第45話 硬貨
第六近衛兵団の午前の訓練がおわった。
湖畔を抜ける風を感じながら、汗ばんだ体を冷やす。
アルスは、引きこもっていた二か月間と比べると、訓練参加の頻度を増やしていた。
周囲の監視もほとんどなく、少しはほとぼりも冷めたと解釈する。
年若い少年兵のギルバートが、石畳に広げられたいくつかの硬貨を見つめながら水を飲んだ。
「んーガイン硬貨は、俺ら庶民のいくとこじゃあんま使わねえかな。街の市場とか、飯食ったりする程度じゃ必要ないし」
「そうなのか」
わかりやすく並べられた硬貨のいくつかはアルスのものだ。
本来使用する機会などないのだが、過去の外出時のお守りとして譲り受けて保管していたものを持ち出した。
金貨に銀貨、そして銅貨。色も材質も形も様々なものがある。
アルスは、ギルバート、チャーリーと共にそれを取り囲みながら会話していた。
「一回の食事には大体いくらくらい使う?」
「そうだなあ。夕飯としては市場で適当にうまそうなの見繕って、酒場で林檎の発泡酒を頼むから……」
「お前堂々と酒飲むなんていうなよ。一応最近じゃ十七歳以下は非推奨だって通達もきてんじゃん」
ギルバートの言葉に、チャーリーが思わず突っ込む。
「だめなのは麦酒だろ? ちゃんと我慢してるって。給金に麦酒手当もつくのに意味わかんねえよな」
「ギルバート、林檎の発泡酒も立派な酒だ。あまりうるさくは言いたくないが、ほどほどにしておけよ。そもそも健康上、問題があるといわれているから通達出てるんだ」
アルスも黙っているわけにはいかなくなり口を挟む。
ギルバートは少し考えるような間を置いた。その後、チャーリーに向かって話し出す。
「——なんかさ、分隊長、真面目だし話し方はちょっと冷たいけど、案外見逃してくれるから優しいよな」
「本人の目の前で言うなよ。——ほら、めちゃめちゃ困ってるって!」
アルスは苦笑した。見逃しているわけではないと念を押し、とりあえず話を戻す。
「貨幣の計算までは問題ない。十二ランツが一シークで、二十シークが一ガインだったな」
「んー、まあ、たぶんそうだな……」
ギルバートは通貨の換算のほうがとっさにピンとこないらしい。
「大体こう、店先で書かれてる、ぐにょぐにょってなってるのがシークで、ぐにんってなってるのがラント」
「それで分隊長に伝わるか?」
チャーリーが、ギルバートの雑な説明に呆れた。
アルスは日ごろ散歩で歩いた市場の記憶を探る。
「見たことはある。大丈夫だ」
「……分隊長さ、なんで硬貨が気になるわけ?」
ギルバートが当然の疑問を口にする。
さすがの彼も、アルスがこういったものを扱う必要のない立場であることは、理解しているらしい。
アルスは少し考えて真顔で返す。
「……いつか城を追い出されたときに、野良でやっていく方法も勉強しておこうかと」
ギルバートは言葉に窮すると、困った様子でチャーリーの方に話しかける。
「これ笑っていいやつ?」
「こっちに振るなよ」
慌ててチャーリーが、ギルバートとアルスの顔を交互で見た。
「――ギブソン《《大佐》》」
ブライアンの声が広場で通る。
「ギブソン《《大佐》》。書類仕事がたまっています。今日は執務中心でお願いしますね。《《大佐》》」
呼びかけられたギブソンが億劫そうに振り向く。
「なんだ、呼び方が厭味ったらしい」
「いつまでそう呼べるかわかりませんし、立場を理解いただいた方がいいかと思って」
ブライアンが露骨に皮肉を吐いたあと、怨念のようにぶつぶつと呟き始めた。
「売り言葉に買い言葉か知らないですけど、勢いで簡単に降等を了承するのは辞めてください。しかも二階級……少佐ですよ、少佐。少し前まで少将だった人間が」
アルスが王と揉め、ギブソンの責任問題へと発展した件は、結果としてそれほど重い処分とはならなかった。
ギブソンの今の階級は前と変わらず大佐のままだ。
王への反抗による責任は、アルス自身がとっているし、そもそもアルスはギブソンの部下ではない。
当人がしでかしたわけでもない事情を理由に、ギブソンを降等させるほどの権限など、いくら王とて持ち合わせるものではない。
