第15話 ユーフェミアの不安
昼食を終えると、アルスとユーフェミアの二人は応接室へと場所を移動した。
アルスは一人用のマホガニーの椅子を選び腰掛けた。
ゆったりとしたクッションに沈み、滑らかな手触りの枠木に触れると細く息をつく。
ユーフェミアは斜め前の長椅子に腰掛け、メリッサに飲み物を持ってくるように伝える。
メリッサは中央のテーブルに紅茶と菓子を準備し、壁際へと下がった。
応接室に飾られた、大きな風景画を眺めながら紅茶を飲んでいるとユーフェミアが声の調子を落として話し始めた。
「ところでお兄様は、叔父様の件はどれほど把握されていますか?」
叔父ということは王弟であるデルツベリー公爵の件だろう。
デルツベリー公爵は、アルスが城砦に帰ってくる前、国に叛意を持った疑いのもと投獄されていたという。
アルスはその事件のことについては、一般的に知られている知識——つまり新聞で読んだ程度しか把握していない。寄宿学校にいた頃の事件ということもあるが、そもそも公爵とは面識はあるものの親しかったわけでもない。
「最後は爵位を剥奪され、領地も取り上げられて追放されたとしか」
わざわざ話題にするユーフェミアの言葉に首を傾げながら答える。
ユーフェミアは、少し黙ると慎重に話しだした。
「——囚われた牢はこちらの城砦内の牢であったことはご存知でしたか」
「いいや。だがまあ、それなりの地位のある者を収容する場所としては不思議ではないな」
アルスは未だユーフェミアの話の意図が掴めないままだった。
「本来この件は、証拠が十分ではなくしばらくの謹慎程度で解放されるとされたものだったのです」
「随分と事が大きくなったんだな」
アルスは他人事の気持ちが拭えなかったが、眉をひそめ先を促す。
「ところがある日、叔父様は脱獄を図りました。そして、それが成功してしまった。すぐに見つかり捕まったのですが……」
ユーフェミアが迷うように言葉をいったん切り、紅茶を一口含んだ。
「牢を……抜け出した先で見つかった場所も悪かったようです」
「どこにいたんだ?」
「湖畔沿いの聖堂です」
ティーカップを口に近づけようとしたアルスの動きが一瞬とまる。
アルスの魔力暴走事故の起きた儀式の場所だ。
王は、事故以降この聖堂への自身以外の立ち入りを禁じている。
「見張りの人間もいたはずだろう」
「気絶させられていました」
「公爵がやったのか?」
「おそらくは違うでしょう。しかし中にいたのは叔父様一人だったと」
脱獄といい、聖堂への侵入といい、一人でできるものとは思えない。となると、協力者がいたということになる。
侵入した場所も場所であるがゆえ王が激怒したことを想像するのは難くなかった。
「捕まった公爵の様子は?」
「見つかったときは当人も意識がない状態だったようで……。その後問い詰めても記憶がないの一点張りだったそうです」
「その結果この追放処分か……」
アルスは処分までの経緯を理解し唸った。
ユーフェミアは、手元に目線を落とすと言いにくそうに口を開いた。
「お兄様は、この事件についての噂はご存知ですか?」
「……公爵をはめたという話か?」
現王妃、そしてユーフェミアの母であるイザベラの名は出さずに答える。
兵たちの間でも、イザベラの悪い噂は絶えない。
ユーフェミアは頷き言葉を続ける。
「お兄様の扱いはともかくとして、王位継承権をもつ男子は、叔父様の存在があります」
リンデル王国の王位継承についてはその血筋の長、そして男子優先である。
「私の弟ユージンは、母と王の間の息子ではありますが、ひとつの弱みとして、正当な儀式を通っていない件があります」
アルスの魔力暴走事故以降、儀式は行われていなかった。聖堂には誰も立ち入れない。
ユーフェミアはティーカップを持つ手をわずかに震わせる。
「そして、その条件をすでに満たしている叔父を追放に追い込んだと……」
