二話
「パトリシアさん、ちょっと聞こえちゃったんですけどまさか本当に出ていくなんて言いませんよね……!?」
廊下に出てすぐ駆け寄ってきたのは、掃除係のコリンナだ。
今にも泣き出しそうな顔で不安がっている。
デリックの怒号が聞こえていたのだろう。
「いいえ、出ていくわよ。経営者自らが解雇すると言うんだもの。どうしようもないじゃない」
「いえ、それが、もうずいぶん前にお客様が到着されてしまって……」
コリンナが示した先では、廊下の壁にもたれかかってこちらを見ている男性がいた。
「リングフォード伯爵!」
「やあパトリシア。ずいぶん大変なことになっているようだね」
にこやかにこちらへ歩いてきたのは、黒髪の背の高い男性。
彼の名は、キース・リングフォード伯爵。このブティックで一番のお得意様だ。
「申し訳ありません、お客様に恥ずかしいところをお見せしてしまうなんて……」
「いや、いいんだ。今日はいつも通り妹たちのドレスについて話し合うつもりだったが……どうやら、それどころではなさそうだ」
キースは恐縮するパトリシアを宥めるように朗らかに笑っている。
顧客と店員という関係だが、彼との付き合いはもう何年も前からのことで、もはやデリックよりも気心の知れた相手とも言えるほどだ。
「ええと、聞こえていました……よね?」
「ばっちりね。一部始終聞かせてもらったさ」
「では先程お聞きになった通り、説明は不要ですね。私はいますぐ荷物をまとめてここを出ていかねばならないんです」
「じゃあ、それから先はどうするんだ? 他に行く宛てはあるのか」
「いえ……これからのことは全く。とりあえず、知り合いのツテを頼ってみますが、デリックのことだから私の移籍を知れば嫌がらせでもしてきそうですね」
パトリシアは苦笑いで誤魔化そうとする。
啖呵を切ったは良いものの、現実はそう甘くない。
どんな道に進んだとしてもここにいるよりかはマシ、それだけだ。
「……ひとつ提案があるんだが、これを機に君自身でブティックを開くのはどうだい?」
「私、自身でですか?」
思わぬ提案にパトリシアは驚く。
隣のコリンナとも顔を見合せてキョトンとしてしまった。
「前から思っていたんだ。君には才能があるのに、いつも日陰に隠れてばかり。君はもっと賞賛されるべき人物なのだと」
「そんな、褒めすぎです」
「いいや。私の妹たちが社交界でこれほどまでに注目を集め続けているのも、全て君のデザインしたドレスのおかげだ」
リングフォードの双子姉妹は社交界ではかなり有名だ。その理由は、彼女たちのファッションにある。
双子という特性を活かした揃いのドレスだけれど、カラーやアクセサリーでそれぞれの個性を引き立たせるという手法で、彼女たちらしさを表現している。
毎回パトリシアがデザインしているものであり、社交界ではリングフォードの双子コーディネートなんて呼ばれて人気を博している。
彼女たちの真似をしてドレスを注文に来る令嬢たちもいるぐらい。
「君を失うことは服飾界における大きな損失だろう。もちろん、我が家にとっても贔屓のデザイナーを失うのは大いに困る。あんな男の身勝手な言い分なんかで、君の才能が潰されるのは見ていられないんだ」
「伯爵……」
「ここはひとつ、私の頼みを聞くとも思って店を開いてみないか。資金は私が出資しよう」
「それなら、伯爵家の専属デザイナーとして雇って頂くのでも良かったのではありませんか?」
自分で店を開くなんて、平民のパトリシアからしたらあまりに大掛かりな話だ。
「確かにそれも悪くない。だが、君はブティックを開くのが夢だと言っていただろう?」
「覚えていてくださったのですか……!」
いつ頃だったが、話の流れでキースに話したことがあったのだ。
ノース子爵家に恩義を感じてはいるけれど、いつか独立して父の店の名前を取り戻すこともまたひとつの大きな夢なのだと。
「今こそその夢を叶えるときじゃないのか?」
「そうですよ、パトリシアさん! 絶対にその方が良いです!」
「もう、コリンナまで……」
キースはにやりと不敵な笑みを浮かべて、パトリシアの答えを待っている。
(私の店、かあ)
そう考えても、なかなか想像はつかない。
けれど、そこにキースが居て、リングフォード伯爵家の双子姉妹も、これまで関わってきたお客様の姿もあれば、とても素敵なことだろう。
この店を出たらもう会う機会も無くなるとばかり思っていたが、諦めるにはまだ早い。
「そうね。逆境はチャンスに変えてこそ、って言うものね」
パトリシアは気合を入れるように呟く。
それから、前を向いて差し出されたキースの手を取った。
「その話、お受けしましょう!」




