第12話 従者の仕事
アルスがリブラル城での生活を始めてひと月が過ぎた。
従者であるジャックは、アルスの日々の生活の補助をそつなくこなした。
加えて兵団の仕事もあったが、アルスの執務中や休息の時間であったり、従者としての仕事を終えた夜間に行っていた。
アルスは表舞台から遠ざかっている分、表立って人と接する機会は少ない。
他家への訪問や人の歓待という煩わしい仕事が殆ど発生しないため、ジャックを常に連れ回す必要がなかった。
その日は珍しく、アルスが王都ログスティリアの街外れにある貴族の邸宅へ訪問する予定が組まれていた。
アルスは普段、執務として城や兵団の管理はもちろん、リブラル城特有の仕事として図書の管理の職務もこなしている。
これまで、その仕事のほとんどは書類の確認や手紙の返信などで済んでいた。
元から職務を担っていた事務員もおり、来客も彼らや使用人で対応するため、特に問題はない。
しかし今回は特別だった。
ある伯爵家が、王都にある別邸を引き払うこととなったようで、そこで保管していた本を寄贈したいと申し出てきた。
話は文書でまとまっていたが、相手が先代の王と親交の深かった伯爵家なだけに礼を紙一枚で済ませることはできなかった。
今の城主であるアルス自ら挨拶に向かう必要があったのだ。
「おはようジャック。午後の外出の件はすまないが、よろしく頼む。社交はあまり慣れないんだ」
寝室のカーテンと窓を開け放つ、ジャックの後ろ姿にベッドの上に座ったまま声をかけた。
夏の朝の涼やかな空気が部屋を抜ける。
「もちろんです。午前中は、兵団の方に顔を出しますよね。そのあと早めに昼食をとり、ここを出ましょう」
「ありがとう」
開放された窓から眩しいほどの明かりが漏れ、ウォルナット製の重厚な家具にも薄く反射している。
ジャックは手際良く朝食と紅茶、新聞をベッドの上のアルスの前に並べていく。
昨日はアルスの就寝準備を手伝った後、兵団の任務に就いたはずだった。
しかし、今朝もジャックは人任せにせず、従者の仕事を始めている。
アルスは心配になってジャックに声をかけた。
「ジャック、あまり無理はするなよ。兵団の仕事もある程度免除されているはずだろう」
「大丈夫ですよ。今までに比べれば楽なもんですよ。基本的に、周りに指示を与えているだけなので無理はしていません」
ジャックは清々しい笑顔で返す。寝起きのアルスにとっては窓の外の朝の日差しを見るより眩しい思いだった。
「……そうか。まあ、それならいいが」
まだ頭がぼんやりしたままのアルスはあくびを噛み殺しながらパンを齧り、新聞へと目を落とした。
王家が絡んだ記事は嫌でも目に入る。
現王妃、イザベラの実家であるオブライエン家が、声高にメルトへの軍の追加派遣を要求しているらしい。
オブライエン家はメルトを領地として支配し、議員として成り上がった家だったはずだ。
アルスはジャックを横目で見た。
既にアルスの着替えの準備をしている。
「訓練着程度なら自分で着替える。もう行っていいぞ」
「はい。では、また訓練前に迎えにきますね」
ジャックも、初めのころは着替えの補助を断るアルスに渋い顔を見せていたが、訓練時に着る軽装程度の着替えに限ってはあまりうるさく言わなくなった。
これからアルスが着る服や必要な小物類を椅子と壁際のテーブルにわかりやすく広げ、扉から出ていく。
「朝から溌剌としていてすごいな……」
ジャックの乱れのない服装や、無駄のない所作をみると、アルスは自分が随分と堕落した人間に思えた。
しばらくして戻ってきたジャックは、当たり前のようにアルスの服と髪のはねを整えなおし、持ち物を確認すると訓練場所へと先導した。
* * *
兵を指導する鬼教官ブライアンの訓練の怒鳴り声から抜け出せず、想定より午前の予定が長引いた。
アルスとジャックは急いで着替えると、リブラル城の外で待たせていた馬車へと向かう。アルスは御者に声をかけたあと、ジャックに扉をあけてもらい、中へと乗り込んだ。
ところがその後ろからついてくるものと思ったジャックが馬車の扉を閉める。
「ジャック? どうした乗らないのか?」
アルスは慌てて扉を開け、馬車の後ろの方へ回り込もうとしているジャックを呼び止めた。
「私の立場上、共に中へ乗り込むつもりはありません。今回は御者台の横に空きがないので、馬車の後ろの台に立ち、捕まって移動します」
アルスは困惑して、ジャックに共に中へと乗り込むように伝えたが、ジャックは頑なに拒否する。
「ギブソンも乗ったぞ? それに昔母と一緒に出かけた時は付き添いの先生も共に乗り込んでいた。従者が外である必要もないんじゃないのか」
「ギブソン団長は、軍の幹部としてアルス様の案内をされているのですから問題はないでしょう。その先生も当時まだ幼い年齢であるアルス様の世話係という名目で乗られていたのではないですか」
「お前だって将校だろう。従僕ですらない。そばで控えるのが仕事じゃないのか」
「私はアルス様の従者です。今回従僕も付き従わないのでその役割も果たさねばなりません」
アルスはジャックの意図がわかりぞっとした。
馬車の外で男性使用人を見せびらかすことを目的としている。
そもそも将校であるジャック自身にとって屈辱は感じないのか。
「権威を示すなんて求めてない」
「アルス様、これがあなたの役割なのですよ」
真剣な顔をしてジャックがじっと見つめてくる。
職務の遂行に忠実な性格だということは嫌というほど感じていた。
ジャックの譲らぬ姿勢にアルスが折れるしかない。
「……わかった。だがジャック、あまり無理はするなよ」
「問題ありません。普通のことですよ」
ジャックは微笑み、馬車の扉を再び閉めた。




