第37話 綺麗な靴
「これっきりだ。こんなことに、いちいち関わってられるか」
アルスはうっすら霧が立ち込める川沿いを歩いていた。
街ゆく人から不審そうに見られている気はするが、ぶつぶつと文句を呟き続ける。
テッドと出会ってからここまで、随分と振り回されている。
「普通一人で行かせるか?」
名乗りあったのもついさっきだ。律儀に向かう自分も自分ではあるのだが——。
大きな通りから少し離れたこともあり、すれ違う人間は減ってきている。
念のためとの警戒から、腰に吊った剣に意識を向け、テッドから渡された紙片を片手に建物を見上げて進む。
「これ、か?」
不死鳥らしき赤い鳥が描かれた、酒場の看板を見つけて立ち止まる。
(木骨作りも王都のはずれには残っているのか)
百五十年ほど前の大火以降、木組みの建物は王都の建築物としては法的に禁じられたはずだ。しかし、この外れの川沿いでは幾つか立ち並んでいる。酒場はそのうちの一軒だった。
ふんだんに使われた太い木の骨組みが、風雨にさらされ黒味がかった灰色に変色している。粗末な土と煉瓦が入り混じったちぐはぐな壁は、たびたび補修が繰り返された結果だろう。建物に積み重なった年月の証が所々にうかがえる。
アルスは看板の下部に書かれた文字をじっと見つめる。
——赤の守護者。
(赤の守護者は、酒場の店名だったのか……)
まだ昼過ぎのこの時間、本来酒場に入るにはおそらく早い。
見知らぬ場所、理解の追いつかない用事で、訪ねるのは憂鬱な思いがする。
とはいえ、ぼんやり店先を眺めていても仕方ない。ここまで来れば自棄にもなる。
アルスは先のことを考えるのをやめた。店の戸をたたくと意を決して扉を開けた。
* * *
静かな空間に、靴についた地面の砂と木の床が噛んだ音が響く。
こもりきった室内には煙草の匂いが染み付いていた。
店内は古い作りのせいか、窓がそれほど広く取られておらず、ところどころ薄暗かった。
周囲に人影はない。
(近くに誰か控えているかもしれない)
何かしら呼びかけるべきとは思うのだが、どう声をかけるべきかはわからない。
アルスは、奥のカウンターに近づこうとした。狭い空間に並べられたテーブルの間をすり抜ける。
腰に刺した剣が椅子にぶつかり、がたりと音が周囲に伝わる。
「誰? クロード……はこれだけ静かだしありえないか。テッド?」
カウンター奥の扉の向こうから女性の声がした。
アルスが返事に迷っている間に、声の主が表へと出てくる。
若い女性だ。おそらくアルスよりは歳は上か。
堂々とした歩き方や目鼻立ちのはっきりした顔は、彼女の快活そうな雰囲気を表している。
女性は、後ろで一つに括りあげた鳶色の長い髪の毛を揺らしながら、アルスのそばまで近づいてきた。
少々驚いた表情でこちらを見ていた瞳が、申し訳なさげに緩んだ。
「あら、ごめんなさい、まだお店開けてないのよ。というか今日開けられるかわかんなくて」
テッドが鍵を渡してきた際に残した言葉を思い出す。
「必要なのはこれだろうか」
「それ……っ! え!? なんで……」
アルスが差し出した鍵に女性が飛びつく。
「わ、うちの鍵だ……助かったあ! もう少ししたら魔法で扉吹っ飛ばそうかって悩んでたのよ」
女性は嬉しそうに跳ねているが、なかなか物騒な発言をする。
「でも……なんで? 貴方誰?」
「テッドという男に頼まれたんだ」
「テッド? じゃあ泥棒二人組見つけたんだ。……なら、どうして本人はいないの?」
「それは俺もずっとおかしいと思っている」
アルスは大袈裟なほどため息をつくと、女性へ経緯を説明し始めた。
* * *
「そっかあ、なんというか……うちのテッドが迷惑かけたわね。まあ、あいつただの居候だし、あたしが謝る義理はないんだけど」
