべきことを、思い出せ。はやく終わらせよう)
結局、両掌を握りしめていたことに気づくと、再び力を抜きゆっくりと言葉を形にする。
「……私の今後について指示をいただきたいのですが」
王はすぐには答えない。
ぎい、と王の座る椅子が鳴いた。
自分の心臓の音が響いてくる。
アルスは、少しずつ息の仕方がわからなくなっていた。
王は、左親指にある印章指輪を見ると、それを撫でた。
じっくりと時間をかけ、ようやく口を開く。
「今後、名をアルス・リブラルと名乗れ。お前の行き先はリブラル城だ。城はお前が管理しろ。先代の王がやっていた書物の管理執務を担うくらいはできるだろう」
意外な展開にアルスは思わず耳を疑った。
これほどの好条件が提示されるとは思っていなかったからだ。
リブラル城はアルスにとって思い入れのある大切な場所の一つだ。
この城砦島のはずれにある館の一つで、先代の王が、引退後の晩年を過ごしていた場所である。
読書家であり知識と情報を重視していた先代の王が、国中のみならず世界中から集めた、王国随一の本の貯蔵庫としても知られている。
まさか王に自分を喜ばせる意図があるとも思えず、アルスは訝しむ。
「……どうした? 学校とやらにいくと、返事の仕方も忘れるのか」
「……いえ、失礼しました。少し想像と違っていたので」
王の蔑んだ物言いにアルスはすぐに頭が冷えた。
これを光栄と捉えるのは、自分がリブラル城に価値を見出しているからであり、王にとっては違うだけなのだと。
「あとはお前の好きなギブソンをお守りにつけてやる。やつは今月付で第六近衛兵団の団長として就任させた。新設したお前の護衛部隊だ。それらも丸ごと管理しろ」
「……リブラル城と第六近衛兵団の管理、お受けいたします」
自身の思考に蓋をしてアルスは淡々と答えた。
「あとの詳しいことはそこの執事に聞け」
「はい」
もう話は終わったとばかりに王は手元の書類に目を通し始める。
アルスは執事を姿を探した。彼は既に外へと歩き出している。
その後を追い、扉の側まで来た時だった。
「ああ、一つ言い忘れていた」
王が背後から声をかけた。
アルスが振り向く。
王はアルスとは反対側にある窓の方を見ながら、独り言のように話した。
「グウェルフ家に手紙を書いておけ」
「グウェルフ家に手紙、ですか?」
母の実家の名前が唐突に出てきたことに戸惑い、王の言葉を復唱する。
「ああ、定期的にだ」
王が厭わしさを表に出し、吐き捨てる。
「グウェルフ家の公爵未亡人がお前のことを心配しているようだから安心させておけ。お前の近衛兵団の活動資金の元もここから出ている」
グウェルフ家の公爵未亡人――つまりはアルスの母方の祖母が心配してくれているらしい。
議会において、普段派手な立ち振る舞いはしないものの、グウェルフ家の影響力は大きい。
魔法についての特出した研究実績を持ち合わせていることに加えて、かつての大戦時の恩から付き従う貴族が多くある。
そのため王も意向を簡単には無視できない。
王が苦々しく伝えてきた内容を正確に解釈するならば、グウェルフ家の気分を損ねないように「日々平穏です。問題ありません」と定期的に伝えるようにとの話だろう。
真っ当な手段で出す手紙など、どうせ検閲される。
そもそも心配性な祖母をわざわざ馬鹿正直に諍いに巻き込む必要などはない。
「わかりました。明日までには礼と報告の手紙を準備します」
(呼び止めておいて、最後に言うことは自分の保身か)
アルスはどこか失望感にも似た感情があることに気づき、気持ちが沈んだ。
自分がどんな言葉を期待していたのか考えたくもなかった。
去り際に王の顔を睨みつけたが、王は最後までこちらを見なかった。
王の執務室を出ると、執事がその先の応接室で今後の指示をアルスに伝えた。
そして、その言葉よりは幾分詳しく書かれた――それでも簡素な指示書をアルスに渡すと、執事は足早に去った。
アルスの仕事も処遇も、その程度のことだった。
応接室から退出し、一人薄暗い城の廊下を歩く。
しばらくすると、王の言葉が蘇ってくる。
——優秀な成績をおさめたようだな。
「……心にもないことを」
アルスは立ち止まった。
すっかり夜も更けた外の景色に顔を向ける。
豪奢な窓枠の、曇ったガラスの向こうは真っ暗闇だ。
室内の灯りに反射しているのは、不安げに揺れる二つの紅玉の瞳と反抗的に引き結ぶ口だった。
アルスは窓に手をやり、ひんやりとした感触に身を委ねた。
答えのない方へと向かう考えから抜け出そうともがく。
しばらく立ち尽くしていると、廊下の奥から複数の人間の気配がし、アルスは振り向く。
「お兄様……!」
鈴を転がしたような可愛らしい声が響いてくる。
一人の少女が、使用人に付き添われながら近づいてきた。
よく手入れのされた長い金糸の髪が揺れ、それが橙色の灯りに照らされて、きらきらと光る。
少女は、その白い肌がいっそう目立つほど頬をほんのり高揚させ息を弾ませている。
簡素ながらも質の良いドレスを翻し、窘める使用人の声を少しだけ気にしながら、少女はアルスの下へたどり着いた。
アルスは少女の名を呼んだ。
「久しぶりだな、ユーフェミア」
「あら、お兄様、ユーフェミアなんて、よそよそしい」
少女はほんの少しだけ頬を膨らませ、むくれる。
「いつものようにエフィって呼んでください」
周りの雰囲気が安らぐようなふんわりとした笑顔に、アルスも思わず顔がほころんだ。
「ああ、そうだな、ただいま、エフィ」




