第95話 かけられた毛布
何が起きているのか、整理などすぐにつくものではない。
ディレアは、アルスとテッドが出ていった扉を見つめたまましばらくの間動けなかった。
「クソ……ッ!」
しんと静まる室内で、クロードが近くの椅子を蹴り飛ばす。
幸いそれ以降、クロードが暴れ倒すことはなかった。
苛立ちを発散するように吠えたあと、カウンターの奥へ消えていく。
少し間の後、戸の閉まる激しい音が聞こえた。
残されたディレアは一層身の置き場に困ってしまう。
(とりあえず、本物なのよね……?)
店の中心に佇み、未だ入り口へ気を向けるマシュー・レイヴィー。
そして、我関せずといった態度で飲酒を再開したガルブレイスの様子をそっと窺う。
突然現れたガルブレイスと反乱軍との繋がりなど、寝耳に水だ。
それなりに修羅場を超えてきた自負はあるものの、ディレアの動揺は激しい。
「作戦失敗か? 一昨日から店の近くで張った甲斐もねえな。思ったより早く王子様がきてくれたのは助かったが」
ガルブレイスの発言にかっと頭が沸騰する。
そんな気はしていた。だが、これで決定的だった。
この来訪は偶然ではなかった。
目的は、はっきりとアルスだったのだ。
「近くで張ってたってあんた――」
「しもたぁー! お忍びってここにいる仲間にも正体話してなかったがかー! 土産話どころか、こりゃ嫌われたかのう」
頭を抱え、大袈裟な身振りで騒ぎはじめたのはマシュー・レイヴィーだった。
「え……?」
戸惑うディレアをよそに、ガルブレイスが肩を震わせ、堪えきれずに笑い出す。
「まあ、ただの正体暴きに来た危ない野郎としか思われてねえな。お忍びなら、自分の身分隠しててもおかしくはなかっただろ」
「わしが昔街へ降りた時は、堂々と伝えても問題なかったがじゃ」
「お前……そりゃお前はそうだろうな。皆がお前みたいな、人類皆兄弟、全開放的な性格と思うなよ」
展開される会話の応酬に、ディレアは、抱えた怒りの行先をなくした。
想像していた雰囲気と、あまりに違う。
あっけに取られるディレアの表情を目にして、ガルブレイスが口元を皮肉気に歪めた。
「驚いたか。これが今世間を賑わせてる反乱軍の頭だ。その実態はちょっと顔がいい程度の田舎者の阿呆だよ。ああ、あと――」
「いやあ、酒場のお嬢さん、ロバートから話はきいちょったけんど美人じゃなあ。急に来て慌てさせてしもうたが、今度またゆっくり茶でも……おっと」
勢いよくなぎ払われたガルブレイスの腕を避け、レイヴィーが首をすくめる。
ガルブレイスは呆れを露骨に表し、ため息をついた。
「この男、相当な女好きだから気をつけろ。……お前、誰彼構わず口説こうとするな。嫁も子供もいるくせに、いつまでも浮ついてんじゃねえよ」
「はあ……」
深刻な事態なのだが、彼らのくだらないやり取りに力が抜ける。
単純に二人を敵とみなして外へ放り出すのも違う気がした。
なんだかんだ、長年共に過ごした仲であるガルブレイスへの信頼も残っている。
二人は今朝からまともな食事をとっていないという。
食べ物を準備してやると、レイヴィーが無邪気な笑顔でパンを頬張った。
ベーコンやチーズ数切れを添えた程度の簡素なものを提供しただけだが、その表情はまさに幸せそうの一言だ。
(反乱軍の長なんてもっと硬派でぴりぴりしてるのかと思ってたけど……)
目の前にいる本人は、人好きのする親しみやすさに溢れている。
歳は四十代そこそこのようだが、顔の造形もやけに整っており、新聞に載る肖像画で婦人たちがこっそり頬を染めているという噂も納得だった。
思い込みが危険とわかっていても、自分の警戒心が否応なしに薄められるのを感じる。
「で? てめえはほんとに青髪の正体気づいてなかったのか? 腕落ちたな」
このガルブレイスという男は、いちいち皮肉を言わずにはいられないのだろうか。
「うっさいわね! 大体関係者であることまでは把握してたし、途中で調査やめただけよ! わざわざ人と仲良くなるときに調べ上げるだなんて、普通じゃないでしょ」
「普通ねえ……普通の暮らししたいなら俺に連絡なんてよこすのが悪い」
残念ながら一理ある。
この二人に、アルスの存在を探し当てられたのは、自分が導いてしまったところもありそうだ。
とはいえガルブレイスの言葉を殊勝な態度で受け入れることもできず、ばつの悪さを誤魔化すように睨みつける。
「あんたこそなんなのよ。どこにも属さない一匹狼気取ってたくせに今更反乱軍? 本気?」
「なっ! てめ、誰のせいだと……。おまえがあの双子のガキども押し付けてきやがったからこんなことになっ――」
「え……?」
言うつもりはなかったのだろう。
ガルブレイスはしまったとばかりに口を抑え、苦々しげに顔を背けた。
「……っ! ちっ! 親切なんてするもんじゃねえ」
近くでレイヴィーが、ガルブレイスの肩を叩き、含み笑いを漏らし出す。
「わしゃー助かったぞ! おまんもそうじゃろ? え? いい言い訳ができて」
「調子に乗んなてめえ」
唸りを上げるように凄んだガルブレイスは、拳で机を殴った。
ディレアが視線で訴え、ガルブレイスへ説明を求めるが、当然無視される。
代わりにレイヴィーが軽快に語り始めた。
「双子の兄弟の行き先世話したんはわしじゃー」
「えっ!?」