女性は苦笑しながらアルスの方へと透明な液体の入った金属のマグを差し出した。
「あ、俺は酒は……」
「水よ」
目の前に置かれたカップを見て、アルスは躊躇う。結局ほんの少しだけ口をつけ、一息ついた。
周りの見慣れぬ景色に、アルスはふと我に返る。
いまの状態は一体全体どういった状況だろう。
女性の姿が改めて目に入る。
城の使用人や、アルスが今まで見てきた女性とは全く違う存在だ。
歳はそう離れていないと思われるが、表現し難い大人の雰囲気を感じる。
急に戸惑い、彼女の顔から視線を下げた先は、露出も多めな肌がある。
結局目のやり場に困ってアルスは俯いた。
「貴方、結構いいところの出自の子でしょ」
「っ、わかるのか?」
アルスは声を僅かに上擦らせ、顔を上げた。
瞬間、女性と目が合う。揺らいだ瞳から自分の動揺っぷりが彼女に伝わったのを感じた。
「そりゃあね。仕草とか、喋り方とかどこかお上品だし。あと服はごまかしても靴が綺麗」
女性はくすくすと笑った。
「テッドも随分な子をまきこんだものね。貴方みたいな子が、こんなところ一人でうろつくなんて危ないわ」
「多少の賊程度なら相手できる」
アルスはむっと言い返した。隣の椅子に立て掛けた剣に目配せをしてみせる。
「ふうん……腕に自信があるんだ」
納得した、と言うよりは、どこか虚勢を張る幼子を見守るような女性の目線を感じた。
アルスは、自分の発言が恥ずかしくなり、後悔しかけていた。
「貴方名前は?」
「……アルス」
「そう、あたしはディレア。よろしくアルス」
それほど広くない室内に、落ち着きのあるディレアの声が通る。
「そういえば、持ってきてくれたこれ、店の食糧庫の鍵なんだけど。うちの弟が盗賊捕まえようとしたときに、うっかり落として取られちゃってさ。そのまま逃げられて困ってたのよ。本当に助かったわ。ありがとう」
「いや、俺は大したことは別に……。なあ、赤の守護者ってなんだ?」
「え?」
「ここにくる前、入らないかと誘われた。この店の名前のようだが、酒場の働き手に勧誘されたわけではないと思ったんだが」
「……テッドがいってきたの?」
驚いた様子で聞き返すディレアに向かって、アルスは黙って頷いた。
「うーん、自警団みたいなものかな。——いや、もはや、何でも屋?」
ディレアは説明に少し悩みながらも、冗談めいた口調で肩をすくめる。
「王都警察もさぼってばっかだし、こんな下層の労働者階級の身分、まともに相手してくれるわけでもない。仕方がないから荒れたこの街の困りごと聞いて解決しようって活動してるの」
テッドが散々「正義の味方ごっこ」と発言していたのはこういった内容だったようだ。
「でもそんな大層なものじゃないのよ。活動してるっていったって、大抵はうちの弟に、テッドとあたしが付き合ってるみたいな感じだし。ちょっとした協力者がたまにいるくらいね」
今回は、その協力者が自分だったということだろうか。
「……しかしテッドは、何考えてんのかしら」
「テッドは普段からこういった感じで、他人を強引に巻き込んだり勧誘したりしてるのか?」
「まさか。たまに人を振り回すような振る舞いをすることはあるけどこんなのは初めてよ」
一応今回の件は、特別な事情ではあったらしい。
「んー、赤の守護者に入る、かあ……。あたしは正直人手不足感じてるし、馬鹿ばっかだし、たまにでもいいから協力してくれる人とか歓迎なんだけど。でも本人がなんていうか」
「本人?」
「この活動のリーダー。あたしの弟。重度の上流階級嫌いでさ。とりあえず話くらいは聞くと思うんだけど……」
「悪いがそもそも——……」
入るつもりはない、そうアルスが言いかけた時。
背後の扉が突風に煽られたかのような勢いで乱暴に開かれた。




