第13話 同志
「お前が優秀で助かったよ」
大きく息をつき、吸い込んだ空気は雨の匂いが残っている。
アルスは、無事伯爵家への訪問を終えた帰路の馬車の中でぐったりしていた
「いいえ、それほど苦労はしませんでしたよ。さすがですね」
馬車の背後から、ジャックの張り上げた声が返ってくる。
ジャックは伯爵家の滞在中、疲れた様子も見せずアルスの側で的確に補助を続けた。
おかげで不備なく終われたので、是が非でもジャックに馬車の中で休んでもらいたいとも思ったのだが、当然断られた。
「……もう当分こういう仕事はいい」
ジャックの扱いといい、気疲れがひどい。
「立場上仕方ないですね。さあ、早く帰って今日はゆっくり休みましょう」
ジャックは馬車の後ろから弱音を吐くアルスを励ました。
「……雨止んでよかったな」
「そうですね。ただ足元はまだ悪い可能性があるので降りる際はお気をつけて」
伯爵家の到着直後に降り出した雨は、幸い滞在中に上がっていた。
移動の間、ジャックや御者が濡れることなく過ごせることにアルスは安堵した。
アルスは帰り道、揺れる車内でうとうとしていた。
「——————っああ⁉︎」
突然響き渡るジャックの悲鳴に、アルスは一瞬で覚醒する。
地面に重いものが落下したような鈍い音と、水が跳ねる音を聞き、アルスはジャックが馬車の後ろから落ちたことを察した。
咄嗟に剣を寄せる。
「ジャック、なにがあった⁉︎」
叫んだものの返事がない。
「止めます!」
御者が焦ったように叫び、少し先で馬車が止まる。
アルスは馬車の中から周りを見渡した。
背後の様子はわからなかったが、外は静かに草が触れ合う音しか聞こえず、目立つものも前方に一軒の古い民家くらいしか見えなかった。
しいていうと、農牧地帯のため、少し前から家畜の臭いが酷い。
前方よりがちゃがちゃと金属の触れ合う音がしたあと、御者が降りてくる様子が見えた。
アルスもすぐに扉を開け地面に飛び降りる。
「ジャック! どこだ!」
アルスは来た道を振り向いた。
王都も、その郊外も治安がいいとは言えない。
賊の襲撃など、最悪の想像もしながら転げ出てきたが、外に出ても変わった様子は見られない。
「ジャック!」
馬車から少し離れた背後で、一人泥をかぶり座り込んでいるジャックを見つけた。
ジャックの近くで御者がおろおろしている。
他には人は見当たらない。
伯爵家の滞在中に降った雨により、あたりは一面ぬかるんでおり、所々に大きな水たまりがあった。
足元に注意して近づいていくと、道の横の木枠の用水路の様子がおかしい。
どうやら、ごみや草が詰まり土が崩れて堰き止められた結果、ただでさえ足場の悪い道が水浸しとなったようだ。
まだ泥水が浅く滞留している。
道の脇に盛られている土と糞を混ぜた肥料の山は、雨と溢れた用水路の水で浸食され、崩れていた。
ジャックは、その塊の中で呆然と動けずにいる。
「申し訳ありません、ぬかるみを避けようとした際に少し後部が振り回されてしまったようで……」
御者が申し訳なさそうに説明をする。
アルスは近づき、いまだ立ち直れていない様子のジャックに手を差し出す。
「立てるか?」
ジャックは、丈の長い上着の背面を中心に泥だらけになっており、耳元の緑の石のはまった耳飾りだけが状態にそぐわず目立っている。
「……いえ、すみません、大丈夫です。あの、汚れるんで離れてもらっていいですか。臭いも酷いですし」
ばつの悪そうに目を背けながらジャックは一人で立ち上がった。
「落ちただけなんで。すみません」
ジャックは急いで水たまりを跨ぎ、ぬかるんだ地面からぬけだし馬車の方へと戻ろうする。
——が、泥まみれの地面に足がもつれて倒れ込んだ。
「——おい!?」
アルスは咄嗟にジャックの腕を掴む。
しかし、足元が悪い上に、アルスよりも長身のジャックの体を支えきれない。
アルスは巻き込まれ、倒れかけた体を支えようと手をつく。
