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第25話 立ち聞き

 アルスは、馬の管理をする厩舎きゅうしゃの横を抜け、続きに並ぶすすけた煉瓦レンガの建物の黒い扉をあけた。

 兵舎の扉は複数あるが、ここは、士官向けの区画の入り口だった。


 普段は薄い壁を抜けて声が聞こえるほど騒々しい時間にしか、立ち寄ることはない場所だ。

 数少ない士官向けの場所であるというのを抜きにしても、今はほとんどの兵たちが出払っているため静かだった。


 一歩足を踏み出すと、古い木の床がきしむ。

 その音を聞きつけて、すぐ脇の部屋から使用人が出てきた。


 彼女にギブソンとブライアンの在室を確認すると、アルスはギブソンの私室の方へ向かった。

 


 ギブソンの部屋の少し手前まで来たものの、アルスは迷いを持ったまましばらく立ち尽くしていた。


 まだ自分の中でも大きく混乱している状態で、急に訪ねてどんな言葉を言えばいいのか。

 ここまできたものの、入室する踏ん切りがつかず、いっそ使用人に案内させればよかったと後悔する。

 偶然にでも向こうから気づいて、こちらにきてはくれないかと恨めしげに扉を見つめた。



「どいつもこいつも日和ひよりおって!」


 ギブソンの怒鳴り声が聞こえてアルスはびくりとした。

 前に踏み出しかけていた足を静かに引っ込める。


「ギブソン大佐、落ち着いてください」


 ブライアンの宥める声がする。

 ギブソンの声はいつも大きいため、隙間風の入る扉や、部屋の壁の薄さととても相性が悪い。


 どこか嫌な予感がする。

 部屋の戸を叩く機を伺うためだと自分に言い聞かせ、音を立てぬよう静かに部屋の扉の近くの壁際に寄った。


「もとから何かおかしいと思っておったんだ。こんな中途半端な時期の引き抜きなんぞ。明らかに裏がある」


「急な編成で辞退者が出たため、人が足りていないからとのことだったのでは? それほどおかしくないと思うのですが」


 ギブソンは鼻で笑った。


「ジャックの件の通達を持ってきた時に、あの鼻垂れマークスに、お前のところの士官は腰抜けの集まりかと尋ねたさ。すると、激昂して上から無理にねじ込められただけだと言い返してきたぞ」


「マークス中将が? 上というのは……?」


「王に決まっておろう。もっとも、再度同じことを尋ねてみれば、青ざめた顔でその会話を否定してきたがな」


(もともと予定内の異動ではなかったのか。王が意図的にジャックを引きあげた? なんのために?)


 アルスはいっそう中の会話に集中する。


「はじめから怪しかったのだ。ジャックにも説明したというのに、あいつは困ったように笑って結局……」


 ギブソンは言葉を詰まらせて鼻をすすった。


「……レオポルドの立場と性格を考えれば、断る選択肢があったとは思えません。あれは根っからの軍人貴族。国への忠誠心の塊です」


「だからこそ私が守らねばならなかったのだ。何を呑気に情報収集程度で様子見など……」


 しばらくギブソンが鼻をかみ、すすり泣く声だけが響いた。


 ブライアンは、ギブソンが少し落ち着いた頃を見計らい、再び話しかける。


「レオポルドの率いた部隊のその上は、グレイ少佐でしたね? 兵からの人望も厚い彼なら何か話してくれるのでは?」


「あいつはだめだ。あれを兵士思いと称するやつもおるが、こころざしなく上にも下にもどこにでもいい顔をして保身のことしか考えていないただの臆病物だ。しかも、いつも直前で怖気づく。わかるだろう?」


「……」


 苛立った様子のギブソンの言葉を恐れたのか、それとも心当たりがあったのか、ブライアンはしばらく黙った。


「……しかし、今回の件について彼に何もお尋ねになっていないということはないでしょう?」


「鼻垂れマークスと変わらん。事件前はおどおどと向こうから説明しに来たが——」


 不意に大きな音が響いて、アルスの心臓が跳ねた。ギブソンが机を叩いたようだった。


「再度問い詰めようとするとこれだ! 見ろ、この無機質な紙っぺらを! グレイめ。昔あれだけ助けてやったというのに、直接人をよこしもせずに、手紙の一通も出さず。『ナニモシラヌ。ナニモキクナ』と電信をよこしただけだった!」


 先ほどからのグレイ少佐に対する刺々しい物言いはこれが原因だったのだろう。


「事件が起こる前、グレイ少佐はなんと仰っていたのです?」


「ジャックが率いた隊は、実質ほとんどが今回のために新たに登用された兵たちで構成されていたという。数名の経験者以外は、まともに訓練された兵ではないそのへんの飯に困った民間人だ。つまり――」


