第94話 伝言
激しく叩かれたノッカーは、パトリックの耳にも届いていた。
普段より酷い雨だ。アルスの帰りの遅さに、気を揉んでいたこともあり、一気に心がざわつく。
執事が急いで扉を開けようとする背中を追いかけ、パトリックはじっと玄関を見つめた。
慌てたように一歩退く執事がいたその場所へ、雪崩れ込んできた影は二つだった。
「おい! 何があった!?」
体を拭く布を取りに、奥へ下がった執事と入れ替わりで、二人へ近寄る。
アルスと、彼が王都で関わっていた男――テッド・ブラックストンだ。
どちらも全身が濡れそぼり、息遣いが荒い。
特にアルスの方は、力なく壁に手をついたまま青ざめ、息も絶え絶えだ。
パトリックはアルスの肩を支えたが、彼は顔を背け、俯いたままでとても会話できる状態に見えなかった。
アルスの代わりに、テッドが硬い声音で伝えてくる。
「彼を着替えさせて、早く城へ戻すんだ」
「城……?」
パトリックは眉を顰め、テッドの顔をまじまじと見た。
それは、彼の口から出てくるはずの言葉ではない。
戻ってきた執事へアルスを託す。
「おい、爺、こいつ連れてけ。着替えと熱い茶を二人分準備しろ! あと――」
「オレはいい。状況を説明したらすぐに出るから、このまま聞いて欲しい」
テッドが、パトリックの指示へ割り込んだ。
執事とアルスが隣室へ去ったのを見届けて、テッドが話を再開する。
「周りに人は?」
「……いない、俺だけだ。とりあえず、顔くらい拭けよ。あんたも冷静じゃなさそうだ」
執事が用意した麻布を、テッドへ手渡した。
「――で? 何があったんだ。単純に傘を忘れたって訳じゃないだろ?」
軽口を挟むが、テッドは反応しなかった。
印象からすると、彼は和やかで人当たりのいい青年だったはずだ。
しかし今は、緊迫した気配を漂わせている。
テッドは、体から滴る水を、乱暴に布で拭い去ると、淡々と説明を始めた。
「……酒場で、マシュー・レイヴィーを名乗る男が接触してきた。そこで彼の身元がばらされた」
「マシュー・レイヴィー……って、反乱軍のか! それは確かなのか!?」
「おそらく。紙面で見る画そのものだったし、偽物が現れたにしては手が込んでる」
「と、とりあえず、軍か王都警察に知らせた方が……」
「やめた方がいい。今、王は南部との境界付近へ向かって不在だったはずだ。その間にこの王都で、不遇の王子と反乱軍との密会だなんて、話がどう捻じ曲げられるか堪ったものじゃない」
もっともな判断な気もする。だが——。
(この男、状況の把握が早くないか……? さっきアルスの素性を知ったばかりなんだよな?)
アルスの街での活動と、彼の置かれている立場。どちらも一番よく理解しているのは自分であるはずだ。
その自分ですら、あまりの出来事に混乱しているのだ。
目の前の男への不信感が膨らみ、追及しようと口を開く。
だが、先に話し始めたのはテッドだった。
「それより、護衛はどこにいる?」
「は?」
「店の外。窓の近くで人の気配がした。今更惚けるのはよせ! 君が、少し前から彼に監視をつけてたんだろ!?」
激しい語気に気押され、パトリックは唇を震わせながら必死に返す。
「……っ! 今日は……! 手配間に合わなかったんだ。あいつ急に来やがって。すぐに戻るって話だったし、半日くらいは構わないかと」
「敵の可能性もあるのか……しまったな、油断した」
本人にすら伏せていた護衛の件だが、テッドには把握されていたらしい。
驚きはあるが、一つの疑念は払拭される。
いらいらと余裕なく焦るテッドの態度は本物だ。
少なくとも本気でアルスのことを心配しているようにみえる。
それを理解すると、パトリックは無性に悔しさを覚えて、つい吐露する。
「俺の落ち度だ。状況を楽観的に見て、こんな時期にあいつの気持ちを優先させすぎたんだ」
「……君のせいじゃない」
静かに慰めを口にしたテッドが浮かべていたのは、苦しげな微笑だった。
パトリックの中で大きな戸惑いが駆け巡る。
この青年の、悲痛な表情の意味を捉えきれない。
「あんたのせいでも、ない、だろ?」
そう返すと同時に思い出す。
今言うべきことなのか、わからなかった。
しかし、無関係じゃない気がした。
自分でも制御しきれない緊張が走り、どくりと動悸が響く。
「なあ……あんた。初対面の時に言ったこと覚えてるか? あんたに会ったことがある気がするって」
パトリックは、恐る恐る、慎重に話しながらテッドの顔色を窺う。
「思い出したんだ。会ったことがあるんじゃなくて、あんたの名前を知っていたんだ、あんた、この――」
テッドが手を、パトリックの眼前にかざし、話を止めた。
「まいったな。正直に名を使い回して失敗したのはオレも一緒か」
疲れたようにため息をつくと、テッドは雫の残る髪をかき上げた。
「伝言を頼まれてくれるかな。あの子に、伝えておいてほしい。『近い内、必ず会いに行く。それまで待ってて』って」
テッドの手元にあった麻布が、パトリックへ放られる。玄関の扉が開き、冷たい風が吹き込んだ。
「お、おい待て、傘くらい……!」
パトリックの静止も聞かず、テッドは再び雨の続く闇夜へと消えてしまった。




