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第20話 手紙

 夜間や明け方には、水も凍るほどの気温となり、室内ですら寒さが身にしみる季節になってしばらく経った。


 王都ログスティリアの冬は、気温は低いものの雪が積もることは滅多にない。

 寝室の暖炉は、目覚める前の早朝から暖められていた。それでも、絨毯の届かない場所の床は冷たく、高い天井の部屋を暖めるには心許ない。


 すでに着替えの終わったアルスは、自室の個人用机に並べられた朝食と新聞越しに窓の外をみた。

 珍しく雪がちらついている。


 アルスは、なぜかその様子から、ログスティリアに戻ってきた日のことを思い出していた。

 あの時捕まえようとしたスリの少年は、弟が病気だと言っていた気がする。


(この雪が降るほどの季節をどのように過ごしているのだろう)


 街で働く新聞売りの少年も、汽車の駅員ですら、アルスほど快適な環境で過ごすことはないだろう。


(あの時、自分が世間知らずであると、痛感したというのに何も変わっていない)


 目の前の暖炉で石炭がぱちりと爆ぜ、煌々(こうこう)と熱を放っている。


 戸を叩く音にはっとして我に帰る。

 扉の向こうに返事を返すと、ジャックが相変わらず隙のない服装で現れ、側に寄ってきた。


「アルス様、ご確認ください」


 ジャックが、何通か手紙の乗った銀盆を差し出す。

 アルスは、それらを受け取ると、そのうちの特に豪奢な飾りのついた手紙を不思議そうに手に取り差し出し人を確認した。

 途端に目を見開き、思わず声をあげる。


「お……これはパトリックか、久しぶりだな」


 手紙の差し出し人をみて、嬉しそうに反応するアルスが珍しかったのか、ジャックが落ち着かずにアルスの様子をうかがう。

 口を出すべきではない立場から自制するか悩んだようだが、耐えきれず質問してきた。


「ご友人ですか?」


「そうだな、寄宿学校時代の同居人だよ」


 アルスはジャックからペーパーナイフを受け取ると、手紙を取り出す。

 開ける前から異様な厚みを感じていたが、一般的なものよりやたらと多い手紙の束に一瞬固まってしまう。


(パトリック……あいつほんとに変わらないな)


 一度興味を示せば変わらないと思ったのだろう。ジャックがさらに質問を重ねた。


「その、失礼を承知でお聞きしますが、この印とお名前を見る限りご友人というのは……」


「シェブルレ商会の息子だよ。金持ちで変人で自信家だが、なんというか憎めないやつだったな」


 まだ卒業して一年も経たない寄宿学校時代が懐かしく、手紙を開いて読み始める。

 シェブルレはリンデル国内ではよく知られた大商人の家である。

 食料や雑貨、家具や服などの国内外の商品に加えて不動産や武器商人など幅広く商売をやっており、爵位はないが、下手な貴族よりも金のある大富豪だった。


 アルスは主に自慢話と商品の宣伝に割かれた意味のない部分を読み飛ばしながら内容を把握していく。

 ふと気がつくと、側に控えているジャックが、にやにやと笑みを浮かべながらアルスの顔をみていた。


「なんだその笑いは。気持ち悪い。じっと見られても居心地が悪いんだが」


「ああ、いえ失礼しました。ほら、なんというか、ちゃんとアルス様にもご友人がいたんだなあと思うとなんだか安心しちゃって」


「そりゃあ、俺にだって友人の……そうだな、二人くらいはいるさ」


「二人だけですか!?」


「手紙やりとりできるようなやつはおそらく二人だ。悪かったな。お前みたいに社交的じゃないんだよ」


「や、拗ねないでください。その、お会いになったりなどはされないんですか?」


「パトリックは、仕事で国内や諸外国を転々とする生活がしばらく続くと言っていたし、もう一人も修行中らしいからなあ」


「修行……軍人ですか?」


 ジャックが首を傾げる。


「神官になるための修行だよ。家業が代々教団で神職をやっているそうだ」


 リンデルの神官とは、クラーレ・カリサス教団に所属し、奉職する人間のことを示す。

 神事を担う仕事はもちろん、リンデル国内における司法を担う機関でもあった。

 品行方正さと知性が求められる最上級に近い階級の職業だ。


「優秀なご友人がいらっしゃるんですね」


 街や国を飛び回る有名な商家の息子と、将来のために勤勉に過ごす神官見習い。


「周りが凄すぎて、俺の存在が霞むよな」


 張り付いた笑顔でジャックが突っ込む。


「ご冗談ですよね?」


「そう思うか?」


 二人とも自慢の友人ではあったが、自分がそれに見合う存在とは思えなかった。



「あの、アルス様」


 ジャックが、少しだけ声を張り上げて呼びかけてきた。


「これからは、手紙をやり取りする相手に、私も加えていただけますか?」


「ん?」


 アルスは手紙を読むのを止め、ジャックの方を見た。

 ジャックは少しの間瞼をとじ、何かを決心したかのように開くと、アルスに向かって敬礼した。


「アルス様。辞令が出て、近々第一近衛兵団へ復帰することになりました。階級も中尉に上がるとのことです」


 息が止まる。


 部屋がしんと静かになり、山から湖畔へと吹き下りる冬の風が、かたかたと窓を振動させる音だけが響いた。


「――おめでとう。よかったな。このことはだれが把握しているんだ?」


 アルスはできるだけ動揺を表に出さないように、ジャックの方を見て祝福の握手のための手を差し出す。


「兵団内だとギブソン団長とブライアン大尉が」


 アルスの手をジャックは遠慮がちに握り返した。


「アルス様には私から直接報告したくて。アルス様の付き人を辞める許可を直接取り付けたいと思い、黙っていてもらいました」


「許可なんていらないさ。最初からその約束だっただろう。だが、確かにお前が優秀過ぎたからな。思った以上に俺も、お前に頼ってしまった」


「すみません。一年も経たないうちに」


「いいや、謝ることはない。むしろ感謝している。本当に助かったよ。寂しくなるのは本音だが、お前はこんな仕事よりもっとやるべきことがあると思う」


 アルスはどこか自分に言い聞かせるような話ぶりであることを自覚する。

 ジャックの居場所はここではないことには、随分前から気がついていた。


「いつまでいられるんだ?」


「一月後のメルト補給遠征への参加が条件で呼び戻されるので、ぎりぎりまで粘って二週間程度はいられると思っています」


「思ったよりは余裕があるんだな。しかしこの季節のメルト遠征か……。ひと月後とは言え随分と過酷な任務じゃないのか?」


「正直そういう理由でもなければ、声はかからなかったと思うので覚悟の上です」


「そうか……」


 アルスはそれっきり言葉を発することはなく、再び手紙を開いて読み始めた。


 ジャックはアルスに温かい紅茶を提供すると、そのまま静かに部屋を後にした。


 友人のパトリックの手紙は本当に長ったらしく、ギニファ製の家具の足の精巧な装飾について書かれた場所が一向に読み終わらない。

 アルスは紅茶が冷め切ってもなお、その手紙をしばらくの間眺め続けていた。

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