第23話 酒場
翌日、ジャックの栄転祝いと別れを惜しむための酒宴が、第六近衛兵団内でひらかれた。
ギブソンが街の酒場を一つ貸し切ったため、アルスは迎えに来た第六近衛兵団の団員たち数名と共に城の外へ向かった。
これまで、仕事以外で街中を堂々と出歩くことはほとんどなかった。
王たちの耳に入るとあまり良く思われないことは明白だったからだ。
また、アルスの周りの人間――主にギブソンを巻き込んだ煩雑な書類手続きも必要だった。
ギブソンは街での娯楽や買い物など、純粋な私用も含めて快く許可してくれるだろうが、何かあったときの責任元にもなる。
そのため、安易な考えで彼を巻き込むのも憚られた。
街の酒場の類は、団員たちにとって貴重な休みのたびに繰り出す場所であったようだが、アルスにとって初めての環境だった。
夕刻となり、薄暗さが増すこの時間。
大通りから少し入った場所にある広場の一角に向かうと、一帯は別世界のようだった。
不気味なほど圧迫感を感じる王都の高層建築物に囲まれた場所だが、それぞれ一階の入り口と、看板だけは煌々と灯りに照らされている。
その中の一つ、リンデルの国旗と黒い鳥の描かれた看板が吊り下がる「黒鳥」という名の酒場へと足を踏み入れる。
すでに多くの団員が飲食を始めているようだ。
酒と煙草と料理の匂いが混ざり合い、籠りきった空気は、正直に言うと快適とは言いがたい。
大切な人々の集まりでなければ嫌悪感が表情に現れたかもしれない。
しかし、アルスにとって団員たちと過ごす時間への興味が勝っていたため、不思議とその空気こそが特別さを演出してくれた。
酒場の内部はそれほど広さもなく、天井は低い。
大の男たちがすれ違うたびにぶつかる環境だったため、アルスは奥へと向かうのをためらった。
ギブソンやジャックとも目があったが、彼らに近づくのも容易ではなさそうだった。
不思議な心地だった。
きっとこんなことでもなければアルスがこの場に誘われることはなかっただろう。
アルスは兵たちからこの酒席に誘われた際、二つ返事で了承した。
あまりに考えが及んでいないと思われたのか、兵たちは顔を見合わせ、何度も酒場の様子について説明を加えてきた。
アルスに覚悟を持たせてはみたものの、ずっと不安だったに違いない。
「お、ほんとだ、分隊長じゃん。こんなとこきて大丈夫?」
相変わらずアルスの立場を理解しているのかいないのか、遠慮のない口ぶりのギルバートが話しかけてくる。
「いいんだよ、俺が参加させて欲しいと頼んだんだ」
「そうだよなあ。ジャックのための日だしなあ。……それでさ、分隊長って何食べる人? 俺、酒飲む歳じゃないし、ちょうどいいから毒見係しろってさ」
「誰が言ってきた?」
「ジャック」
予想通りの答えに、気の利く依頼主を探す。
ジャックは他の団員たちとの会話に夢中だった。楽しそうに大きな口を開けて笑っているジャックの姿を、アルスは眩しそうに見る。
ジャックの様子を気にするアルスに気づき、ギルバートが心配そうに声を掛けてきた。
「おれ、ジャック、呼んできたほうがいい? あ、呼んできた方がいいですか?」
「いや、いい。お前も、今更言葉遣いを気にするな、気楽に過ごせよ。――ああ、悪いが飲み物をもらってきてくれるか? 酒は飲まないからお前と同じのでいい」
ギルバードは、とても複雑そうな顔をした後にこっそりとアルスに耳打ちする。
「ごめん、分隊長、これ林檎の発泡酒なんだ。ばれると怒られるから内緒な。酒じゃない葡萄ジュースがあるらしいから貰ってくる」
アルスはすでに半分以上なくなっているギルバードのグラスをみた。
確実に飲み慣れていそうな酒の強さに妙に感心しながら、すぐにばれそうなギルバードの秘密を胸にしまった。
酒や食事が次々と提供される。皆、日々の訓練や仕事の辛さも忘れて騒いでいる。
アルスはギルバートの持ってきた葡萄ジュースを少量ずつ口にし、兵たちが挨拶ついでに献上してくる料理を前にしながら周りの様子を眺めた。
明らかに酔ったブライアンが、相変わらずギブソンの文句を垂れている。
アルスはブライアンが酒に弱いことをはじめて知った。
話しかけられた若い兵のチャーリーは、上官の悪口に簡単に頷くこともできず、困っていた。
幸いギブソンは少し離れたところで一際大きい声をあげ、巨大な器で酒をかっぱらっているので聞こえることはなさそうだった。
兵たちからは剣の話、異性の話、世間の話とあちらこちらで会話が盛んに聞こえてくる。
聞き耳を立てるのはあまり上品なこととは言えないだろうが、兵たちの日常をなぞるようで楽しかった。
「アルス様、慣れない場所だとは思いますが、気分など悪くされていませんか?」
ジャックが煙草の煙を手で払い、アルスの横へと座った。
「それ、ちゃんと毒見されてます? 毒見係おいてたはずなのに。ギルのやつ、どこ行きやがった」
アルスは、ジャックがギルバードを呼び寄せようとしたため、慌てて静止する。
「大丈夫、大丈夫だ、きちんと誰かが手をつけたものを選んで食べているよ」
「まあ……それなら」
「みんな俺に気を使わず楽しんでくれたら嬉しい。俺はこの場に居られるだけで十分楽しいんだ。お前は主役なんだから、今日は俺の世話なんて気にするな。酒も飲まないようにしているから、何かあったら俺が対処するさ」
持ってきていた自分の剣を指し示す。
ジャックはふと顔をあげると、この場所が出入り口を含む、全体を見通せる位置だということに気付いたようだった。
「いやなんか逆! まあいいか、アルス様わりと強いし……」
「まあそうだな。ほどほどにな」
「……あ、もしかして実は根に持ってます?」
ジャックは、前日の会話を思い出したようだった。
「いやまさか。褒めたんだろ?」
アルスは、にやりとしながら肩をすくめる。
ジャックは目を泳がせると、視線の先に行き着いた皿を差し出した。
「あ、これおいしかったです。俺の毒見済みなんで、よかったらどうぞ」
誤魔化すように皿を渡したところで、ちょうどジャックは兵の一人に名を呼ばれた。
すみませんと一言断りを入れ、そのまますっ飛んでいく。
アルスは、再び賑やかな喧騒の中の会話一つ一つに耳を澄ました。
ブライアンは、ジャックがいなくなった後のさらなる人材不足に悲観して頭を抱えており、敬語の使えないギルバードから慰められていた。
ギブソンはジャックを捕まえ大袈裟な身振りで悲しみを表現していた。
ジャックは、少し面倒くさそうに戸惑いながらも、照れたように笑ってギブソンを宥めている。
アルスは、ジャックから差し出された皿のソーセージを少し齧ってみた。
香り高い香辛料がよく効いており、冷めてはいたが確かにとても美味しかった。
皆が楽しそうに騒ぐ場に、共にいられる喜びがここにある。
ジャックがいなくなる寂しさは消えないまでも、この日はただ幸せで楽しかった。
今日の思い出を糧にしばらくは過ごしていけそうだった。
※参考としている18世紀後期から20世紀初頭の欧州・英国の価値観に基づいた描写の箇所もありますが、この物語は、未成年飲酒含む法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません




