第31話 スープの味
この時期は、一年の中でも特に昼が長い。夏の一日がようやく終わる時間。
辺りは薄暗くなり、窓の外で樹々の影が揺れている。
アルスの目の前では、燭台の火が、並べられた料理を見下ろすように照らしていた。
二人きりにしては広い、ユーフェミアの館にある食堂での夕食。
ひっきりなしに給仕の使用人は出入りするが、彼女たちは出来うる限り気配を消している。
アルスは、黄金色に透き通ったスープに匙を浸すと口へと運んだ。
無理に流し込み嚥下した液体は喉にどろりとしたぬるい感覚だけ残す。味など感じる余裕はなかった。
アルスは言うべきことを済ませていない。
食事をする手を止め、食具を置いた。
「エフィ、いろいろと迷惑をかけたとおもう。本当にすまなかった」
ユーフェミアの瞳をまっすぐに見つめ、詫びの言葉を口にした。
「いいえ……私にできることなどほんの些細なことでしかなく」
ユーフェミアはアルスの視線を受け止め、緩やかにかぶりを振ると、悲しげに俯く。
アルスは、ようやく長期の慰問から帰城したユーフェミアと、久々に食事を共にしていた。
ジャックの件でアルスが拘束されて以降——そしてその件について、ユーフェミアの嘆願に助けられて以降、初めて顔を合わせたのが今日だった。
「手紙もまともによこさないままで悪かった」
「良いのです。私はただお兄様が無事に過ごされていればそれだけで」
ユーフェミアは、目を閉じ、胸の前で祈るような仕草をみせる。
純粋に心を砕いてくれているユーフェミアの姿を見ると、アルスは心がじくりと痛んだ。
助けられておきながら、どこか放っておいてほしいとすら思う自分がいたのは間違いないからだ。
手紙も、形式張った礼の一通を初めに出して以来、筆記具を持たずにここまできてしまった。
「何か他にお困りのことはありませんか? 何でも良いのです。大変なことがあったのですから少しでも気が楽になるよう、私にできることをさせてください」
「いや……十分だ。特には……」
遠慮を口にしかけてアルスは止まる。
「ああ、そうだ。少し軽い相談として聞いてほしいんだが……」
「なんでしょうか」
複雑に言い淀むアルスに対して、ユーフェミアは飛びつくように反応する。
「友人に連絡を取りたいんだが……その、つまり俺の手紙は——」
「検閲される。それを避けて連絡を取りたいのですね」
察しのいいユーフェミアの言葉にアルスは頷いた。
「ご友人というのはどなたかお聞きしても?」
「名はパトリック・アドルフ・シェブルレ・マルサス。シェブルレ家の息子だ。シェブルレ商会はわかるな?」
「ええ、もちろん」
「仕事で各地を転々としているというから、細かい居場所はシェブルレの人間しかわからないと思う。どこかしらのシェブルレ商会の拠点にさえ行きつけばなんとかなるだろう」
アルスは、転移先である王都の連棟式住居の正体が気になっていた。
今のところ、転移の魔法陣の存在は誰にも告げてはいない。こっそりと城を抜け出すことにつかっているためだ。
連棟式住居は長い間放置されているようだが、持ち主がいないということはないだろう。
そもそもこれは王家の住む城砦の館と繋がっているのだ。
本来放置していい問題ではない。
シェブルレ商会は不動産業にも通じている。
パトリックを通じて館の持ち主くらいは探れるかもしれない。
「届けるだけであれば、私の依頼により、誰かしらを使いに出せば可能ではありますが……返信を受け取る際の問題もありますよね……」
「ああ。まあ……無理に頼みたいことではないから気にしないでくれ」
ユーフェミアは、アルスの言葉に答えなかった。その可愛らしい顔にそぐわない真剣な目つきで思案している。
こういった雰囲気を見せる時のユーフェミアは随分と大人びて見える。
しばらくすると彼女は、ぱんと手を一つ合わせた。
いつもの可憐な少女へ戻ったユーフェミアが、体を部屋の隅へと向け、楽しそうに話し出す。
「いい考えがあります。ねえ、メリッサ」
「はい、なんでしょう、ユーフェミア様」
控えていた家政婦長のメリッサが答える。
「私、寝室に合う新しい家具が欲しいのです」
「はい。ユーフェミア様が必要とされるのでしたらすぐに手配します」
「そういえば、服も今度行われる会食のために新調する予定もあったような気がしますね、メリッサ。どうせなら別の取引も新たに開拓してもいいのではないかしら」
「はい、ユーフェミア様。必要であれば、何処の商品でも取り寄せるよう手配します」
ユーフェミアが、アルスの方へ向き直ると、青い瞳をぎゅっと押しつぶすように破顔した。
「ぜひ、シェブルレ商会をご紹介くださいな、お兄様。パトリック様に渡したいお手紙も忘れずにご準備くださいね」
「あ……ああ、わかった、ありがとうエフィ」
どうやら、ユーフェミアはアルスのためにシェブルレ商会の人間を呼びつけてくれるようだ。
アルスは、上機嫌に食事を再開したユーフェミアの調子についていけず、ぽかんとその様子を眺める。
そのままゆっくりと視線を動かし、メリッサの方を見た。
メリッサは相変わらずの無表情だったが、アルスと目があうと静かに頷いた。
家政婦長の態度を見て、肩の力が抜ける。
メリッサが問題ないと考えるのであれば、気にする必要はなさそうだ。
アルスはようやく食具を手に取った。
冷めたスープはすぐに取り替えられ、改めて口にしたその味は仄かに香草の香りがして、温かさとともに胃に沁みた。




