第46話 ボーラマーケット
クロードたち赤の守護者との出会いから、ふた月ほどが過ぎた。
もうしばらく経つと、夏が終わる。
未だ活発な社交シーズンではあるが、表舞台から距離をとっているアルスには関係のないことだ。
第六近衛兵団の訓練と、執務の合間。
少なくとも週に一度、用があれば連日にわたるほど。
日々を過ごす時間の隙間を縫って通い詰める。
アルスは熱心な頻度で、赤の守護者の彼らに会うため王都へ出てきていた。
その左腕に赤い布を巻き付けて。
赤の守護者は、皆、遠慮のないことで共通していた。
クロードとは度々意見がぶつかり喧嘩をする羽目になったし、そのやりとりに気づいたディレアはすぐに叱り飛ばしてくる。
宥めるテッドも、穏やかなフォローを入れてくるようで、存外アルスの内面について痛いところをつきがちだ。
彼らのその態度に戸惑いはしたもののすぐに慣れた。
おそらくは、親しみが込められていることを感じたからかもしれなかった。
彼らの周囲で過ごす他の者と、何ら変わらない立場の人間であるということ。
それはアルスにとって、とても心地よい環境だった。
三人はアルスのことを詳しくは聞いてはこなかった。
そのことに、未だアルスは甘えたままだ。
アルスの立場は複雑だ。
抱えた事情としては、王位継承権を持たないこと。表舞台からはほとんど隔絶された人間だということ。
そう言った背景があるものの、この国の王子という立場はあまりにも普通ではない。
——話してみた方がいいのだろうか。
ふと彼らと会話を重ねた瞬間、気持ちが揺らぐ。
しかし、話す必要はない。
きっと。
話したところで彼らの態度は、今更変わらない気もした。
しかし、不意に手に入れた居心地のいい環境に変化をもたらす勇気など、アルスには持てなかった。
(クロードは特に、自覚のないまま俺の存在喋りそうだしな)
知らない方が、彼らも自分も安全だ。
臆病な自分を守る言い訳だと気付きながら、アルスはそれで構わないと思っていた。
* * *
王都西部の駅、ウエストボーン近くにあるボーラマーケット。
午前の市を見るのは初めてだった。品物のやり取りが落ち着いている昼過ぎとは、人の量と活気が違う。
所狭しと並べられた食品は、今朝方列車で到着したばかりの新鮮なものばかりらしい。
アルスはクロードと二人、ディレアの酒場で必要となるらしい品物の買い出しに来ていた。
「めずらしいんだろうが、スリも多いからきぃつけろよ」
「わかってる」
クロードがかけてきた言葉に、アルスはつい強い口調で言い返す。
気もそぞろに品物と人の流れに目をうろつかせていたが、その態度がわかりやすかったらしい。
むっとした表情のまま、クロードから顔を背けるように、視線を対向に並ぶ店へと動かす。
「——っ!?」
逆さまに吊るされた鳥が眼前に現れた。
羽をむしられた状態で死んでいる。
足を縛られたその姿に衝撃を受け、アルスは思わずのけぞった。
しまったと頭をよぎったものの、予想通り、隣でクロードの噴き出す声がした。
足を進めるごとに、匂いや景色が変化する。
焼いた芋や、湯気の漂う豆のスープの香りに食欲をそそられた直後、鼻腔を突き刺してきた生臭さは調理前の魚だ。
甘ったるいほど芳醇で見目の華やかな花々の横を過ぎれば、東方からの輸入品と思われる異国情緒あふれる食器が並んでいる。
アルスでなくても、皆それぞれマーケットで集まる商品に目をみはり、気を取られている。
手に入らないものなどないと錯覚するほどの品数に圧倒されていた。
ひっきりなしに口上を唱え気を引こうとする商売人たちを、クロードは慣れた仕草でかわす。
必要な品物を見繕い、次々と手に入れていく。
アルスはその様子をじっと観察した。
品物を見、値札を見、軽く会話を交わして、硬貨を差し出す。
誰もがおこなう、それほど複雑ではない流れ。
しかし、それを自然にこなすには慣れが必要そうだった。
「とりあえず用事は済んだが、まだなんか見てくか? ——お、あれうまそうだな」
クロードは通りがかりの店で売られていたパイを指差した。兎肉と芋を香辛料で煮込んだものが詰まっているのだと店主の濁声が響き渡っている。