そういった指摘が軍部から入ったようだ。
結局、ギブソンは、王家に関連した勲章を剥奪されたにすぎなかった。
とはいえ、その結果を楽観的に、笑い飛ばせたのはギブソンだけだった。
ブライアンは、ギブソンと王とのやり取りを知って以降ずっとこの調子だ。
もともとギブソンは、王と喧嘩をして軍の重責を退き、第六近衛兵団へと来た事情があった。
立て続けの事態に、ブライアンの堪忍袋の尾がついに切れたらしい。
しかも当の本人はけろっとしているとくれば、その響かぬ態度がまた一層ブライアンの不満を生んでいる。
ギブソンは飽き飽きした表情でそっぽを向いたが、ブライアンの小言は止まる気配がない。
「ただでさえ身銭切ってるのに給金減らしてどうするんです」
「お前はいちいちうるさい。わざわざ見たくもないくそったれのマークスの面拝んで、融通するように金も物資もせしめてきたからいいだろう」
「そうやって、いざという時のために握っている相手の泣き所を、無駄に消費する羽目になるんです。もう少し賢く立ち回れと言っているだけです。このまま行くと、三年後には大佐は私の部下ですね」
「……流石にそれは面倒だ」
ますます、感情が高ぶるブライアンに対して、ギブソンは面倒くさそうに生返事を返す。
アルスは、もとはといえば自分が引き起こした事件が要因ということもあり、複雑な思いで見つめる。
二人の様子が気になるもののどう関わるべきか、躊躇ってしまう。
「——たかが一国の王ごときが、近衛とはいえ軍人の階級に口を出そうなんざ、どれだけ傲慢なんだって思っちゃいますね。ああ、これは失礼。分隊長の血縁者でした」
アルスのもとに一人の青年が近づいてきた。
「いや、別に俺に謝ることでもない。いっそ俺が謝罪すべきか」
さらりとした肩までの紫の長髪を揺らし、軽薄そうな表情を浮かべる優男。
その実はこう見えて第六近衛兵団内では、ギブソンの次に剣の実力は高い。
「どうした、パーカー。何か用か?」
パーカー少尉は第六近衛団内でギブソン、ブライアンを除くと唯一の士官だ。
「そろそろ止めません? あれ。注目浴びてんのわかるでしょ。ブライアン大尉もたまっておいででしょうが、部下の面前でどう考えてもやりすぎかと」
「あ、ああ……そうだな」
周りを見渡すと、ブライアンとギブソンのやりとりに兵たちが戸惑っている。
何もできずに遠巻きで眺めているものがそこかしこで見られた。
「パーカーがいえばいいじゃん」
「ギルバート、パーカー少尉だろう」
アルスがやんわりとギルバートを注意する。
パーカーは、反論してきたギルバートへ目を向けた。
口元をゆがめるように笑い、ぐしゃりと髪の毛をかきあげる。
「悪いが俺は、素行不良で追い出された類の人間でね。《《あの優等生お坊ちゃん》》と違って、上官にうまいこと割り込んで宥めるような器用な真似なんてできねえんだよ。すみませんね」
言外に匂わせたのはジャックのことだろうが、言葉に若干棘がある。
自虐か皮肉か。
アルスはパーカーの言い回しが少し引っかかったが、士官が一人になったことで負荷が上がっていることは想像がつく。
「いや……すまないお前のいうことはもっともだ。やはり、俺が言うべきだな」
ようやく腰を上げて、立ち上がったアルスは、ギブソンとブライアンのもとへ向かった。
彼らに会話の場所を変えるように伝えると、ブライアンはすぐに我に返ったようだ。深刻そうな顔で謝罪をはじめてきた。
そんなブライアンを、アルスは慌ててねぎらう。
実際のところ、ブライアンには相当な苦労をかけてきている事実がある。
(ジャックならもっと上手くやれただろうか)
先ほどのパーカー少尉の言葉が、じくりと時間差で響いた。
(……今まで甘えすぎていた気がする)
アルスは、自分の対応のたどたどしさに一層のふがいなさを感じるばかりだった。
※参考としている18世紀後期から20世紀初頭の欧州・英国の価値観に基づいた描写の箇所もありますが、この物語は、未成年飲酒含む法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません




