幕間 ジャックの話Ⅵ
真冬の訓練終了後、ジャックは体がすっかり冷え切っていた。
今日の訓練には執務の都合上、アルスは参加していなかった。
そのため終了後の着替えの手伝いが発生せず、いつもより早く休憩に入ることが可能な日だった。
早く部屋に戻り熱い紅茶に少量の酒でも加えて飲みたかったが、ブライアン大尉が視界の端で明らかに自分の方へ向かって近づいてくるのがわかった。
「ちっ、待ってろよ、俺のスペシャルブレンドティー」
ぼそりと呟き、表情を切り替えて大尉から誘導されるがままにギブソン大佐の私室へと向かった。
「は……復帰、ですか」
「先ほども話した通り、私はこの件について不自然な裏の動きを疑っているし、そもそもこの季節、流氷をかき分けて進む船はあらゆる危険を伴うのは間違いない。その上で最終的な決断はジャック、君自身がするものだよ」
ギブソン大佐は純粋な心配を、ジャックに寄せてくれている。
その上でジャックのことを引き留めたくて仕方ないようだったが、決定的な問題が見当たらず、悩んだままここまで話が進んできたのだろう。
「……私が判断って、そんなわけないでしょう。こんな一介の少尉、ただ上の指示に従うまでですよ」
待ち望んだ復帰だった。ここにきて八ヶ月。グレイ少佐が想定していた期間よりもずっと短い。
「復帰が条件ではあるが、それと同時に中尉への進級も約束される」
ジャックの気持ちがより傾きそうなことを恐れたのか、ギブソン大佐は最後にぼそりと付け加える。
その意図はよくわかったが、ジャックとしての判断基準がそこにあるわけではない。
第一線の復帰であれば危険や階級など今は些細なことだ。
国を守るために行動することこそが自分の役割なのだから。
――そう、正しく解っているというのに。
どう足掻いても返事は決まっている中、承諾の言葉をすぐに出すことができない自分がいた。
(ああ、俺の方が、いつのまにこの環境に依存していたのか)
短いようで、愛着を持つようになる程度には長かった。
これからだった。
第六近衛兵団の不器用な兵たちも着々と育ってきたし、アルスとの関係も、言葉なしにお互いが呼吸を合わせられるほどには築けたと思う。
どこか生ぬるい世界ではあった。
しかし、これまでにない人間関係に大きく刺激を受けたことは無駄ではないだろう。
(このまま居続けたら、現場感覚から乖離しすぎてやばかったかもな。――いい機会だ)
ジャックは、幻想のようにぶり返す、拳の痛みをさすった。
「私の……望みは変わらず、第一線への復帰です。お世話になりました」
わずかに湿ったジャックの言葉に、ギブソン大佐とブライアン大尉は顔を見合わせ、ただ頷いた。
* * *
この王子は自己の価値に鈍感で優しすぎる。
今でこそギブソン大佐の庇護のもとで健全に育っているが狡猾な簒奪者にいつ目をつけられてもおかしくはない。
また、王や王妃がその価値に気づき、さらに存在を追い込もうとする可能性もある。
ジャックが扉を叩き入室してきたことに気づくと、すぐに若き主人が近寄ってきた。
「改めて従者としてよく尽くしてくれたことに感謝を伝えたい。第一近衛兵団でも変わらず頑張ってくれ。応援している、ジャック・レオポルド中尉」
「ありがとうございます。アルス様も、今後の人生がより良きものになることを、離れた先でも願っております」
「ああ」
アルスは困ったように寂しげに笑っていた。
堅苦しく終わるのは違うのかもしれない。
初めて会った時のことを思い出すと、目線が少し近くなったように感じ、ふっと笑みを漏らす。
そして、彼の頭をぐりぐりと撫で付けたくなる衝動を堪えた。
「アルス様、背が伸びましたね。新しく仕立て直した服、手配しておりますから、受け取り忘れないようにお願いしますね」
アルスは一瞬きょとんと目を瞬かせると、呆れたようにため息をついていた。
「お前最後の最後まで働くな……。まあいいか、ともかく再会を楽しみにしているよ。たまにで構わないから兵団の方含めて顔を出してくれ」
アルスが握手を求め手を差し出してくる。
思えば、この王子の手に触れる際にはいつも自信がなかった。
最後くらいは胸を張ろう。
「あなたの従者でいられたことを誇りに思います。いつか、再びあなたの力になれるその日のためにも、全てを国に捧げる所存です」
ジャックは、密かに自身でしかそうとわからぬ誓いを口にし、覚悟を決める。
出世し力を溜め、いつかこの王子に降りかかるかもしれないであろう困難に際し、必ず助けとなってみせよう。
それは国を裏切ることになるだろうか。
――否。
彼が、彼のままである以上、もしこの純朴な若者が国の敵になるのだとすれば、それはあるべき国の形ではなくなっているはずだ。
最も尊き財産である人を守れない国など、くそくらえだ。
あの壁を殴った痛みがいつまでも消えずに残っているように、今日の決意もきっと生涯忘れることはないだろう。
ジャックは、アルスの手を取り、今度こそ、仲間とも友ともいえぬ一人の人間を守りきりたいと思った。
〈幕間 ジャックの話 完〉




