第84話 テッドとシルビ
「生きてたのか。むしろくたばれクソババア」
「あんたまだそんな低俗な口きいてんの? いつまでガキなのよ」
一体今の自分の何を知っているというのか。
テッドは先を行く女性――シルビに苛立ちながら、歩みを早めて隣へと追いついた。
不意に現れる人影がちらつく霧がかった街の中、彼女はずんずんとお構いなしに進んでいく。
はぐれると面倒だ。
「だいたいお前150年ぶりじゃなくて、41年前に一回会ってるだろ、ギニファで。その前も96年前に会った記録が――」
「あんた細かい。どうだっていいわ」
すぐさま遮ってきたシルビに、テッドは舌打ちした。
過ぎた時間は、その分だけ自分を大人になどしてくれないようだ。
川沿いから離れた、古い教会裏の一角に差し掛かる。
奥に進めば行き止まりだ。
山と盛られた土砂と、ぼろぼろに崩れた煉瓦の塊の隙間を歩くが足元が悪い。
放置されていた荷車を見つけたシルビが、その縁に堂々と腰掛け、木が軋む。
空気は震えるほど体を冷やしてくるが、彼女はまるで暖炉の前でくつろぐ姿と変わらなかった。
シルビは金属製の薄い小箱を取り出すと、細指を艶やかに滑らせ、選んだ紙巻煙草を朱に染まる唇へと持っていく。
そのまま少し離れた場所に立つテッドへ、煙草入れを差し出した。
乱暴に一本を引き抜くテッドの目の端では、シルビが既に紫煙を漂わせ始めている。
マッチを使うこともなければ、魔石にも触れぬまま。
テッドも同じように、咥えた煙草の先端へ意識を向けて火を灯す。
「っっ、グッッ」
げほりと咳き込む。
口の中に留めて軽くふかすつもりが、重い煙を深く吸い込んでしまった。
「だっっさッ!」
「……今はほとんど吸わないんだよ」
「一時期、葉巻やら煙管やら散々吸ってたじゃない。どこぞの馬鹿を真似して」
「あいつの真似じゃねえ」
立ち昇る煙草の香りと共に、強調された「馬鹿」の単語から一人の男の顔が脳裏によぎる。
――単純馬鹿な煙草中毒者に、優しそうで毒舌な物識り眼鏡と、おまけで騒々しいだけの生意気な小娘。
孤児だった自分を拾った仲間について、ディレアへ説明に使った言葉。
騒々しいだけの生意気な小娘が、途方もない年齢を重ねて目の前にいる。
「お前、あんなとこで正体バラそうとするんじゃねえよ」
「はあ? なんのこと」
「秘密バラすって脅してきただろ」
「……あんた馬鹿なの?」
シルビは憎たらしいほどに鼻につく言い方をする。
「こいつ古代人なんですーぅ。……なんて話信じる奴、そうそういるわけないじゃない。そもそもそれ納得されたら私も巻き添い喰らうし」
一理ある。あるだけに不機嫌さが一層増す。
正直なところ不意に現れたシルビの存在に慌て過ぎていた。
残してきた三人の戸惑いには気づいていたが、あえて取り繕う気分になれなかった。
シルビが、紙巻煙草を挟んだ指をテッドへ向け、煙を口から漏らしながら、にやつきだす。
「あんた秘密って、そんな秘密じゃなくてさあ、つまりあれよ、あの日の――……」
続くシルビの言葉を耳にする。
テッドはその瞬間から自分の顔がみるみる青ざめていくのがわかった。
シルビが持ち出したのは、過去、テッドが勢いでしでかした出来事だった。
若気の至りというやつだろうか。
別段語るほどのことでもないが、決して思い出したい話題ではない。
「最ッ悪だ!」
「でしょ。ま、どうでもいい話だったわ」
この女の存在からして、丸ごと吐き気を及ぼす悪夢だ。
今すぐ忘れてしまいたい。
「ところであんた、ちゃんと認識阻害の機能維持してんの?」
テッドにとって、答えたくない指摘だった。
話題から逃げるように、黙って煙草を口元へ近づけたが、観念して小さく言い捨てる。
「あれ、苦手なんだよ。常に魔力消費するし疲れる……」
「あんた昔っから常駐系下手くそよね。興奮するとすぐに擬態も解除してるし、派手な能力ばっかり目を向けて制御が雑なのよ」
「るせ……。ちゃんと気をつけてるよ。大体、なんかバレたら最悪消せばいいだろ」
「うっわ、野蛮! もう時代が違うのよ。そうそう人殺しも簡単じゃないんだから」