「ちょー待ってろ、買ってくる。お前もいるか?」
「いや……いい」
「ま、欲しいもんあるなら好きにしろよ……買い物自分できるか?」
クロードが向けてきたのは、わかりやすくからかうような表情だった。
アルスは即座に言い返す。
「お前の様子見てたし、できる」
「そりゃいい。その辺いるから少し経ったら合流しようぜ。困ったら呼べよ。ま、せいぜいふっかけられて騙されてこい」
アルスは不満げにクロードを睨み、それを返事とした。
(少し歩くか……)
実はアルスも、今日は財布を持ってきていた。
もともと持っていた硬貨に加えて、店の手伝い時にディレアが渡してきたものが手元にある。
実質の無償労働に近い赤の守護者の活動はともかく、酒場に絡んだ手伝いにおいて、ディレアは遠慮を許す人間ではなかった。
せっかくなので、労働により手に入れた硬貨を手放す儀式をやり遂げてみたいとも思う。
アルスは人混みを必死に避けつつ、周囲の店を回る。
青果が並ぶ場所へ差し掛かったところで一つの商品が目に留まった。
――桃だ。
大きな木枠で囲まれた空間に、赤く色づいた小ぶりな桃がごろごろと詰まっている。
アルスは城の魔法陣を通じて、王都に初めて出たときに出会った果物売りの少年の存在を思い出した。
彼が売っていた商品と同じものだ。
次の機会があれば買うと約束したものの、あれから少年と出会うことはなかった。
もちろん、少年の姿がここにあるわけではない。
いたとしてもきっとわからない。
それでも初めての買い物をこれと決めるには、十分な理由だった。
少しだけ離れた距離から、店の様子を観察する。
中年の女性が、豪快な笑い声とともに、てきぱきと王都の下町なまりでさばいている。
お金の表記はわかる。あとは買うためのやり取り、会話の間、挨拶。
アルスは手順を想像し、頭に叩き込むと、思い切って足を踏み出す。
「これを一つくれ」
堂々とした自分の発言に、内心満足する。
しかし返ってきた言葉はアルスの期待したものではなかった。
「一山で売ってるけどひとつかい?」
「え……っと、じ、じゃあ、一山。いくらになる」
アルスは想定外のやり取りに、出鼻をくじかれ、動揺する。
女性は黙って、表記の値札を指さした。
すでに確認済みのつもりだった金額だが、すっかり頭から抜け落ちている。
「半ラントで間違いないか」
「もちろん。このとおりだよ」
アルスは、辿々《たどたど》しく財布から硬貨を探る。
女性はその様子を横目に、別の客をさばくとアルスに声をかけた。
「あんたどうやって持ち帰るんだい?」
その言葉に、はたとアルスは固まる。
買い出しの手伝いの結果、手元にある荷物袋はすでに満杯状態だ。
「そ、そのまま……」
どこか尻すぼみに情けなく答えを返したアルスへ、中年女性は答えを返さなかった。
(迷惑がられたか……?)
そう考えたアルスの不安は杞憂だったらしい。
女性は、手際よく使い古しの新聞をとりだし、それに桃を包むと紐で縛る。
「あいよ、少しおまけしとくね」
どさりと、棚に詰め込まれた桃の脇に投げ出した。
女性はアルスの不慣れさを察し、彼女なりの配慮をしてくれたような気がする。
アルスは少し焦りつつもなんとか銅貨を手渡した。
お金のやり取りが無事済んだところで、ちょうど自分の買い物を終えたらしいクロードが寄ってくる。
「なんか意外だな。お前思ったより、なんもできないお坊ちゃんじゃねえんだな」
「自分の面倒くらいは自分でみれるつもりだ」
ほっとし、少々浮かれ心地になったアルスは、気を引き締めるようにまじめな顔で歩き出す。
しかしクロードが、遮るようにアルスの前に出た。
「——で? 買い物はいいが品物はどこだ」
はっと振り返る。
「そこの兄さん! 買ったもの忘れてるよ」
先ほどの女性が大声で呼びかけてくる。
アルスの顔がまるで迷子になった子供のように、不安気に崩れた。
その変化を見て、クロードが腹を抱えて笑いだす。
「さすが寄付の精神が根付いてるのは感心するぜ」
肩をばしばしと叩いてきたその手を振り払う。
「……うるさい」