「まえからロバートが欲しくて勧誘しちょったが、珍しく頼み事なんぞしてきたもんで、仲間になるならと条件出したんじゃ」
「おい……いい加減にしろよ。これ以上余計なこと話すと置いていく」
ガルブレイスがさらに声を低くして、吐き捨てた。
「そりゃ困る。おまんに護衛してもらわにゃ、わしはすぐ捕まって八つ裂きの刑じゃー」
二人の他愛のない話を耳にするなか、ディレアは急に心細さを感じ始めていた。
クロードは引きこもったままであるし、アルスと共に飛び出して行ったテッドはいつ戻るのだろうか。
窓の外は真っ暗なせいですぐに気づかなかったが、雨音はすでにない。
ディレアの視線に気付き、レイヴィーが中身の少なくなった酒を一気に煽った。
「さてと、出て行った二人が戻ってくることはなさそうじゃなあ。雨も止んできたしそろそろ行くかの」
もとの浮浪者のような格好へ戻るレイヴィーに従い、ガルブレイスも立ち上がる。
「おい、目的もなくふらふら連れ回されるのは御免だからな。これからどうするか決まってんのか?」
「どうにもこうにも、王子様にフラれた以上、次の手を打つしかないきぃ。やることはこじゃんとある」
「……お前またその顔の裏で、えげつないこと考えてんじゃねえだろうな」
のらりくらりとした会話は、気が抜けるが彼らの置かれた立場は当然重い。
ふざけているようで、二人のこれからの行動はこの国の動向にもかかわるはずだ。
この場で起きた、実感の持てない事の大きさに、不安が再びにじり寄る。
「おお、そうやった。もしここにアルス殿下が戻ってきたら知らせが欲しい」
最後に残されたレイヴィーの頼みに、ディレアは返事ができなかった。
アルスとは、もう二度と会えないかもしれない。
再び会えたところで、ディレアはアルスを裏切るような真似はしたくない。
「まだ諦めてねえのか。あんまり追い詰めていじめんなよ。確かにあの青髪王子、美人だったが、しつこい男はますます嫌われる」
口を挟むガルブレイスの背中を見て、ディレアは一層気持ちが弱くなる。
ガルブレイスは、きっと、ディレアの暗い表情に気づいて軽口を叩いた。
こういうところがあるからこの男への信頼を捨て切れないのだ。
レイヴィーの方も、黙り込むディレアを気遣うように、作り物の髪と髭に埋もれる顔の奥でさっぱりと笑った。
「無理には言わん。こっちはそのつもりというだけじゃー。判断は、おんしや本人に任す」
* * *
ディレアはいつの間にか店の机に突っ伏して寝てしまっていた。
暖炉のそばにいたものの、既に熾火の多くが灰となり、部屋が冷えこんでいる。
はっと起き上がると、肩から毛布が滑り落ちた。
瞬間、どきりと心臓がはねる。
クロードはこのような気の利く行為などしない。
これはテッドに違いない。
いつ帰ってきたのだろう。
ガルブレイスたちが去った後、ディレア一人となり、不安は増すばかりで息苦しく耐えきれなかった。
テッドがもしまだ起きているなら——できれば起こしてでも、情報を共有しておきたい。
話したい。一言でもいい。
もしくは、その気配を感じるだけでも。
テッドに貸している部屋は二階だ。
階段を登ると、廊下には月の光が差し込んでおり、眩しさに目を細める。
空の雲もすっきりはしないものの、ゆったりと流れ、雨はとうに上がりきっていた。
とても静かな夜だ。
歩みに合わせて足元が軋むのが、耳に響くほどだった。
(開いてる……?)
部屋の前に行くと、完全に閉まり切っていない扉の隙間が目についた。
直感だった。
躊躇いを捨て、ディレアは取手を掴み勢いよく開け放つ。
そこはテッドの部屋だった。
怪し気な本や資料に埋もれ、よくわからない器具と生活感あふれる道具が散らばる机。
そう記憶している。
淡い月明かりが照らす床には、ただの紙切れ一つ落ちておらず、備え付けのベッドも綺麗すぎるほど整っていた。
そこには何も残っていなかった。
呆然と立ち尽くすうち、下ろした拳は震えだし、唇がわななく。
「か……書き置きくらい残しなさいよ……!」
かけられた毛布は優しさではなかった。
冷静に考え、ディレアは気づく。
あんなところで寝ていたのなら、本来揺さぶり起こして、声をかけるべきなのだ。
彼は、ディレアへ別れの言葉すら告げる気がなかった。
ディレアは、皺一つないベッドへ身を投げ出した。
ぼんやりと天井を眺め、気持ちを落ち着けようとゆっくり息を吐く。
世の中に漂う不穏さが、こんな形で自分の身に降りかかるなんて思っていなかった。
一体今、何が起きているのか。
普通の生活を求め、都合のいい場所に身を置いたつもりで、中途半端な生きかたをした結果なのだろうか。
急に訪れて場を荒らしたガルブレイスを恨むべきか。
それとも、理由もわからず黙って出て行く、薄情なテッドに怒りを向けるべきか。
全てのきっかけを作ってしまったであろう自分を責めるべきなのか。
答えのない問いかけが延々と頭の中を巡りつづけ、絞られるように胸が詰まる。
「もう、なんなのよ……」
鼻の奥がつんと熱くなるが、腹立たしくともそれを止められない。
ディレアは仰向けのまま、庇うように、片腕で顔を覆った。
瞼を塞ぐ肘元に、生ぬるく湿った感触がじわりと広がっていく。
ディレアはきっと今起きていることの当事者ではない。
それでも、今後始まる日常が違ったものになるのは理不尽だと思った。




