第22話 使命
ジャックは一度階段下に降りると熱い紅茶を二人分持って戻ってきた。
アルスは手渡されたカップから立ち上る湯気を顔に浴び、ほっと息をつく。
ジャックは猫舌らしく少し冷ましながら、熱で暖を取りアルスの方をじっと見た。
「アルス様、貴方もったいないですよ」
「ん?」
「普通に士官学校入って、軍に入って、活動すればほどほどに結果出してほどほどに出世していけそうなのに」
「そこはほどほどなんだな。まあ、ギブソンみたいな、あそこまでなれる気はしないな」
「あれは過去の大戦がつくった化け物の一人なんで比べるのは……」
相変わらず目標の高いアルスにジャックは苦笑したようだった。
「なんとか……きっとなんとか方法はあると思うんですよ。前の王妃様のご生家の……グウェルフ家に養子入りして、その後正式に士官学校に入り、そこからはじめるとか」
「ああ」
悔しそうに顔を歪めるジャックの顔から、必死さが伝わってくる。
そのひたむきな思いを、アルスは穏やかに受け止める。
「……俺、必ず出世して偉くなります。将官にまでなって、そしたら、あなたを部下に呼びます。だから――貴方も、もう少し出世しておいてください」
「たしかに、将官の下で働くなら伍長のままではいられないな。小間使いにしかならない」
「あ、それでもいいですね」
「お前な……」
笑い合うと二人は黙った。
水鳥の鳴き声が遠く響く。
いつの間にか雲のすき間から日の光が差し込み、きらきらと反射して輝く水面が眩しい。
しばらくの間、静寂が続いた。
アルスは、再び口を開く。
「……王や今の王妃は、俺が軍部で成果を上げて名声上げることはきっと許さない。それが争いの火種になると考えるだろう」
アルスはジャックの顔色をうかがいながら、言葉を続ける。
「それに、俺が、王族をやめたら第六近衛兵団の存在意義がなくなってしまう」
今や兵団は、アルスにとって大切な居場所の一つとなっていた。
多少遠慮はあるだろうが、立場の難しいアルスのことを、兵たちは受け入れてくれている。
「落ちこぼれと言われ、流れてきた彼らの行き場を今更無くしてしまうことは俺にはできない」
ジャックは、ゆっくりと頷きながら聞き続け、最後に寂しそうに笑った。
「さすが、アルス様は真面目ですね」
きっと、ジャックも本気でアルスが違う人生を歩めるなど考えてはいなかったのだと思う。
ただ、アルスの行く末のことを本気で心配してくれている。
それだけで十分だと思った。
思わず溢れる笑みをアルスはもう隠さなかった。
「お前が偉くなっても、俺のことたまに思い出してくれればそれでいいよ。書いてくれるんだろう?――手紙」
ジャックは、自身が言った手紙の話を持ち出したアルスの言葉に表情を明るくした。
いつものように軽口を叩く。
「忘れないですよ、こんな変な王子世話して、よく笑わされたことなんて」
「お前本当言うようになったよな」
ジャックがきっぱりと主従の関係に線を引こうとしていた始まりの頃は、もう懐かしい記憶だ。
「手紙、書きますよ。メルトに着いてからも。遠いところで任務についていても。でも貴方への手紙検閲されるんでしたっけ? 下手なことかけないなあ」
「何書く気だよ」
「そりゃあ、まずはそうだな。アルス様も年頃だし恋愛相談にも乗ってあげないと」
「わざわざ手紙でお前に言うわけないだろう。そもそも出会いなんてない」
「あんなに可愛い王女とよく食事してるってのに」
「妹を数に入れるな」
アルスは、話が途切れたところで、ずっと確認したかったことを訊ねる。
「……お前こそ、大丈夫なのか?」
「はい?」
「お前の出世や、第一近衛兵団への復帰は素直に応援している。だが、本当に大丈夫なのか?」
「なにがです?」
「冬のメルト入りは危険だ。嵐と雪と氷、海に落ちたらひとたまりもないし、海賊だっている」
出世と引き換えに命がけの世界へ行こうとするジャックのほうこそ、心配されるべき人間だった。
「高貴なるものの責務ってわかりますか?」
言葉はもちろん知っている。上流階級に生まれてきた以上、繰り返し聞く言葉だ。
「危険とわかっていようとも、そうであれば尚更、率先して向かわねばならない。レオポルド家は、名誉を重んじる。民に恥じない振る舞いをしなければ。国に在るすべてのものを守るために」
その表情に迷いはなく、あまりに澄んだ眼光にアルスは戸惑う。
