第80話 軍の予算
ここ最近では珍しいほどに冴え渡った空の下、涼やかな空気を吸い込む。
アルスは、軟禁状態のように続いていた仕事に区切りを言い聞かせ、館の外へと出てきていた。
目に入ったそばの庭樹に釣り下がるのは、二枚の葉。
すっかり黄金色に染まっている。
小さな鐘のような形の葉がゆらゆらと揺れる様子に、思わず耳をすましたくなったが、同時に吹き付けられる風の冷たさに首がすくむ。
晩秋とは冬の始まりに等しいものだ。
第六近衛の団員たちが集まる中、ギブソンは際立って目についた。
存在感のある体つきや、立場から目立つ軍服は理由の一つではあろうが、兵たちが居心地悪そうに遠巻きに眺めていたからだ。
アルスは歩き、近づいた。
椅子に座ったまま新聞を睨むギブソンの瞳を静かに注視したが、文字を追う動きは止まっている。
話しかけて良いものかわからず、アルスは自分の存在を主張するように、ギブソンの目の前に立った。
人影にようやくはっとし、こちらを見たギブソンの目元はすぐに緩んだ。
「どうかされましたか、アルス様」
「顔が険しい。お前がその表情をすると、誰も近寄れなくなる」
最近はもっぱらこれだ。広場を見渡せる場所の椅子にどかりと座り込み、厳しい顔つきで新聞を眺めている。
「これはすみません。つい……」
「新聞を読むなら、こんな寒空の下に居座らなくても自室に行けばいいだろう」
「いやあ、あまり暖房が合わず。外の方が、思考が明快になるといいますか」
ギブソンは、恥ずかしそうに後頭部をかきながらつぶやいた。
「——それに可能な限り、兵たちと共に過ごしたいのですよ」
第六近衛の団員たちへ、穏やかに目を細めるギブソンを前にして、アルスは素直に納得した。
愛情深く、兵士ひとりひとりを大切にする態度は、とても彼らしいものだ。
「ほどほどにな。で? 今度は何が気になっているんだ」
ギブソンが持つ新聞へと話を戻す。
表題として目に入ったのは五年で二千万ガインという法外な金額。
船の建艦に向けた海軍予算の記事のようだ。
「経済が下降気味の中、思い切った予算取りだな。レオポルド卿が退陣した途端これか」
「どこからこんな金を捻出するのでしょうね」
ギブソンの皮肉じみた発言に、何を今更とアルスも鼻で笑う。
増税と国債以外にない。
「お、分隊長じゃん、久しぶり!」
ギルバートが割り込んできた。相変わらずこの少年兵は遠慮がない。
「なにこれ、軍艦? ……二千万ガインって、いくら?」
「……大体ここ最近の国家予算が一億だから、その五分の一ほどか。複数年に渡る計画ではあるようだが」
ギルバートはぽかんと首を傾げている。あまりの金の単位に想像がつかない様子だ。
しかし、相当な規模であることは理解したようで、新たな疑問を口にしはじめた。
「この辺の国、ほとんど陸続きなのに軍艦なんているのかよ」
「いらねえわけねえだろ」
紫の髪をかき上げ近づいてきたパーカー少尉は、手にした書類の束でギルバートの頭を叩く。
ギブソンに用があるようだ。
アルスも、ここまでの膨大な投資が必要かはさておき、ギルバートの疑問については指摘しておく。
「直近だと北の島国を見据えてだろうが。この国は東は高い山脈、南は大河で、国境は簡単に越えられない。そもそも、この大陸で海に接していない国はない。他国に十分睨みをきかせられる」
「なあ、金使うの海軍ばっかなの?」
「いや……陸軍の予算も増えるはずだ」
新聞内にある、"昨年度の対メルト鎮圧遂行地上軍費用”と記述された項目を指差す。
「状況を鑑みて、去年と比べ大幅な上方修正が入ると見込みと書かれている」
ギルバートは記事のそばの数字をじっと見つめた。