「まさか、はなから捨て駒だった?」


 ブライアンは、ぞっとした様子で「いやまさか」「しかしそれは」と思案しているようでぶつぶつとつぶやいている。


「しかし、どういうことでしょう。補給船の爆破計画について、国が把握していた上でレオポルドの部隊を送り出したと?」


「そこだ。そこがおかしいのだ。大体メルトの独立運動の集団がわざわざリンデル国内にまで攻撃を仕掛けたことがこれまであったか?」


「独立運動の一派は、メルト国内に駐留する軍との小競り合いが主ですね。奴らは国からリンデルを追い出すことが目的ですから」


「あれだけ物資に困っているというのに、わざわざメルトの国の近海ではなくここまでやってきてるんだぞ。燃料と命の無駄遣いにもほどがある。やるなら略奪だ。対して人数も乗っていない補給船をたった一隻爆破したところで状況は変わらん」


 ギブソンは、淡々と言葉を続けた後に、皮肉を付け加える。


「まあ、グレイのような腰抜けがこの国に多ければ、効果はあるかもしれんがな」


 椅子を引く音がし、足音が遠ざかる。

 扉とは反対の窓際の方へギブソンは移動したようだった。


「では一体……?」


 ブライアンは、ギブソンに見えているらしい状況がまだ把握できないようで明確な説明を求めた。


「結果から考えてみろ。王はもともとメルトへ追加の軍を派遣したがっていた。それを議会が渋っていた。ところがこの事件が起きたことによりどうなった? リンデル国内の安全が脅かされるとなれば議員どもの反応は変わる。ましてやそれをまとめあげる宰相レオポルド卿の息子が犠牲になったとなれば――」


「まさかとは思いますが……大佐は国が画策した自作自演だと仰っているのですか!?」


 アルスは思わず息をのむ。声が漏れそうになり、口を手で覆った。


(――まさか、嘘だろう!? こんな大規模な人の生死が関わる事件を国がでっち上げた!?)


 あの王が。

 自分と血が繋がっている、近いようで遠いあの父親がこの件に絡んでいる。


 ギブソンが、第六近衛兵団結成当初、兵たちに語った言葉を思い出す。


 ――お前たちはいつか、つまらん状況下で捨て駒にされる。


(ギブソンが恐れていたことはこのことだったのか)


 ぐらりと視界が歪み、血の気が引く思いだった。


(果たしてこんなことが……こんなことが――)


「こんなことが許されるのでしょうか」


 ブライアンがアルスの考えを引き継ぐように嫌悪感を口にする。


「この件、無理やりに公表したところで、王家への信頼が崩れ、国が荒れることは間違いないでしょう。各所から全力で圧力がかかることも予測されますし、現実的ではない。しかし、せめて……レオポルド卿の耳に入れることは難しいでしょうか」


「できん」


 あまりにすぐに返ってきた否定の言葉からすると、ギブソンも同じ事を考えてはいたのだろう。


「忘れたか? 卿は今議会の長だ」


「……すみません、そうでした。宰相でいる間は、公の場以外では軍人との接触が禁じられていましたね」


 ブライアンが軍と議会の独立性を保つ為の仕組みを思い出す。


「実の息子であるジャックですらここ三年、連絡をほとんど絶っていたというんだ。そもそも私とレオポルド卿は、さして交友もない。いきなり情報を突き出しに接触しようとしたところで門前払いだろう」


「公の場で告発しようとも証拠はすでに握りつぶされている。王の監視も入る以上……いや、やはり、国としての根幹を揺るがす話を追及するのは国益を損なう危険が高すぎるか」


 ブライアンは苦しげに息を吐いた。

 ギブソンもその胸のうちにある悲痛な思いを吐露する。


「気づいたところでもうできることは……せめてもっと証拠として残しておくべきだった。べらべらとしゃべった軍の阿呆どもに安心して信用しすぎた。違うな、そもそもジャックを無理やりにでも引き留めるべきだったのだ……」


 ついにはブライアンも一つ鼻をかんだ気配がした。再びすすり泣き始めたギブソンに影響されたようだ。



 アルスは二人のいる扉の中に入ることをもう既に考えていなかった。

 静かにその場をあとにする。

 

 外へ出る足取りにはもう不安さはなく、目的の場所はただ一つに決まった。

 現実感は未だないままだったが、目の前の迷いはすっかり消え去っていた。

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