「死ぬのは怖くないのか?」
無粋な質問をしていることを承知でアルスはそのまま踏み込んだ。
「そりゃあ死にたくないですよ。でもまあ、無様な姿をさらすわけにはいかない立場なんで」
アルスはジャックとは少し年齢が離れていたことを思い出していた。
「別に、自分の思うように生きるのも、一つの生き方だとは思うんですけど」
ジャックは前置きをして、軍服の襟の国旗にそっと触れた。
「俺は――使命を果たす人間でありたいです」
そう言い切ったジャックは、アルスが今まで見てきた中で最も壮観な顔つきをしていた。
「使命……か」
レオポルド家の名誉を重んじる家風を忠実に受け止めるジャックの生き方が、はじめて少しわかった気がした。
「そうか、なんだかジャックはすごいな」
アルスは、ジャックの姿勢に感嘆する言葉さえも稚拙なものになる自分を情けなく思った。
迷いをそのまま口にする。
「俺は、この立場にいるというのに何をすべきなのかいまだに分からないんだ。面倒な状況のせいにして結局逃げているのかもしれない」
言い訳がましくなる自分の言葉にさらに表情が険しくなり、両手の拳を握る力も強くなる。
ジャックが、アルスの顔を覗き込んできた。
「まだ、焦ることはないんじゃないかなと思いますけどね。アルス様まだ寄宿学校卒業したばかりですし、俺がそのくらいの頃はなんにも考えてなかったですよ」
拍子抜けするほどの気楽な口調だった。
「うーん、アルス様の使命かあ……」
ジャックは共に考えようとしてくれているのか、うんうんと唸り、最後に頷いた。
「――自分以外の誰かにとって、自分がどういう存在でありたいのか。それを突き詰めていけば、おのずと使命っていうものが見えてくるんじゃないかと」
「自分以外の誰か……?」
「これから、アルス様も多くの出会いがあって、様々な経験をしていくと思うんです。そうして生きてるうちに、アルス様だったらきっと見つかりますよ、貴方なりの使命がね」
「……そうか」
アルスはジャックの言葉の意味を、真に理解できるのはずっと先のような気がした。
「見つかったら、そのときは俺にも教えてください」
ジャックはそう言って笑うと外套の胸元のポケットから何かを取り出した。
「これ、渡しておきますね」
翡翠の石を中心にあしらったリング状の装飾品だった。その翡翠の輝きと形には見覚えがある。
アルスはジャックの耳元をみた。
いつもそこで揺れていた耳飾りが片方なくなっていた。
「俺の、耳飾りを加工して作ってもらいました。どうせ、しばらく一人で着替えとかする気でしょう? ほらこれ、ネクタイリング……こうやって簡単にネクタイを止めるだけで様になると思うんで。いいでしょ?」
ジャックは人懐こい顔で笑った。
透明度の高い石と美しい意匠の耳飾りは、大事なものだったのではないのか。
戸惑いから思わず遠慮を口にしそうになったが、アルスは堪えて素直に受け取った。
「ありがとう。大切に使う」
ジャックがほっとしたように、微笑んだ。
「――では、お前にはこれを」
ジャックと同じように外套のポケットから取り出す。
アルスは深緑の手袋を差し出した。
ジャックは驚きにより、言葉が見つからなかった様子でそのまま受け取る。
「もらったものには釣り合わないかもしれないが、物は悪くない。あまり良くはわからないがアーナヴァルタの最新加工技術によって作られた製品らしい。たしか、『生地は薄いわりに、丈夫で保温性に優れている』だったかな」
「こんなものどこで……」
「俺の数少ない友人に頼んだんだよ」
「ああ、シェブルレ商会の」
「お前から先に餞別をもらうことになるとは思わなかったけどな」
アルスは、手袋を隠し持っていたポケットへ、代わりにネクタイ留めのリングをしまい込んだ。
「ありがとうございます。おっ……確かにあったかい」
「俺の分も頼んでおけばよかった。今欲しい」
さっそく身につけるジャックの方を恨めしそうに見る。
「すみません。温かくなる物渡せなくて」
ジャックは手袋を外し、アルスの持つ空のカップを回収すると、新しい紅茶を入れに階段を降りていった。
辺りは薄暗くなり始めており、明るい星が一つ輝いていた。
空は地表から見上げていくと、淡い黄色、薄緑、そして濃い青へと緩やかに色を変化させている。
美しい夕暮れが反射する湖の景色を、アルスはしばらくの間独り占めしていた。




