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第九十四話 風呂キャンの理由

「異世界のお風呂って、どんな感じなの?」

 ジュンがノートのページをめくって話を変える。

 あまり風呂の話は長引かせたくないんだがなぁ。

 まぁ、向こうの話をするなら今すぐ風呂に行けと言われることもないか。


「僕の世界の風呂か……。僕の屋敷には広い浴室があった。石で出来てるやつだ。風呂に入る前に頭に灰をまぶしてマッサージをしてもらうんだ。櫛で髪を解いてから浴室に入る」

「灰⁉ お風呂に入る前に汚すんですか?」

「そうだいさん、たぶん灰に汚れを吸着させて流すんだと思う」

「身体にベルネーズっていう薬液を塗ってマッサージして布で拭きとって、風呂に浸かるだろ? 風呂のふちに頭を載せてると水で頭の灰を流して綺麗にしてくれる。こっちの世界の風呂みたいに乱暴じゃなくて、すごくゆったりとした時間だな」

 こうして目を閉じているとグレッツェンと過ごした日々を思い出すな。

 あの頃は退屈だったけど、今思えば楽園のようだった。

「あぁ~、そうか。それは、異世界のお風呂事情って言うよりも……」

「お貴族様の優雅な生活ですね」

「だから、僕の屋敷ではって言ったじゃないか。お前たちの世界の方がどうかしてる。頭から湯を被って、いくつも薬液を使って、湯舟の湯も熱すぎる。しかも毎日なんて、僕の世界では聞いたこともないぞ?」


 ジュンとソーダイは、それぞれに頭を掻いたり唇を弄んだりしながら、目線を反らした。

「毎日入るようになったのは、ここ数日のことで……」

 ソーダイがちょっと恥ずかしそうに打ち明ける。

「自分の家にいると、つい……。誰もいないし、面倒だなって。頭もフケが出てなきゃいいやみたいな。アパート借りたばっかりの頃は嬉しくて、良いシャンプー揃えたりしてたんですけどね。俺、この店に来る前は家が無かったから……」

「え? そうだいさんも?」

「もしかして、ジュン君も? え? でも、ジュン君は学生さんで……、たしか実家暮らしだって言ってなかった?」


『戸惑い』『不安』『後悔』『罪悪感』

 このところ鳴りを潜めていたジュンの暗い感情がグルグルと渦を巻く。

 気前悪そうに目を伏せ、前歯で唇を弄ぶ表情は、感情としっかり一致している。

 ジュンは拳を握り締め、ソーダイに向き姿勢を正した。

「俺、嘘ついてたんです。本当は学生でも実家暮らしでもないんだ」

「え⁉ そうだったんですか? なんで、嘘なんて……。うちの店は学歴、関係ないのに」

 ジュンはまた目を伏せて、小さな声でポツリと「学生になりたかったんだ」とつぶやいてから話し出した。


「俺の家には母親と年の離れた弟がいて、父親はよそで愛人と暮らしてた。父は生活費を母に渡してたけど、母はそれを使ってホストクラブに入り浸っててさ。中学の先生がなんとか高校に行けるように手伝ってくれたけど、バイトして、家事して、弟の世話して、酔っぱらって帰ってくる母を介抱してってしてたら、課題やる余裕ないし授業にもついていけないし、補修や追試で時間取られて寝る時間も無くて。それでもバイトは辞めなかったんだ。バイト代で弟の給食費や教材費を払ったり、服や靴を買ってやったりしてたからさ。でも、ある時、弟が図工の課題で描いた家族の絵を見たんだ。自分の学校休んで弟の授業参観に行った日だよ。そこに描かれてたのは弟と母と青い髪のホストだった。ほとんど会ったことない父はともかく、いつもそばにいた俺がどこにも描かれてなくて、たまに母親が連れてきたホストが、まるで家族の一員みたいに手をつないで描かれてたんだ。なんか、それ見たら急にすげぇ疲れちゃってさ。最低限の荷物だけ持って家を出てきたんだ。それからは、紹介された仕事しながらネカフェとか路上とかで寝起きしてた」