即応性の強まる情報が行き交うこの時代では、不用意な行動が身を滅ぼしかねないのは理解している。
「人殺しって意味じゃねえ。記憶を消せばって話だろ」
「記憶消せばって、それこそそんな気楽なもんじゃないでしょ。消すんじゃなくて移植だし。高熱出るし、酷い悪夢みるし。いやよあれ、私二度とやりたくない」
拒否反応による高熱と、保存情報の最適化が走ることによる悪夢。
いちいち言われずともわかりきっていることを、畳み掛けてくるのが煩わしい。
いい加減この場を立ち去りたくなったが、テッドはようやくシルビが先ほどから不自然なほどに饒舌に喋り続けていることに気づいた。
紙巻煙草を持つ指先が僅かに震えて見えるのは寒さのせいなのか。
テッドは、シルビを荷車ごと見下ろした。
そろそろ本題に入らなければならない。
「――なあ、シルビ」
突風が、静かに降り出した小雨と共に緋色の髪を舞い上げた。
露わになった彼女の表情は、笑いながらも泣きそうに歪んでいた。
「あいつ……キューマ、死んだって、ほんとなの?」
「今更」
「だって……信じられない。誰よりも強かった。あいつはあたし達古代人の中でも特別強かった、信じられるわけないじゃない」
その葛藤など、すでにテッドは何度自身へ問いかけ続けたことか。
それでも事実は変わらない。
「知ってるだろ? あれは馬鹿な男だって。……力が半減してたんだ。子供が生まれていた。現代人との間に」
目を見開いたシルビは、額を抑え、崩れ落ちるように俯く。
「ああ……そう。つまり、同じことしたんだ。ユウトが私にしたことと」
魔法文明の崩壊とともに壊滅したのは、現代では古代人とされる新しい人間たちだ。
進化した新しい人間と原型人はもはや種族として別物だった。
似通いながらも、中途半端に差異のある“ヒト”の性能。
両者が交わった結果、生まれる子供の強い魔力に対して耐え切れる身体はない。
ましてや設備の整っていない現代ではやれることに限界がある。
「キューマも死んだ。ユウトも死んだ。かつての古代文明の事情を知る奴なんてもういない。残ったのは現地育ちのオレたちだけだ」
「ユウトは死んでない!」
「まだお前そういうこと言ってんのか。状況的にどう考えても死んでる」
かつて、敵から自分たちを逃がすために犠牲になった親代わりの恩人がいた。シルビは初めから「彼」にずっと執着していた。
たまに辛辣で、笑顔の絶えない「彼」の眼鏡の奥の瞳は、最後に別れる瞬間まで優しかったことを、テッド自身はっきり覚えている。
「お前まさか、ずっとユウトを探し回ってるのか? 世界中」
「だったらなんだっていうの。無駄だとかいうわけ? どうせ一ヶ所にとどまってられない。時間だってこれだけある。好きに生きるわ。あんたもそうでしょ!」
ぎりぎりと歯軋りをするかのように喚き、シルビは煙草を投げ捨てる。
「ねえ、あんたは一体何年この国に留まってるわけ? 定住して、人と関わって馬鹿じゃないの。まさか深くはいりこんでないでしょうね」
「一時的だ。失せ物を拾い終わって問題が解決すれば出ていく。約束を果たす程度の義理はある」
「約束……? 何それ、キューマがなにか残したの……?」
戸惑いから眉を顰めたシルビを前にして、テッドは苦々しさの混じる曖昧な笑みを浮かべた。
正解とも言えるし、違うとも言える。
明確に答えをよこさず自嘲気味に声を落とす。
「……どいつもこいつも託してくる。長く生きるって面倒だよな」
「それは同感。あんたに同意するのも癪だけど」
シルビはいつのまに落ち着いたのか、煙草をもう一本取り出し、ため息のように煙を吐いた。
小雨は、辺りをじんわりと湿らせただけですぐに上がっていた。
テッドはシルビと、いくつか情報共有としての会話を交わしたが、それも二本目の煙草が燃え尽きる前に終わった。
シルビは立ち去った。
丁寧に別れを惜しむ間柄ではない。
次いつ会うともわからないが、誰よりも付き合いの長い女だ。
「……ったく、クソババア」
テッドは、吸っていた紙巻煙草をみしりとへし折る。
背後へ放り出された煙草は、小さな炎に包まれ一瞬赤々と光ったが、そのまま地に着くことなく灰として風に散らされた。




