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第21話 伍長と少尉

 ジャックが第六近衛兵団から去る件が公表されると、兵団内の人間はさまざまな反応を見せた。


 左遷からの復帰に希望を持つものや、ジャックがいなくなることを寂しがるもの、祝福するものや不安がるもの。

 兵団内のジャックへの信頼感と離脱の影響の強さをまざまざと感じる。


 訓練参加時のジャックを取り巻く人間の浮ついた雰囲気を横目に見ながら、アルスはできるだけ日常を普段通りに過ごそうと努めた。


 ジャックからは、引継ぎのために後任の従者を早く決めてほしいと度々懇願されたが、アルスはその件を保留し続けている。

 引き継ぎを完璧にしたいジャックには悪いとは思うものの、そもそもアルスは積極的に従者を伴いたいと思っていなかったところもあった。


 立場上必要であることも、ジャックと過ごしてきた中で理解ができるようになっている。

 しかし、それを差し引いても、新たな関係を誰かと築くより、当分は現状の使用人に補助をしてもらいながら自分でこなす方が楽だと考えてしまうのだった。

 

 ジャックがアルスの下を去るまであと三日と迫った昼過ぎのことだった。


「アルス様。たまには見張りの任務やってみませんか?」


 アルスはリブラル城の執務室の机に向かい、手紙を書いていた。そこへ、軍服を着たままのジャックが立ち寄り声を掛ける。


「今からか?」


「ええ。都合がつくなら」


 ジャックの言葉に、アルスはすぐにペンを置き、インク壺の蓋を閉めた。

 普段やることのない見張りの任務への興味に、そわそわとした気持ちが湧き立ち落ち着かない。


 広げたままの書類を一瞥すると頷き立ち上がる。


「俺には急ぎの仕事なんてそうそうない。行こう」


「外は寒いので、まずは着替えを。準備します」


 顔は冷静に装っていたつもりだが、態度からすると随分と前のめりな反応になっている。

 今すぐに向かおうとするかのようなアルスを見て、ジャックは笑い出しそうな顔を背けた。


 アルスは一瞬狼狽えた後ため息をつく。


「笑うならいっそ堂々と笑ってくれ……」


 アルスは決まりの悪さを誤魔化すように、ジャックを不満げな目線で睨んだ。



 城壁に登る塔の下で、ジャックが見張りの交代を兵に告げた。

 アルスは少し後ろの方で興味津々にこっそりと塔内の様子を眺めた。


 カップや、吊るされた洗濯物に、雑多に押し込まれた個人の私物など生活感のあふれる塔内は、磨き上げられた調度品や整然と整頓された空間で過ごしているアルスには新鮮だった。


 交代を告げられた兵は、ほっとした表情をしたものの、そんな予定はあっただろうかと首を傾げ、台帳をめくりだした。

 その様子を見たジャックは慌てて説明を加える。


「団長とブライアン大尉には話をつけている。次の交代の時間まで席を外してくれたらいいさ」


「はあ……わかりました」


 不思議そうにしながらもとりあえず納得した兵は、ようやくジャックの後ろに控えていた人物が誰かを理解した。


「え……分隊長⁉︎」


 アルスの姿を見てぎょっとすると、焦ったようにジャックに目配せをする。

 ジャックがにやりとして無言で頷く様子に、それ以上考えることを止めたようで、素直に仲間の兵を呼び出す。


 鼻の頭を真っ赤にしながら手を擦り合わせて降りてきたもう一人の大柄な兵も、アルスの姿を見るとびくりと動きが止まり階段を踏み外しかけていた。


「見かけただけで、人が驚くなんて俺は幽霊かなにかか」


 不本意な気持ちをぼそりと漏らしたアルスの言葉がとどめとなり、ジャックはついに噴き出していた。

 


 城壁につながる階段を上がり、冬雲に覆われた空の下へと出ると、しんと冷え切った空気が露出している肌を覆った。

 あと一月ほどもすれば春と呼ばれる季節になるであろうが、城壁の見張りの仕事は当分人気がなさそうだった。


 城壁の下を見ると、湖が風にさざめいており、一層寒さを強調させる。

 ジャックが両手で身体をさすりながら、アルスの側に寄ってきた。


「いつも思うんですけど、こんなに寒いのに湖凍らないんですねえ。端の方はよく氷が張ってますけど。やっぱ湖が広いからですかね」


「それもあるが、そもそもポレ湖は、湖底遺跡の影響で温度が下がりにくい。どんなに冷え込んでも全面が結氷けっぴょうすることはないと言われている」


「へえ……」


 アルスの言葉に、軽く短い返事が返る。


「お前あんまり興味ないだろう」


 大して意味のなかったであろう言葉に、真面目に返しすぎたとアルスは拗ねた。


「あ、ありますよ、興味! いつも博識だなあと思って聞いてますって。俺の感想が凡人なだけですから」


 取り繕うジャックに満足したので、とりあえずは許すことにし、アルスは話を変える。


「……見張りって何をするんだ?」


「なにか異変が起きていないか見張るだけです」


「具体的には何を見張ればいいんだ?」


「ええー……? 対岸や湖上に不審な動きや合図がないかとか、城壁登ってこようとする侵入者がいないかとか」


 ジャックが困ったように答えを捻り出す。


 水平線の先は山の木々が盛り上がっていることしかわからない。

 対岸の様子がわかるほど湖は狭くない。

 湖面に至っては、風に細かく波立つ以外は魚が少し跳ねるだけでも目立つほど静かだった。


「侵入ってこの寒さでか?」


「間違ってもこんな季節に湖渡って城壁から侵入してくるやつなんていないでしょうね。うっかり湖に落ちたら死ぬ」


「……」


「ここの見張りは、ただ、外の素晴らしい景色眺めて、何もなかったですって感想を日誌に書いておけばいいんです。王子がやる仕事じゃないですね」


「少尉がやる仕事でもなさそうだ」


 ジャックの軽口に対してさらりと応酬するアルスに、ジャックは苦笑する。


「まあここは一応国の最重要施設ですから誰かがやらなきゃならないんです。それに、俺は見張りの仕事、わりとやりますよ」


「訓練の一環か? ギニファ(川の向こう)の見張りを見越してとか」


 ジャックの言葉の意味を測りかね、アルスの声に戸惑いが混じる。


「いいえ、若い兵の指導がてらね。ここ、暇な上に二人一組で見張りするんで、相手と腹割って話すにはちょうどいいんですよ」


 アルスは湖面を見下ろしていた顔を上げ、ジャックの方を見た。

 ジャックは、曇天を背景に、背に垂れる一括りの髪をたなびかせ、アルスの方を見て切なげに微笑した。


「すみません。付き人ジャックとしてよりも、兵としての任務についている間の方が貴方とじっくり話せるかと思って」


 アルスは自分でも無意識に避けてきた瞬間なような気がして、霧がかった山の方へと目を逸らす。


「では、ジャック・レオポルド少尉は、まだまだ未熟なアルス・リブラル伍長へありがたい指導でもしてくれよ」


「上官にそんな偉そうな態度を取る伍長なんているかよ」


 ジャックは声を出して笑った。

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