「よくわかんねえけど、すごい金。こんなにかかるのか」
「メルト駐留の長期化で戦費が膨らんでるんだ」
ギブソンが、アルスたちの会話を聞きながら眉間に手を当て低い声でうめき出す。
「……すごい金、か。確かに金額だけ見ればそうでしょうな」
「何かいいたげだな」
「むしろ、これだけのことをして金がかからなさすぎているのですよ。先日ブライアンに試算させてみたが――」
新聞を叩いたギブソンが、大げさな身ぶりで両手をあげた。
「話にならない。軽くこの倍はかかる。一体どこでどう誤魔化しているのやら」
先ほどからじっと考えていたのはこの件だったのだろうか。
重苦しくなりかける雰囲気をよそに、ギルバートが、口をとがらせ不平を漏らし始めた。
「そんなわけわかんねえ大きな金の話もいいけど、俺らのとっちゃ目の前の飯だよな。軍の予算積まれるってわりに俺等に恩恵なんてないんだけど」
「そりゃ第六近衛兵団にあてがわれる金は年に一回まとまってくるからな。しかもこの前の遠征で無駄金つかわされて、ギリギリだって―の」
苛々と言い捨てるパーカーは、最近、遠征の後処理に追われていた。
「でも装備が貧弱だったのは確かですよね。ほかの兵団との合同任務で目立ってました」
「見てくれもちょっと悪かったわよねえ」
「……最新式の銃が欲しい」
口々に割り込んできた兵たちの好き勝手な発言にパーカーが怒鳴り返す。
「新調しただろ! 金がねえっつってんのに、贅沢言うんじゃねえ!」
予定外の出費で本格的に苦しくなったらしい。
そもそも、第六近衛については、昨年度よりも予算が減っていたことも影響している。
(お祖母様に相談するべきか……)
兵団運営の費用はアルスの母方の実家である、グウェルフ家から援助を受けている。
国から出るものもあるが、それだけでは賄いきれない。
祖母とは普段当たり障りのない手紙のやり取りはしているが、こういった事情については触れてこなかった。
しかし手紙に書く内容について、どう表現すべきかアルスは悩んだ。
きっと今の援助も、寄付に近い相当な厚意が含まれている。
頼っておきながら、それがグウェルフ家にとってどれほどの負荷なのかも把握しきれていないままなのだ。
「団長、いい加減この辺の書類確認してほしいんすけど。ブライアン大尉が待ってます」
パーカーに急き立てられ、ギブソンが慌てて紙束を受け取り目を通す。
そんな二人のやり取りを見たギルバートが呑気に笑う。
「パーカーが書類仕事って似合わねえよな。ブライアンとか分隊長に任せっきりなのかと思ってた」
「てめえ……俺だって散々働いてんだよ!」
騒ぎ出した二人をなだめようと間に入ったアルスが、ギルバートへ説明する。
「パーカーは、書類仕事は丁寧だ。むしろ——」
アルスは、言葉を切った。
そして、なるべく自然に続ける。
「——むしろ、こういうのが駄目だったのはジャックだ」
パーカーが、一瞬おっと意外そうな表情を浮かべた後、うっすら口角を上げ会話を引き継ぐ。
「ああ、あの坊ちゃん。仕事や判断は早いが、要所だけ抑えてりゃいいだろって考えなのか、細かい内容は結構適当だったな」
「へえ。ジャックよりパーカーのほうが褒められることもあるんだ」
ギルバートが、にやにやと八重歯をちらつかせる。
「いい加減にしろ! お前、俺のこと舐めすぎだろ!」
笑い声に沸く周囲にはいつの間にか人が集まっていた。
アルスの言葉をきっかけに、口々にジャックの思い出話が飛び交う。
兵団内では、ジャックの名を呼ぶことが控えられ、腫れ物のように扱われる時がある。
アルスは、自分が話題を振ることによって、できるだけジャックの存在をこの場に参加させてやりたかった。