 知らない単語が多くてよくわからなかったが、要するにジュンも家を追われて野宿してたって事か。


「なぁ~んだ。俺と同じじゃないですか。もう! そういうのは早く言ってくださいよ! てっきり、良いお家に生まれ育った『普通の人』なのかと思って、ちょっと距離置いてたじゃないですか」

「俺だって、そうだいさんは優しい両親にしっかり育てられた『ちゃんとした人』なんだと思ってましたよ。そうだいさんも家出からのホームレスだったんですか?」

「はい。あ、でも僕はジュン君みたいに偉くはないですよ。根性ないんで。中学の途中で出てきちゃいました」

「なんでまた? やっぱり親がクズだったんですか?」

「うちは物心がついたときには母親がいなくて、詳しくは教えてくれなかったんですけどね。多分、俺を置いて逃げたんだと思います。親父の『躾け』がね、いま思うと虐待なんですけど、暴言と暴力だったんですよね。怒りの沸点が低い人で、すぐにキレて暴れるんです。学校の先生に相談したら、それが親父にバレてボコボコにされて……。良かったですよ、出てきて。もしあのまま実家に居たら、殴り殺されてたかもしれないし」

 ソーダイは、カラカラと笑いながらそんな話をした。

 父親からの暴言や暴力、殴り殺されたかもしれないなんて、そんな事を笑って話せるのか。

 すごいな。


「生きるために逃げてきて、今こうして働いて生活できてるって、すげぇっすね。カッコいい!」

「それは、ジュン君も同じじゃないですか? でも、大学生って嘘つく必要ありました? 普通にフリーターで良かったじゃないですか?」

「俺、学生が起業して運営してた人材紹介で働いてたんですよ。金持ちの道楽息子が仲間と作った適当な会社です。学生が片手間にやってるから労務も適当で、住所不定で高校中退でも仕事はもらえたんですよね。俺らが現場に行って働いてるからあいつらにも金が入るのに、事務所に行くたびに学歴をバカにされてて、現場でも紹介先の担当社員からバカにされて、仕事で見返そうと頑張っても、あいつらわかりやすい経歴でしか判断しないですから。この店でバイト始めるちょっと前に飲み屋のヘルプの仕事してて、客が落としていった学生証を拾ったんですよ。それで、つい……なんていうか……」

「学生証の偽造……?」

「もうバカにされたくなくて。これさえ見せれば『普通の人』に見えるだろうから」

「そんなことしなくても、ここでは誰もバカにしたりしないですよ」

「うん、そう。やっと、それがわかって、だから隠すのを止めようと思ったんです」

 ソーダイはジュンが握りしめていた拳の上に手を重ねて「良かったですね。俺たち、この店に来られて」と笑った。

 ジュンが『安堵』と『歓喜』をまとって、うっすら涙を浮かべる。

 ……。僕はなぜ二人が見つめ合っている姿を見せられているんだろう?

「あぁ~、諸君の事情はなんとなく理解した。では、僕はこの辺で失礼しよう」

「待ってください、ルネ君。お風呂がまだですよ?」

「今日一日くらい入らなくたっていいじゃないか! お前らだって、毎日は入ってなかったって、いま言ってただろう⁉」

 二人が僕を見て笑っている。

 感情を視なくてもわかる。バカにしている笑いじゃなくて、親愛から起きた笑いだ。

 なんだ、冗談か。


「せっかくだし、ルネ君の旅の話をジュン君にも話してあげてくださいよ。軒先や滝の裏で寝起きした話」

「え? なに? 異世界の貴族って、そんな事するの? あ、屋敷を追われたとか言ってたっけ。ルネ君もだいぶ人生ハードモードなんだ。じゃあさ『誰が一番みじめだったか選手権』しない? 出張ストアーの決起会やってないし、親睦もかねて!」

「いいですね! 下でお菓子とお酒買ってきましょうか!」

 え? なに? 誰が一番みじめだったか? 宴会?

 ドアがいきなり開き「酒って言った⁉」とユーゴが顔を出す。

「これは若者の会ですから、師匠はオーナーとでも飲んでてください」

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