第27話 ある朝
早朝、ユーフェミア王女の侍女から知らせを受けるやいなや、ギブソンは足早に城砦内の牢へと向かった。
あれから三日たった。
もう春になったとはいえ、薄暗く冷たい石造りの牢は朝晩よく冷えるはずだ。
多少はましなつくりの貴賓向けの牢ではあろうが、それでも快適な環境とは言い難いはずだった。
ギブソンはアルスが拘束されてすぐ、ユーフェミアの使用人から呼び出された。
いち早く情報を察知していたユーフェミアに状況を伝えると、ユーフェミアはすぐに王へと面会を申し出る手紙を書きはじめた。
なんとかユーフェミアは王への嘆願の機会を取り付けると、彼女が持てる全てを使い、脅しにも近い形でアルスについて弁明をはかった。
その甲斐あって、謹慎処分は解けないものの、牢で過ごす一週間の予定については三日に短縮され、ユーフェミアはすぐにその知らせをギブソンへよこした。
ギブソンは、オイルランプをかざしながら、靴音が響く石段を降りる。その先にいた見張りの兵に書類を渡した。
兵が鍵を持ち出すのを待たぬまま、ギブソンは奥にある部屋の扉へと向かう。
扉上部の小さな格子から中をみたが、動く影は見当たらず、ギブソンは不安になる。
後ろからようやく兵が来て、牢の鍵を開けた。
上部に設置された明かり取りの隙間から、光が漏れる以外は薄暗い。ギブソンは部屋の様子に目を凝らす。
三日ぶりに見たアルスは、牢の隅に座り込み、顔を伏せたまま身じろぎひとつしなかった。
ギブソンは、静かにアルスへ話しかける。
「食事をほとんどとっておられないと聞きました」
「……食べる気が起きないんだ。悪いが放っておいてくれ」
返答がないのではと心配していたが、かろうじて掠れた声をアルスは返した。
「ここを出る許可を取り付けました。早く部屋へと戻りましょう」
「一週間の予定じゃなかったのか」
「ユーフェミア様が、王に必死に嘆願されたのです。もともと本日より遠方への慰問の予定もありましたので、王もユーフェミア様の機嫌を損ねて公務の支障が出ることを避けたかったのでしょう」
アルスは首の後ろの襟元をぎりぎりと強く握りしめて、思案している様子を見せた。少しの間ののち、ふたたび言葉を返した。
「いま、ユーフェミアは?」
「本日、アルス様解放の許可が出されたのを聞き届け、出立されました」
「そうか」
返事をするアルスの言葉が少し和らいだ。
ギブソンは、座り込んだアルスと視線を合わせようと、自身も床に腰を下ろす。
「ジャックの件、私の口からお伝えすればよかったと思っています。申し訳ありません」
アルスは答えなかった。
ギブソンは、アルスを早くこの場から連れ出してやりたい思いだったが、辛抱強くアルスの反応を待った。
すると、しばらくののち、アルスが僅かに顔を上げると消え入るような声で話し始めた。
「あいつ、将官になって偉くなって俺を部下にしてやるって」
独り言のようにアルスは続ける。
「馬鹿だろ……死んで褒章もらったって、それ以上は偉くなれないんだ」
ギブソンはアルスの側で黙って聞き続けた。
「……なんとなく。俺にとってのあの一年にも満たない時間は大事に抱え続けるものだったとしても。ジャックにとっては、あっさり忘れていくような、そんな場所だろうなってすこし拗ねていたところもあったんだ。でもそれでよかったんだ。優秀なあいつが出世していくのを、人伝に聞きながら――そんな奴が、部下にしてやると誘ってくれたことがあると思ったら、それだけで頑張れる気がしたんだ」
アルスは滲んだ涙を袖口で拭った。
ギブソンはハンカチを胸元のポケットから出すと、アルスへ差し出す。
そのハンカチを見て、アルスは、はっと目を見開いた。
彼の紅玉の瞳が揺れ、堪えてきたなにかがぷつんと切れたように嗚咽を漏らし始める。
静かな朝の牢に、アルスの声だけが響いた。
「お前も、迷惑をかけたな……俺のせいで、大佐の地位まで剥奪されて……」
「構いません。私にとって大き過ぎる地位は大して意味がありませんから。なんなら身軽になっていいと思っています」
ギブソンは、たまらず、アルスの肩を支えた。
できるだけ明るい声音で話し出す。
「そもそも王は、私の力を削ごうと、地位を剥奪する機会を狙っておりました。しかし、過去の栄光が私を守っていたために、手を出せずにいたのでしょう。王にとって私は随分と目障りな存在でしたから」
ギブソンにとって、この言葉は慰めのつもりだった。
自分の処分は、アルスの責任ではないのだと。そう受けとってほしかった。
しかし、一層止まらなくなったアルスの嗚咽をきいて、ギブソンは自分の発言を後悔した。
アルスはやすやすと王の挑発に乗り、ギブソンの処分への引き金を引いた。
その事実が、彼自身の重荷としてさらにのしかかってしまったことに気づいた。
ギブソンはこれ以上の言葉をかけられなかった。
アルスのそばに寄り添い、床に落ちる淡く細い光をただ眺め続けていた。
〈第六近衛兵団編 完〉




