第82話 地下鉄道
「重い……」
「そりゃこんだけブリキ缶持たされてりゃな」
「暗いし煙臭い……」
「そりゃあ、ここ地下鉄道だからねえ」
アルスがぼそりとつぶやく不平を、クロードとテッドが拾い上げる。
周囲を取り囲む黒く煤けた煉瓦の壁を横目に、男三人はとぼとぼ歩く。
対して、前をゆくディレアの足取りは踊るように軽い。
彼女自身もそれなりに荷物は抱え込んでいるはずなのだが。
「こんなにたくさんの缶詰、好きに持ち帰らせてくれるなんて楽しかったわ。ついでにいろいろお店も見て回れたし」
ディレアが、地下道を照らす灯りに透かすように店の名刺広告を掲げる。
パトリックの署名入りだ。
「そいつ見せるだけで、ただで缶詰出てくるなんて魔法みたいなカードだな。まあ、あいつお前以上に偉そうだったけど」
「二人まとめて偉そうで悪かったな。パトリックが言うには、大半は前の航海の余りだから気にするな、だとさ」
——中途半端に余った缶詰だ。話は通しとくから好きに選べよ。
そう言って店の名刺広告にペンを走らせたパトリックはいくつか売り物もサービスするように取り計らってくれていたようだ。
(兵団用にも缶詰、いくらか発注しとくか……)
缶詰は保存食としてとても便利だった。
もとは軍用や航海用だが、一般向けとしても売れだしている。
ビスケットやチョコレートなどの菓子類や塩漬け牛肉をはじめとして、最近はいんげんのトマトソース煮といった調理済みのものまで高級デパートで販売され始めたらしい。
「できれば感想を聞かせろといっていた。庶民の舌に合うか知りたいと」
クロードがその言葉を受け、頬をひくつかせた。
が、すぐに気を取り直すように苦笑した表情をみる限り、気分を害したとまではいかなかったらしい。
「……言い方は引っかかるが、まああのなりだし悪気ねぇんだろうな。飯は飯だし、ありがたくもらっとく」
平坦に続いていた地下道の隙間から階段が現れた。
改めて低い天井を見上げたアルスは、頭上に迫る圧迫感から、そわそわする首元を撫でたくなった。
地下の駅に入るのはいまいち落ち着かない。
人や建物の密集する地上を避けるため、王都ログスティリア中心部の地下を、蒸気機関車は走っている。
地下遺跡の遺構も利用しているというが、人為的な工事で掘削された場所も多い。
いつ天井が崩れ落ちるのかと想像するだけでぞっと気分も悪くなる。
階段を登りきり、ようやく地上へ脱出すると、アルスは息を大きく吸い込んだ。
すぐに、冬間際のきんと凍りつくような風が取り巻いてきたが、地下の陰鬱な空気からの開放感もあり、いっそ心地よい。
たどり着いたのはウエストボーンの駅だ。
先ほどまでは高級デパートやアーケードが立ち並ぶサウスヒルに居た。
馬車渋滞の深刻な地上の道を考えると、たった2ラント支払うだけであっという間だった。
「馬車鉄道に乗り換えようぜ。今日くらいはいいだろ……」
がちゃがちゃと両腕に抱える缶詰の詰まった袋を持ち上げたクロードは、ディレアを促す。
ディレアも結局、渋々ではあったが了承した。
荷を持ち苦笑しながら頷くテッドと、先ほど不満を漏らしたばかりのアルスを順に見て妥協してくれたらしい。
駅前を過ぎる人の波は眺めるだけで賑やかだ。
劇場の公演予定について書かれた派手な広告を体にまとわせ、練り歩く男に目が行く。
ちょうど先日パトリックからの依頼で警護をした舞台のものだった。
クロードが、アルスの肩に腕を回すようにして近づいてくる。
「しっかし、あれだよな」
アルスは、クロードが何を言い出そうとしているのかはっきり分かった。
最近しつこいのだ。
「いやあ、可愛かったよな、アリスちゃん」
「離れろ、うるさい。お前、その名をもう一度吐いたら頭に火を放って燃やしてやる」
アルスは荷物で塞がった両手を広げ、腰元の剣の魔石を示す。
クロードが呼んだアリスという女性の名は、アルスのことだ。
先日の劇場警護の最中、アルスは変装として女性の服を着させられた。
それもなぜか自分だけ。
純粋に、れっきとした女性であるディレアもいたというのに。
「なぜ俺があんなことを……」
「そりゃあ仕方ないでしょ。オレらじゃ身長が高すぎるし、ディレアには別の役割があった。十分似合ってたと思うよ、すごいね」
真面目なのか、からかっているのかわからない調子で、テッドが感心してみせた。
「これほど苛立ちの湧く褒め言葉もないな」
「いやいや、顔がいいとどんな格好でも似合うってことだよ」
果たしてこれで納得感など得られるものか。どう言い訳されても腹しか立たない。
じっとにらむと、テッドは慌ててアルスから距離を取った。
「——あれ? 分隊長じゃん」
聞き覚えのある声だ。
そこにいたのは第六近衛兵団の若い兵二人、ギルバートとチャーリーだった。
そばにいる赤の守護者の面々が、さっとアルスのほうへと視線を寄せる。
呼びかけてきた少年兵たちとの会話を見守ろうとする気配が漂う。
アルスは焦り、新兵二人に近寄った。
小声ですぐに念を押す。
「とりあえず余計なことは話すな」
アルスからの異様な圧に、若い兵二人はただ頷く。
「俺は、ここにいなかった。ここにいるのは別人だ。いいか?」
「わ、わかりました」
ギルバートはひたすら目を泳がせ、チャーリーがぶんぶんと音のするほどに首を縦に振る。
「お前たちの方も、休暇でない時期に街に出るのは御法度だろう。その点は俺もブライアンに黙っておく。交換条件だ、いいな?」
駆け出すように立ち去った新兵たちを見送ったアルスは、すぐにクロードたちの元へと戻った。
ばくばくと心臓が跳ねる思いがして、息の仕方を忘れ、顔が熱い。
早々黙っては居られないらしいクロードが、真っ先に口を開いた。
「分隊長ねえ。思ったよりなんか偉そうじゃん。分隊長さんこんなところでサボってていいのかよ」
「部下だってふらついているんだ。暇なのわかるだろ。……さっきからそのニヤつき顔やめろ。本当に燃やすぞ」
そうやって言い返しながらも、アルスはディレアとテッドの様子をこっそりと窺っていた。
何か察することが出てくるのならば、クロードより彼らの方が鋭いだろう。
気にせず雑談を始めた二人の姿は、今のところ普段通りに見えた。
(いつかバレるのも時間の問題だよなあ……)
パトリックの手引きで街をうろついていること、自分の立場を誤魔化していること。
アルスには隠し事が多く、それが露呈した際、大きな問題を生むことは目に見えている。
そしてそれは、赤の守護者との関係を続ける以上、きっといつか来る予感がある。
アルスは、このところ、その瞬間を想像することが増えていた。
隠し事もなくなり、物事がいっそ上手くいくのではと楽観的な思いもあれば、投げかけられる罵倒と軽蔑の視線にも怯える。
今日ほど、兵たちからの呼び名が「分隊長」であることへ安堵することはなかった。