ばしゃりと眼前で泥がはね、顔に冷たく不快な感触が飛んできた。
「——ッ! 申し訳ありません、アルス様まで巻き込んでしまって……」
ジャックは俯き、再び座り込む。
幸い、アルスはジャックのように全身が泥まみれになるのは避けられた。
それでも、手をついた右手や体の前面は泥飛沫にまみれている。
顔の不快な泥を袖で拭うその横で、ジャックは道の脇にある草を見ながらのろのろと話し始めた。
「すみません。ちょっと居眠りしてしまって……それで落ちただけです」
アルスは、口にまで入ってしまった泥に顔をしかめ、地面に吐き出した。
「——ああ、俺もしていた。訓練の後の仕事で長い移動時間はこたえる。しかもお前は俺の何倍も働き、後ろでずっと立っているだろう」
「……仕事なんで」
顔を背けたまま強情に言い張るジャックへ、アルスは強い口調で言い放つ。
「ジャック。いいから、中に乗れよ。話し相手が欲しいんだ。命令とでも言えば納得するのか?」
「こんなに泥だらけになって余計にできませんよ」
「俺の顔を見てそれをいうか? 泥だらけなのは一緒だ。汚れがひどいのは上着だろう。さっさと脱いで丸めておけ。『ダートの子らよ。同志を助け、同志を受け入れよ』だろ?」
ジャックは、アルスの言葉にはっと反応する。
「なん……」
ようやく顔を上げたジャックは、途端、顔が引き攣った。
「……確かにその顔は、やばいですね」
ジャックがぼそりと呟いた。
「そんなにか」
「ええ」
少しの間の後、再びやみくもに顔をこすろうとするアルスを、ジャックは慌てて止めた。
服で自分の手の汚れを落としたジャックは、懐のポケットからハンカチを取り出す。
「……ん……ぐっ」
アルスは、されるがままに鼻の頭をぐりぐりと拭われる。
その顔を見てジャックの肩が徐々に震えてきた。
「これが……この国の王子って……」
たまらずふき出したジャックに、アルスは無愛想に返す。
「途中までしか王族らしい教育受けてないんだぞ。らしさを求めるのは、勘弁してくれ」
「いや、そんな堂々と言われるとどう返していいか」
「そこは笑っておけよ」
アルスはがりがりと頭をかきながら、そっぽを向いた。
ため息をつき、馬車の方へと歩き出す。
「……あの!」
ジャックから呼びとめられ、振り向く。
「……私、ダートの……寄宿学校出身って言ってませんよね?」
先ほどジャックにかけた言葉は、卒業してまでも結束の強い寄宿学校生に向けた格言の一つだ。
アルスは素直に白状する。
「寄宿学校出身者には独特の訛りが出るって知らないのか? 意図があって黙っていると思ったから、これまで指摘しなかっただけだ」
アルスはジャックと生活を共にし始めた頃から、彼が同じ学校の出身者であることに気づいていた。
寄宿学校に入ると言葉遣いを徹底的に仕込まれる。
十代の若い時分に口煩く矯正された発音は、時間が経っても残るものだ。
「従者と同じ学校出身だなんて一種の屈辱ではないかと思って……」
ジャックの言い訳が尻すぼみに消えていく。
「俺は気にしない」
アルスはきっぱりと言い切り、再び歩き出す。
「さあ、そろそろ行こう。移動中、泥だらけになった言い訳を一緒に考えてくれ。誰かに指摘されたときそのまま報告するのは格好悪い。というか何より臭い」
傍に控えていた御者に合図をすると、アルスは泥の飛び散った上着を脱いだ。
それを先ほどまでジャックが立っていた台へと結びつける。
ジャックも一瞬躊躇ったものの同じように続き、慌ててアルスの後を追い、馬車へと乗り込む。
アルスは安堵しわずかに口元が緩んだが、それを悟られぬよう顔を背ける。
窓の外を眺め再び馬車が動き出すのを待った。
結局、アルスとジャックは少し会話を交わした後、そのまま言い訳を考えるまもなく眠りこけてしまった。
リブラル城到着時、泥と臭いの残る自分たちを迎え入れたブライアンが顔をしかめていた。
しどろもどろに誤魔化したが、二人でこっそり顔を見合わせ笑った。