アルスにとってのデルツベリー公爵の記憶は、権威主義で、使用人に罵声を浴びせていたこと以外にはなく、あまり良い印象のものではない。
同情する気持ちなどはないが、追放に至るまでの現実を聞くとぞっとするものがある。
不安げな表情を浮かべるユーフェミアをアルスは宥める。
「エフィ、証拠はなくて、あくまで噂なんだろう」
ユーフェミアは静かに頷いた。
アルスは紅茶を飲み干すと、カップをテーブルに置く。
メリッサが、すぐに追加の紅茶を注ぎに来る。
アルスは注がれた紅茶をじっと眺めた。
「……なあ、エフィ。俺と親しくしていてもいいのか?」
ユーフェミアからの答えはすぐに返ってこなかった。
アルスは気になって顔をあげ、ユーフェミアの方を見た。
ユーフェミアはどこか傷ついたように、青い瞳を揺らしていた。
アルスは動揺し、声をかけあぐねる。
その間にユーフェミアは一つ深呼吸をし、静かに紅茶を飲むと口を開いた。
「幸い母はユージンにばかりかまけており、私のことなど見向きもしないのは今も変わっておりません。私は昔から、シャーロット様とお兄様の方に親しみを持っておりましたし、もしかするとすでに娘とも思われていないかもしれませんね」
思いのほかきっぱりとした力強い口調でユーフェミアは宣言した。
アルスはそこで、自分が何か思い違いをしていることに気づいた。
「母はかつて、お兄様を表舞台から追放しました。しかしそれは決定的な出来事にはなっておりません。叔父様がいなくなった今、王太子であるユージンの立場を脅かす相手は強いていうとお兄様です」
ユーフェミアが手袋に包まれたその手を握りしめる。
「もしかすると私を使って懐柔しようとするか、悪ければ暗殺の一つでも頼まれるかもしれませんね。もちろんそんなこと私にできるはずもありませんが」
ユーフェミアは哀しげに目を伏せた。
アルスはようやくユーフェミアの不安の意味が理解できた。
ユーフェミアは常にアルスを守ることを一番に考えている。
ここまで気づかずに鈍感でいた自分を恥じたが、それでも、ユーフェミアの自分に対する思いの大きさには未だ理解が追いついていなかった。
アルスはかける言葉を探したが見つからない。
手持ち無沙汰に、既に十分すぎるほど飲んだ紅茶を口へ運び、唇を潤わせるとようやく声を掛ける。
「悪いな、難しい立場に置いているようだ」
「いいえ……お兄様のせいではありませんから」
ふわりと風でカーテンが膨らみ、その影が揺れた。
茶器が触れあう音が微かに響く。
「問題ありません。ユーフェミア様。暗殺など必要になれば私どもの方で実行しますので」
重い空気が流れているのをものともせずメリッサの冷静な声があっさり割り込む。
「おいおい、当人がいる場の給仕中にいうなよ」
アルスはぎょっとして思わず銀製の食具に変色がないか確認しながら苦情を言う。
「これは失礼しました」
メリッサはほんのりと薄笑いを浮かべて謝罪したが、目が笑っていないように見えた。
主人らの会話に割り込むなど、完璧な使用人のメリッサには珍しく禁忌を犯している。
それほどまでにユーフェミアの心のほうが大事なのだろう。
ユーフェミアがアルスにこだわっている以上、ユーフェミアの使用人達はアルスの味方なはずだ。
しかし、もしもユーフェミアの生命や立場が揺るがされることなどあれば——……。
(本当に始末されかねないな)
ユーフェミアのことはアルスなりに大切にしているつもりであるし、特に敵対する予定もない。
しかし、自身の人生を終わらせたくなければ、できるだけユーフェミアとの関係は良好に保つ必要があるらしい。
当のユーフェミアは冗談としか捉えていないようで、アルスとメリッサのやり取りにくすくすと笑っている。
ユーフェミアに笑顔が戻ったことにほっとし、アルスは二杯目の紅茶を飲み干した。




