第32話 お人よし
「君、最近よくいるね。何してるの?」
アルスは初め、まさか自分が話しかけられているとは思わなかった。
気候も良く、穏やかな陽の差す昼過ぎ。
いつものように転移先の連棟式住居の白壁を背にし、一冊の本を片手に暇を潰す。
アルスは王都ログスティリアの街の様子をぼんやりと眺めていた。
「いや……別に。なにか用でも? 邪魔になっているか?」
目の前にいたのは亜麻色の髪をした青年だった。
彼の格好は、特徴なく落ち着いた色合いの服装でまとまっているが、首元に巻かれた赤い布だけが印象的だ。
青年は、興味津々と言った様子で、楽しげにこちらを見ている。
彼の翡翠の瞳と目が合い、アルスはとっさに目を伏せた。
その瞳は、ジャックのそばで揺れていた耳飾りとそっくりに輝いていた。
かつての従者の記憶が呼び起こされ、心が一瞬ぎりりとねじれた。
アルスの振る舞いが気まずそうに見えたのだろう。
目の前の青年は言い訳のように、話しかけてきた理由を説明する。
「ここそんなに治安いいわけじゃないし、スリも多い。君みたいな小綺麗にしている人間が、ぼーっと立ってたら危ないよ?」
「忠告感謝する。……だが、一応その辺の賊くらいなら相手にできるつもりだ」
アルスは青年に向かって、腰に刺した細身の長剣を示してみせる。
「へえ、かっこいい。君強いの? 流れの傭兵や石狩人って風貌じゃないね。服もいい仕立てのもの着てるし。軍人さんかなにかかな?」
「……多少の軍事訓練は受けている」
「ああ、それなら大丈夫なのかもね。でもやっぱり心配だな。こんな見ず知らずの人間に話しかけられて律儀に答えすぎだよ。お人よしが一人で無防備にいる場所じゃない」
青年はうんうんと頷きながら、アルスを諭してくる。
(初めて会った割に、ずいぶん馴れ馴れしいな)
少し考えてアルスは口を開く。
「お前は悪い人間か?」
アルスの言葉に、青年は一瞬虚を突かれたような表情をする。
「えっと、どうだろ。人の善性なんて、神のみぞ知るってところじゃないの?」
茶化すように肩をすくめた青年に対し、アルスはさらに問いかける。
「言いかえよう。お前は今、俺に害をなす気があるのか?」
「それはないねえ」
「なら、わざわざ忠告してくるお前もお人よしってことだ」
アルスの返答に、青年は笑いながらも妙に感心したように頷いた。
「なるほど。そう思ってくれるならありがたいね。——じゃあ、気をつけなよ」
まるで友と別れるような人懐こい印象を残したまま、青年はこの場から去っていった。
(なんだ……? この格好、目立つのか……?)
皺も染みもない真っ白なシャツに、アルスのために仕立てられた適切な丈の上着。
立ち上がった襟に巻かれた柔らかな絹のタイはジャックから譲り受けたリングで留めてある。
アルスは周囲を見渡す。
似たような格好のものの出入りがないわけではないが、皆足早に移動するか、店先に馬車を呼びつけすぐに立ち去っている。
この場に留まり暇を潰すにしては、確かにそぐわないかもしれない。
アルスは青年との会話以降、できるだけ軽装で街へと繰り出すようにした。
(この格好なら階級もばれないだろう)
麻のシャツに茶のベスト。訓練着として使用している使い古された上着を羽織り、アルスは自嘲する。
簡易なタイを飾る、ジャックのネクタイ留めが少し目立つ可能性があったが、アルスはそれを外さなかった。
新聞越しに街のざわめきに耳を傾けていると、足元に影がさす。
アルスは顔を上げた。目の前にあったのは、見覚えのある翡翠の瞳だった。
「やあ、この前ぶり!」
つい先日、この場で出会った青年がにこにこと手を挙げる。
アルスは反応に迷うと、あてもなく目を泳がせた。
青年の首元にある真っ赤な布に視線を下げる。
唐突な再会に戸惑ったが、よくよく考えれば、この青年、最近アルスをよく見かけると指摘してきていた。
ここは青年が日常的に立ち入る場所だったのだろう。
黙ったままのアルスに、青年は少し不安になったようだ。自身を指差し確認してくる。
「あれ? オレのこと覚えてるよね?」
「……ああ。『お人よし』だろ? なんだ、今度はどんな忠告しにきた」
「忠告なんてそんな。なんか前見た時より馴染んだ雰囲気だしいうことないよ」
「そうか」
青年の肯定的な評価に、アルスは満足気に微笑する。
用は済んだと解釈し、再び新聞に集中しようと文字をたどり始めたが、青年は立ち去らない。
「ねえ、君、強いんだったよね」
「……多少は」
アルスは一応の肯定を慎重におこなった。
含みのある様子で笑顔を浮かべる青年へ怪訝な顔を向け、先を促す。
「今、時間ある? ちょっと手伝って欲しいことがあるんだよね」




