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第3話 壁の向こう

 ここは、人や馬車が多く行き交う駅前である。

 少しでも離されると人の行方を追うのは不可能に等しい。


(駅前はスリが多いと聞いてはいたが……)


 アルスは何気なく目で追っていた新聞売りの少年の手から、巾着をかすめ取った男を目撃した。


 見てしまった以上、知らぬふりをできるわけもない。

 咄嗟とっさに自ら男を追って走り出していた。


「流石に人が多いな……」


 すぐに戻ると言い残して飛び出したものの、人混みをすり抜けながら追いかける行為は思いの外難儀(なんぎ)ということに気づく。


 それでも少しずつ男の姿が近づいている。

 土汚れの目立つ男の帽子が眼前に迫り、あと少しで手が届く——そう思った瞬間、男は慌てて馬車の走る道の中央へ飛び出した。


 すり抜けて、対向の端の歩道に出た男は、さらに遠ざかる。

 アルスは慌てて後を追おうと、一歩踏み出した。


「——ッ!」


 急に進みを止められたすぐ後ろの馬車の馬がいななき、周りの流れが一瞬止まる。


「馬鹿野郎! 目ん玉ついてんのか!!」


 頭上から、御者ぎょしゃ罵声ばせいが降ってくる。

 なまりが強くてよくわからない粗野そやな言葉をあとに残し、その馬車はあっという間に人混みの波に流されていった。


(——しまった、見失ったか⁉︎)


 アルスはすぐに我に返り、男が向かった方角を見渡す。


 男は意外にもすぐに見つかった。街の中枢へ繋がる、橋の中間に差し掛かったところだ。

 そこを渡り切るまでに近づければ、まだ可能性はありそうだった。


「橋まで越えるとギブソンに本気で怒られそうだな……」


 しかし、ここまで来て引き返すのも決心がつかず、そのまま再び走り出す。


 抱えたままの剣を邪魔に感じるほどに、周りは一層人の量が増えている。

 アルスは人の壁をなんとか避けながら、広い石橋を渡りきった。


(まだ追いつける)


 男は背後を確認すると苦々しい表情をみせてきた。

 追ってくるアルスから身を隠すように、建物の間にある路地へ体を滑り込ませる。


(これまでか……)


 アルスは息を切らしながら、路地の前までたどりつく。


 ——路地裏には決して立ち入ってはいけない。


 基本的に街を一人で歩くことなどはなかったが、外出の際には周りから散々注意されて来た言葉だ。


 そこで生きる者を「あれらは人ではない。別の生き物だ」とすら発言する者もいた。

 その時は流石に眉をひそめたが、少なくとも自分のような人間が安易に向かっていい場所ではないのは事実なのだろう。


 半分諦めの思いもあったが、未知の世界への好奇心も後押しし、路地の影を覗き見る。


 想像とは違い奥行きはそれほどなく、地面に座り込んでたむろしている人間もいなかった。

 少し薄暗くはあったが、すぐ目の前には壁がある。

 壁の前には荷物が積まれており、男はそれを踏み台にしてよじ登っていた。


 今まさに壁の向こうへ消えようとしている。


 きっとその壁の向こうは違う世界だ。

 そこを超えられると立ち入れない。


(それなら——)


 意識を、これまでずっと抱えて走って来た剣の柄の石に向ける。


 軽く力を込めて握ると、ひんやりとした感触が、すぐにほんのり熱を帯びるかのように手に馴染なじむ。


「——(カエルレエ)


 言葉は何でもいい。

 アルスは習慣のように魔石と呼吸を合わせる(リンクする)ためのお決まりの呼称(ワード)を宣言する。


 さやにしまい込まれたままの剣先を、登り始めた男が手を伸ばすその少し先のほうへ向けた。


 直後、拳ほどの白い光の球が飛ぶように発出する。


「うわあああ!」


 男は手を伸ばしかけた場所へと飛んできた光球に悲鳴をあげ、け反った。

 そのまま体勢を崩し地面に滑り落ちる。


 光球はただの閃光弾せんこうだんだった。


 通常遠方との連絡のため、空に向かって打ち上げる合図として使われるようなもので、熱も威力もない。

 しかし、普段魔法を見る機会もなかったであろう男からすると十分に脅威きょういを感じたようで、そのままへたり込んでしまった。


 帽子のずり落ちた男の顔を見ると、思いの外若く、自分とそう変わらない歳だということに気づいた。


「なんなんだよ、あんた」


 息を弾ませながら男が睨む。


 アルスは冷ややかな態度で男を非難した。


「それは、あの新聞売りのものだろう。盗んだものは返すべきだ」


「はあ? 売上には手を付けてない。あの坊主だってむち打たれて叩かれるわけでもねえ」


 アルスは困惑し、黙った。

 新聞売りの少年が叱責しっせきされなければ盗んでも問題がないという言葉の意味を全く理解できなかったからだ。


「俺とあいつの何か違う! あんたにとっちゃ、数個の硬貨コインなんて端金はしたがねなんだろう? 俺にもよこせよ!」


 きんきんと路地裏に男の声が反響する。


 二の句がつげず、さやから抜かないままの剣をかまえていると、背後から影が入り暗くなった。


「アルス様!」


 ようやく追いついたギブソンが後ろで叫ぶ。


「あ、あんた軍人か?」


 男は、追って来たギブソンの姿を見てぎょっとした。


 魔法も脅威ではあるが、歴戦の経験が刻まれた熊のような大男と対峙するなど、それ以上の恐怖に違いない。

 しかもその腰に下げているのはアルスのものより威圧感のある大剣だ。


「悪かった……お……弟が、弟が病気なんだ……すこしのいい飯と酒が欲しかっただけなんだ。こいつは返すから、殺さないでくれ。頼むよ、俺が帰らなかったら弟は……」


 先程までの態度とはうってかわり、男は哀れに命乞いを始めた。

 そんな男の姿に、アルスはずるりと一歩後退りする。


 アルスにとっては本や新聞でしか読んだことのない、金も学も力もない男の姿がそこにあった。


 それは今のアルスでは到底理解してやれる存在ではない。


「ほ、ほら、返すよ、な?」


 座り込んだまま震える手で巾着を投げてよこそうとしたがうまくいかず、そのまま足元にべしゃりと落ちる。


 男は、アルスとギブソンの顔を見上げ、そして巾着を見た。

 再び拾うこともできず、青ざめた顔で二人の様子を窺っている。


 アルスは、何も言えなくなっていた。

 構えた剣を下ろしていいのかもわからなかった。


 隣でギブソンが男にむかってあごと視線を動かした。

 ここから去るように無言で男に指示する。


 男は、顔に張り付いた恐怖はそのままに、そろりそろりと後退した。

 わずかな距離の壁のそばまで必死にたどりつくと、慌ててよじ登り、転げ落ちるかのように向こうの世界へと消えていってしまった。

 


 


 


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